NOTE4

「くみちょ~、はい」

 秋人の部屋に入る陽は涼から小さな紙袋を手渡された。

 緑色のチェックの柄の包みに赤いリボンが結わえてある。

 クリスマスツリーを連想させるパッケージだ。

「これは?」

「チョコだってば。とーぜん、義理だけど」

 みると同じ包みのものを和樹と秋人がもらっていた。

 秋人のはひとまわりも大きい。

「ありがと、酒元さん」受け取る陽。

「いえいえ、これもりょうちょ~としてのつとめです」

「そっか、部長だもんね」

「えへへへへへ、うん」

 涼は陽に笑ってみせる。

 照れているのではない、愛想笑いとも違う。彼女は星詠組の部長を、これからの自分の生き方に、なにかをみつけたようだ。

 それがなにかは、陽にはわからない。

 でも自信に満ちた笑顔はそれをビシッと伝えている。

「それじゃ、これはわたしから」

 涼の前に立つ陽に、祥子は近づいて青い包装紙にくるまれたものを渡した。陽の手の上に乗るそれは、よくバーゲンセールで目にする包みだった。

「気持ちだから、買ってきたままで悪いけど」

「あ、いえ。すみません、米倉先輩」

「そんなにかしこまらなくったっていいのに。アッキーや和樹クンのように素直にもらってよ」

「はい、すいません」

「またまたー」

 困ったな、陽は祥子に頭を下げる。

 プレゼントをもらうとき、特にバレンタインというイベントで異性からもらうと照れてしまう。

 陽にしてみれば初めての経験だった。

 両親や友達からはもらったことがあっても、それ以外となるとまったくといっていいほどない。

「ありがとう、ございます……」

 陽は頭をかきながら祥子に礼をいった。

 人はどうしていいのかわからないとき笑ってしまうようだ。

 口元の筋肉の動き、顔が火照っているのが自分でもわかる。

 きっと猿みたいに真っ赤になっているだろう。

「ねぇ、なに食べてるの?」

 洋子はベットに座っている和樹に訊ねた。

「チョコ、です」

「バレンタインチョコ?」

「はい、義理ですけど」

「……なんで男の子だけがもらえるの?」

「なんでって……難しいこといいますね。それは多分、そういうお祭りだからじゃないんですか?」

「それが、わからないんだよね……」

 洋子は和樹の隣に腰掛け、腕を組んだ。

「なにが?」

 パソコンの前に座っていた秋人が振り返り、声をかける。その声に涼と祥子、そして陽は洋子の方をみた。

「だって、もらえないんだもん。バレンタインって欧米から来たものでしょ。でも欧米では男からプレゼントを上げるっていうのに」

 ふてくされた顔をしながら、遠目で陽の手の中にある包みをみていた。

 和樹も秋人も二人からもらったチョコレートを食べてしまっていた。

 陽は洋子の視線に気づき、もらったチョコに視線を落とす。

 仕方ない、という顔をしながら祥子からもらった包みを慌てて開けて板チョコを取り出しそれを、

「いただきます」

 口の中に入れた。

「あっ!」

 洋子は身を乗り出して大声を上げた。それにはかまわず、口の中にチョコをお仕込み涼にもらった包みも開ける。

「あーっ!」

 洋子の声を無視して、陽は星形に固めてあるチョコを口の中へ。

「……食べちゃった」

 信じられない、といった顔で洋子は陽をみていた。

 頬を膨らまし、口をモグモグ動かす陽。早く処分しなければならないと思いながらとにかく飲み込んだ。

 どんな味だったのかもわからず喉の奥に押し込んだあと、ホッと安心めいたため息がもれる。

 みんなは陽に目を向けていた。

 予想とは違うことをした、という驚きと困惑めいた顔つきだった。

 その表情に陽が気づくのに時間はかからなかった。

「志水君のケチ! 食べ物の恨みはこわいんだからね」

 洋子はかみつくような口調で陽にいうと、部屋を出ていってしまった。



 ドアの閉まる音が室内に響く。

 彼女の去ったあとしばらく沈黙が続いたが、

「知らないぞ」

 とつぶやく秋人の声が静寂を壊した。

「今のはくみちょ~が悪いんです」

 と涼がいい、

「わけてあげればよかったんじゃない」

 と祥子が。

 そして、

「大変ですね」

 と和樹がいった。

「ぼくが……悪かったの?」

 陽の問いに、みんながうなずいた。

 わかったよ、陽はドアを開けて洋子を追いかけることにした。

 靴を履き急ぎ外に出る、けど渡り廊下に彼女の姿はいない。

 急いでエレベーターに向かって駆け出す。

 やっとの思いでエレベーター前に来ると階数表示のランプが四から三にカウントされたとこだった。

 下に降りるためには隣の階段しかない、そう思う前に足が動いていた。

 途中転びそうになりながらも階段を降りていく。

 三階まで降りたとき、エレベーターは一階についていた。

 それでも走るしかない。

 陽は残りの階段を転がるように駆け降りた。

 マンションの前に出たとき、駐車場の向こうの通りを歩く洋子の姿がフェンス越しにみえた。

「ま、待ってよ」

 息が切れていた。膝もガクガク震え、力が入らない。それでも彼女はどんどんいってしまう。

 陽は膝に手を当て、体を起こす。

 呼吸も身体も苦しいと悲鳴を上げている。

 それでも走って追いかけた。

 駐車場を横に大通りへ続く路地に出て、遠ざかる彼女の背中をみた。

「ま、待っててば……」

 陽は残りの力を振り絞り、彼女の前に回り込んで立ちはだかり無理矢理押しとどめた。

「な、なにするのよ!」

 洋子は陽の手を振り解き突き飛ばす。陽はあっけなくその場に倒れてしまった。

 息ができないほど苦しく、声が出ない。運動不足だなと思いながら、アスファルトの地面に手をつき、身体を半身起こした。

 洋子は陽をにらんでいた。

 なにを言っても許さない、夜の闇ではっきりとはみえない分その意志が伝わってくる。

「あ、あの……ぜ、全部食べたのは……その、悪かったけど、そんなんで、おこんなくても、いいじゃない」

「やだ」

「ち、小さい子供みたいな、こと、いわないで。明日、学食の栗ぜんざいおごるから」

「やだ、許してやんない」

「……わけようと、思ったけど、くれるなら全部ちょうだいって甘粕さんいいそうだったから。ぼくだって、食べたかったんだ。それに、あれはぼくがもらったものだし、いっつも甘粕さんは」

「ゼッタイ、許してやんない」

 洋子の声は静かな路地に響いていた。

 辺りは住宅が並び、大声は迷惑なのに洋子は怒鳴る。

「どうせ志水君はわたしからもらおうと期待してたんでしょ、アッキーもアッキーよ、祥子先輩のお祝いにかこつけて十四日にするなんてミエミエじゃない、どうして男ってみんな意地汚いっていうか自分の都合のことしか考えないの、志水君はそうじゃないって思ってたけど、やっぱり同じよ、だって、だって……」

 最後の方は声になっていなかった。うつむいて立ちつくす洋子は怒っているようにも泣いてるようにもみえた。

 陽はごめん、としかいえなかった。

「あやまらないでよ。わたしは、ただ……志水君からほしかっただけなんだから」

 洋子は慌てて口を閉じ、顔を上げた。

 陽は立ち上がる。

 しばらく黙って洋子をみていたが、

「ラーメン、食べにいこ」

 といった。

 ラーメン? と洋子が聞き返す。

「そう、一緒に食べにいこ。おごるから」

「……でも、だって、祥子先輩の」

「今さら戻りにくいでしょ。それに米倉先輩なら許してくれるよ」

「……うん」

「じゃ、いこ」

 陽はうなずく洋子の手を握り、歩き出した。

 洋子はひかれるまま陽の後をついていこうとしたが、気がつくと隣を歩いていた。

「志水君はなににする?」

「そうだな……」

 頭の中にメニューを思い浮かべる。

 値段が手頃でおいしいのはなんだろう。

「わたし決めた! ニンニクチャーシューメン大盛り」

「じゃ、ぼくはバターコーン」

「ありきたりー」いひひひと洋子は笑う。

「遠慮してよ」陽は目を細めた。

「いいじゃん」

「はいはい」

 しょうがないんだからとため息をつくも、笑って顔を上げる。

 目が合う。

 笑みができる。

 そして、二人の姿が夜の街に消えていく。



「行っちゃいましたね」

 和樹が笑いながらつぶやいた。

「仲直りできたのかな」

 涼は心配そうな声を出す。

「さーて、どうかな?」

 秋人が祥子の顔をみる。

「いいんじゃない、若いんだから」

 フフフと祥子は笑った。

 マンションの五階。

 渡り廊下から二人の様子をみていた祥子たち四人は、戻ってきそうもないことを確認すると室内に戻った。

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