NOTE3

 堤防沿いをしばらく歩くと、マンションが建ち並ぶ地区に出た。

 かつてこの辺りは紡績工場が建ち並んでいた土地。

 バブル崩壊後の不況で会社が倒産、しばらく更地になっていたのだが、タケノコのようにマンションが現れたのは五年ぐらい前のこと。

 手前から二番目のマンションに入り、エレベーターで上がり、五○五号室に来た。

「みんな、入って」

 秋人に言われるまま、みんなは靴を脱いで家に上がる。

「親は今日、親戚のとこ行ってて留守なんだ」

 秋人は誰も聞いていないことを言った。


 4LDK。

 廊下をまっすぐ進むと居間がある。

 部屋の片隅にはテレビがあり、中央には四人がけのキッチンテーブル。無駄のない簡素な感じ。

 部屋の広さがよけい無機質な冷たさ、さびしさを感じさせる。

 それを打ち消すかのように芳香剤、ラベンダーの香りがした。


 秋人は左手のドアを開け、みんなを中に入れた。

「……まるで夢の島~」

 最初に室内に入った涼の開口一番の言葉。

 彼女は眉間にシワをよせる。

 五畳ぐらいのスペースにベットと机、その上にはパソコンが置かれている。

 床は星や写真関係の雑誌らが無造作に置かれ、足の踏み場もない。

 ベットの上には脱ぎ散らかした制服とパジャマが目につく。

 ある意味、生活感溢れる部屋だ。

「まったく、アッキーはだらしないんだから。よくみんなを誘えたわね」

 祥子は呆れ顔で足下の雑誌を片付け始めた。

 慌てて、秋人は散らかっている服に手を伸ばす。

「アッキーなんて……みんなの前で」

「いいじゃない、アッキーはアッキーなんだから」

「……あとはオレがやるから、祥子さんはやんなくていいよ」

「口を動かす前に手を動かしなさい。日頃の行いが悪いんです」

「みんなを呼ぶつもりしてなかったから……普段はもっと綺麗にかたづいてるよ」

「どうだか」

 祥子はとりあえず足の踏み場を確保した。そうして、片付ける範囲を広げていく。

 その様子をみて洋子は陽に訊ねる。

 あの二人はどういう関係なの?

 首を振る陽。知らないよと返事。

「信用ない?」と秋人。

「確固たる事実を目の前にして? 信じるって言うのが無理よ」

 祥子の笑いに、秋人は口をへの字に曲げた。

「反論ナシ、自白とみてよろしいですね?」

「よろしいですから、手伝うのやめてよ~」

「いいじゃない、ひとりより二人」

「ふたりより一人……」

「この場合、質より量よ」

 秋人の口から、重苦しいため息が出る。

「ため息なんかついてないでしゃきっとしなさい」

「母さんみたいなこと言わないでよ」

 秋人は顔を赤くしながらハンガーに制服を掛け、パジャマを布団の中に隠した。

 祥子は雑誌を部屋の隅にうずたかく積み上げた。

「あらためて、オレの部屋にどうぞ……」

「おっじゃましまーす!」

 洋子はニターと笑いながら部屋の中央に座った。

 他人の弱みを知るのはいとたのし~、秋人の弱みをつかんだ気がして洋子は気分がよかった。

 涼、祥子、和樹、陽もみんなその場に腰を下ろした。

「さて、アッキー。なにみせてくれる? 魔法ってヤツ」

「甘粕さんまで、その呼び方やめてよ」

「いーじゃん。祥子先輩、岡本君のことアッキーって呼んでもいいですよね?」

「いいんじゃない。私は前からそう呼んでるから」

 祥子は笑う。

 洋子はすかさず聞く。「幼なじみですか?」

「ちょっと違う、お隣さん」

「なるほど。さて」

 洋子はニヤッと笑って机の前の椅子に座る秋人をみた。

 彼はパソコンの電源を入れマウスを動かし、なにかをしていた。

「なにしてるの? アッキー」

「みんな、これ観てよ」

 秋人はディスプレイをみんなに向けた。

 画面いっぱいに映し出される星空。

「これは?」

「この部屋の窓の外に観える夜空」

「写真を取り込んだの?」

 陽がくい入るように観ながら訊ねる。

 首を振る秋人。

「今日の、たった今の夜空だよ。窓の外、観てごらん」

 言われるまま、みんなはベッド上に乗って、窓の外を観た。

「ベランダに天体望遠鏡シュミットカセグレン、通称シュミカセがあるだろ。自動ガイド撮影、モータードライブ、オートガイダーがついていてパソコンと望遠鏡を接続してあるからここから遠隔操作できるんだ。オヤジに買ってもらうまでは苦労したな。ガイド鏡の接眼レンズの十字線にガイド星をのせて手動ガイド撮影してたんだから。冬は寒くて大変だったのが、今は部屋の中にいながらにして星が観れるなんてね。コレに冷却CCDカメラつけてあるから画像はきれいだし、『科学の勝利だ!』なんて言ってオヤジ、涙流してよろこんでさ」

「先輩、なにをそろえたらパソコンで星が観れるんです?」

 和樹は細い目を少し大きく開いて質問。

「デジタル機器で星を観るなら十七インチ以上のディスプレイがいいな、大容量のメインメモリーを積んだパソコン本体、もちろんROMは必須な、あと外付けのドライブ、フィルム・スキャナ、フラット・ヘッド・スキャナ、高画質のカラープリンター、高速モデム、冷却CCDカメラ、天体望遠鏡は当然だな。野外に持ち出すならノートパソコンと電源。コレぐらいそろえればデジタル天文ライフが過ごせるだろうな」

 得意げに語る秋人はうれしそう。

「それで、どうして星空が観れるの?」

 洋子は腕組みしてたずねる。

 ワープロと表計算、インターネットとゲームしかやったことのない彼女にとって、パソコンで星が観れるということがにわかに信じがたい。彼女の目は彼を冷視していた。

「ひとことで言えば、冷却CCDカメラに尽きるかな」

「だから、なによそれ」

「CCD(Chrge Coupled Device)はデジカメやデジビデによく使われてるもので、CCDチップを対外気温マイナス四十度ぐらいまで冷却し、電気的ノイズの発生を押さえてくれて感度がよくなるんだ。詳しいことはそれ以上わからないけど、街灯とか月明かりも結局ノイズだからこのカメラだと月明かりで被った情報と天体の光の情報をわけて認識できるから、月明かりに埋もれた天体画像も取り出せるんだ。さすがに雨やくもりの日はダメだけど」

「とにかく、すごいんだ」

 説明が終わるや、涼ははしゃいでパソコン画面を食い入るようにみつめた。

 和樹も陽も祥子も覗きみる。

「それじゃ、動かしてみよう」

 秋人はマウスを動かし、画面上のひとつの星にあわせてクリックした。

「これがおとめ座のα星、スピカ」

 次に、別の星をクリック。

「これはうしかい座のα星、アルクトウルス」

 そして三つ目の星をクリックした。

「しし座のβ星、デネボラ。この三つを線で結んだものを春の三角形っていうんだ」

 画面には三つの星を結んで三角形を描いていた。

「あと……四月には西の空にオリオン座が観えてたけど、五月に入ったからもう観えない。東の空には次のへびつかい座が現れている」

 画面はゆっくりと右から左に動いていく。

 涼は、プラネタリウムみたいとよろこぶ。

 和樹は、空間を切り取って貼りつけたみたいとつぶやく。

 陽は、ただ黙ってみていた。

「この前の冬はこたつでみてた。たしかにパソコンを使えばいろんなコトができる、見上げすぎて首が疲れることないし冬の寒さも大丈夫。けど欠点があるんだ」

「欠点?」陽が聞き返す。

 秋人はマウスを動かす手を止める。

 みんなは彼をみた。

「星座は八十八あるけど日本じゃ七十六しか観れない」

「へ~」

 涼はポカーンと口を開けて驚いた。

「それだけじゃない、北の空が観れないんだ」

 南側のベランダに天体望遠鏡が置いてある以上、そこから観える範囲内の星座しか観ることができないのは当然の話だ。



 悔しがる秋人をみて、祥子は苦笑した。

 なにげなく振り返ると後ろに洋子が立っていた。

「どうしたの、洋子さん」

「アッキーって、すごいと思いません? 魔法って言うのはバカだなって思うけど」

「けど?」

「コレがアッキーのやりたいことなんだ」

「アッキーは『オヤジの遊びぐせがうつった』って言ってるけど好きなことしてるようにしかみえないわね。ホント、男の子って子供ね」

 けど、少しうらやましい。

 祥子はそう言った。

 意味かわからず、「どこがです?」と聞いてみた。

「ああまでして星が観たいとは思わないけど、なにかに熱中してる男の子って、いいと思わない? 男の子っていう付加価値が」

 一瞬、洋子の脳裏に父親が浮かんだ。

「なんとなくわかる気がするかも」

「ひょっとして、アッキーに惚れた?」

 笑う洋子。

 そっくりそのままお返しします、と返事。

「洋子さんは、アッキーのこと嫌い?」 

「キライじゃないですよ。はじめは、嫌なヤツって思ってたけど。それより、祥子先輩はアッキーのこと好きなんですか?」

 唐突ね、すました顔で「好きよ」と返事。

 洋子は少しおどろいた。

「はっきり言いますね」

「自分の気持ちに正直なの。でも弟としてかな。性格は年上のわたしよりしっかりしてるけど、星やカメラのことになると子供なのよ。男の子って、好きなことに夢中になってるとほかは目に入らないから。アッキーがいい例よ」

 そういうものなのかな、洋子は陽に目を向ける。

 彼も、そうなのだろうか。

「洋子さんは好きな人いるの」

「ど、どうしていきなり、そんな話になります?」

「流れ的に、そうならない?」

「なりません!」

「力いっぱい否定しなくても。ムキになるってことは、いるんだ。わたしにだけ話させて、ずるい」

 ずるいといいながら、困ったそぶりも見せず笑みを浮かべている。

 そんな彼女をみながら、洋子は口を閉じた。

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