NOTE2
五月四日。
朝から雲ひとつない五月晴れが広がり、やがて磐座市に夜のとばりがおりていく。
駅前の路地を抜け、裏通りに入ると街の明かりが減り住宅の明かりが目につきだす。
黒い壁のような堤防が観えてくる。
道なりにまっすぐ歩き、堤防を越えて河川敷におりると、みんながが集まっていた。
陽は、赤いフィルターを貼った懐中電灯をもって空を眺めていた。
「ネェ、組長」
「酒元さん、部長だってば」
と、陽はぼやく。
「星詠組の部長、だから組長。くみちょ~でいいジャン、ネェ、くみちょ~」
「あのね……」ため息が出る。でも仕方なく応える。「なんです?」
「どして、夜は暗いの? それに、どして、あんまし、星ないの?」
「それは……」
「ねぇ、どして?」
なんて応えるべきだろう。
陽は少し考えていった。
「あのね、酒元さん。昔の夜はね、昼間みたいに明るかったんだ」
「ウソだぁ~」
「ホントだって。森を想像してごらん、木と木の間に木が観えて、それがいっぱい集まったものを森という。森は木しか観えないだろ、それと同じように宇宙にはいっぱい星があって、星と星の間に星が観え、それがいっぱい集まったら星しか観えなくなって、夜は昼のように明るかったのさ」
「じゃ、なんで今は暗いの?」
「それはだね、星は人の願いを叶えてくれる力を持ってるんだ。昔の人はそれを知ってて、自分のしたいこと、欲しいものがあると星にお願いしたんだ。星は願いを叶えると落ちてしまう。流れ星は誰かが星にお願いした証拠なんだ。人間は欲深くて……気がつくと星がなくなってきちゃって、だからむやみに星に願い事をしないよう、流れ星にだけお願いするようイギリスのグリニッジ天文台の偉いオジサンたちが世界中に呼びかけたんだけど、その時にはもう遅くて、ごらんのようにめぼしい星以外は観えない真っ暗な夜になったのさ」
「落ちた星はどこ行ったの?」
「星は地上に落ち、街の明かりとなって夜を照らしてる。その証拠に街の明かりは宇宙からでも観えるほど明るいからね」
「……そうなの、知らなかった」
すっかり真に受けておどろく涼に、「陽クン、涼さんにウソ教えちゃいけません」と声がかかる。
「夜が暗いのは宇宙は膨張しているのと、すべての光が地球に届かないからです。星が観えないのは街の夜間照明、街灯や広告灯などがもたらす光害のせい。最近の夜は明るいですから」
祥子が二人の話に横から口をだした。
キョトンとしている涼は懐中電灯の明かりを向けた。
「あ、祥子先輩」
「私がもってきた双眼鏡で観ましょ」
「うん」
涼はうなずき、祥子と一緒に秋人と和樹が三脚を広げ天体望遠鏡をセットしている河原の方に歩いていった。
一部始終みていた洋子は思わず吹きだした。
陽は振り向く。
「あ、甘粕さん……笑わなくてもいいじゃない」
「あはははは……だって、おかしくって」
「遅れてきて。なんだかな……」
「塾の帰りだからしょうがないじゃない」
洋子は懐中電灯を首の下からあおるようにライトをあてる。
「うらめしい~?」
「……こわいこわい」
さめた口調で陽は怖がってみせた。
祥子に怒られたからか、どことなく陽が元気ないように洋子にみえる。
「どうかした?」
「べつに。ただ……」
「ただ?」
「いつもひとりで観てるから……なんか、ね」
洋子は陽の顔を覗き込んだ。
「みんなで星観るってこと、慣れてなくて」
「志水君って、話はおもしろいけど性格よくないから」
「悪かったね、性格よくなくて」
「すぐひがむし、すぐすねるし、すぐいじける」
陽は、洋子の照らす懐中電灯の明かりから逃げるように顔を背けた。
「ほら、みんなのとこ行こ。組長なんだからしっかりしなさい」
「甘粕さんまで……やめてよ」
「くみちょ~、行こうよ」
「部長ってよんでよ。甘粕さんだって、副組長って呼ばれちゃうよ」
ちょっと、カッコイイかも。
にやりと笑ってみせる洋子に、陽はあきれた。
洋子は陽の背を押し、みんなのいる河原へ向かう。
水の流れる音が聞こえ、遠くで車のブレーキ音がこだまする。
河原前に集まったみんなの視線が陽の照らすライトの明かりに集まった。
「えっと……星を観る前に、星詠組というぐらいだから星を楽しむための基礎的なことを少し勉強しましょう。それじゃ……岡本君、高度や方位のことなんかを説明して下さい」
ライト片手に陽はみんなの前に立ち、秋人にライトを向けた。
秋人は頭をかきながらライトを消すよう手を振った。
陽はライトを消した。
「さて、簡単に座標系のことについて説明します。座標とは天球に引かれたX軸とそれに直行するY軸のことで、星を捜すときに使う地平座標とは東西南北を示す方位角と天頂から地平線までの地平高度を基準として、天体が天の北極-天頂-天の南極の半円の子午線を通過する瞬間を南中といいます。赤道儀式望遠鏡で使う赤道座標というのもあって、天の赤道と黄道が交差する春分点から反時計回りで計る赤経と、天の赤道から天の北極と天の南極に向かって計る赤緯を基準にしています。この他に、黄道座標や銀河座標なんかもあるけどそれはまぁいいとして、えっと、あと星の動きは地球の自転する日周運動と太陽の周りを回る年周運動、この二つが関係しているものといえばみんなも知っている時間です。僕らが普段なにげなく使っている時刻というものは、東経一三五度の日本基準時子午線上の明石を平均太陽時としてたけど、今は経度ゼロ度の基準子午線、イギリスのグリニッジ天文台、正確には跡地だけど、そこの平均太陽時、世界共通時刻の世界時より九時間進んだ時刻とされています。天文にはほかに、恒星時やユリウス日など特殊な時計を使ったりすることが多いですが、いきなり全部話すとわかってくれないのでこれから少しずつおぼえていきましょう。皆さんわかりましたか?」
はーい、と返事したのは祥子だけだった。
洋子は腕を組み「説明が長い」と応え、涼は「むずいよ」と駄々をこね、和樹と陽は沈黙してしまった。
「今度プリント作って配るよ……」
秋人はため息混じりにつぶやいた。
街の明かりと呼応して夜の闇をとかしている月。
秋人と和樹が組み立てたケプラー望遠鏡は南の空に浮かぶ月に向けられた。
涼はみんなに勧められ、一番に覗きみる。写像の月は実像の月と逆さに観えた。
「上弦の月ですかね」和樹は自分でもってきたコンパクトなダハプリズムで、「まだじゃないかな」祥子は倍率の高い、口径の大きなポロプリズムで月を観ていた。
空には月とめぼしい星しか観えない。
「月明かりで星、あんまり観えないね」
両手で視野を狭めて、洋子は空を見上げる。
「そうだね」
隣でぼんやり観ていた陽が応えた。
月も立派な星のひとつだ。
地球の周りを回る衛星という星。
くすんだ空に浮かぶ月を観ながら、陽は今の自分と似ているような気がした。まわりに星があるのにひとりさびしくそこにある。まわりに人がいるのにひとりさびしくそこにいる。似ているようで似ていない、半分だけの月を観ながら思った。
「星はないの?」
涼はつまらなそうな顔をして祥子をみた。
「そうね……」祥子は押し黙る。
口を閉じる二人に気付いた秋人は、パンッと手を叩いた。
「みんなに星みせてあげるよ。ウチにいいものがあるんだ」
彼の言葉に視線が集まる。
いいものがあると聞いては、行かないわけにはいかない。
天体望遠鏡を和樹と手早く片付け、秋人はみんなの先頭に立って歩き出した。
「なにがあるの?」
洋子は彼の隣で歩きながら訊ねる。
秋人は、「ひみつ」とだけ応える。
目を細めて洋子はムッとする。
秋人はもったいつけた顔をして、「特別だよ」と言い、小声で教えてくれた。
「この空の星を観ることができる魔法をね」
洋子は目が点になった。
「魔法なんてあるわけないっしょ、からかってる?」
「それがあるんだな、論より証拠、百聞は一見に如かずってね。甘粕さん自身の目で確かめてから批評は聞くよ」
自信満々の秋人。
洋子は釈然としなかった。
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