第十二話 さくらのつぼみが膨らむころ

NOTE1

 酒元涼はすこぶる機嫌が悪かった。

 三年生を無事送りだし校内に活気が薄れた月曜日の放課後。

 生徒会議室に文化系クラブの部長が集まり、来年度の予算配分と活動計画、新入生へのクラブ説明会について話し合っていた。

 配られたプリントをみながら、涼は、隣に座る和樹に話しかける。

「かずっちはいいよね、アッキーがいて昨年はどういうことをしたのかっていう情報があって、マニュアルを参考にすればいいんだからさ。うちはそういうのまったくないのよね、場当たり的っていうかさー、くみちょ~に聞いてもどうすることもできない。どこの家庭にもあるクマの置物みたいな、どっちかっていえばなくてもいい感じっていうかクマのぬいぐるみなら好きだけどね」

 少しふてくされそれでいて楽しげにそっと笑う彼女の顔を、和樹はいつもののんびりした猫のような細い目でみていた。

「来月でわたしも二年生かー。アッキー、くみちょ~、洋子先輩は三年生。三年生は受験だからあまり参加してくれないだろうな、かずっちは写真部の部長だから忙しいだろうし、星詠組ってわたし一人だけになっちゃう。さみしいなー、是が非でも一年生を大量ゲットしないと部の存続も危うくなるし~。問題は、山積みだ」

 そうだね、和樹は相づちをする。

「気楽にいわないでよ、わたしは」

 といいかけたとき、

『今週金曜日までに今年度活動報告書を生徒会室に提出して下さい』

 と議長がいい、部長会が終わった。

 みんなが席を立つなか、涼も和樹を追いかけるように席を立ち、のどの奥で止まっていた言葉を彼の背に吐きかけた。

「そんな愛想のない曖昧な言い方してほしくないの、こっちは真剣に悩んでいるんだから」

 和樹は一度振り向き涼の顔をみたが、さっさと廊下を歩いていく。

 その態度、涼は頭にきた。

 急いで追いかけ、両手を広げて彼の足を止める。

「無視しないでよ」

「してないよ」

「無視した」

「……大きな声ださないで。恥ずかしいじゃない」

 和樹は小さな声で言うとうつむいた。二人の横を他の部長がそれぞれの部室に行くため廊下を歩いていく。

 涼は大声を張り上げていた恥ずかしさがこみ上げてきた。

 小さく、ごめん、と言った。

 二人だけとなってから、顔を上げ、和樹は歩き出した。涼もついていく。

「……酒元さんは、なにに困ってるの? 活動報告のプリントのこと、説明会の言葉、それとも活動計画書ですか」

「全部だよ」

「難しく考えてるからだよ、書きたいように書けばいいんじゃないかな。それでもわからなかったら志水さんたちに聞けばいい。はじめからできないって思ってたらできるものもできなくなるよ。一番大事なのは酒元さんが星詠組でなにをしたいのか、ってことでしょ」

 和樹はニッと笑った。

 彼の言うことは最もだった。

 同い年なのに自分よりしっかりしている、秋人を彷彿させる、態度と言葉にいつの間にか安心している自分に、涼は気づいた。



 放課後の理科準備室に陽はいた。

 暗室の前では、秋人が写真部部員を集めてなにやら話している。

 きっと、春休みに撮影に行こうと誘っているんだろう。

 そう、季節は春になっていく。

 陽気も砂時計をひっくり返すように変わっていく。

 窓の外から白い校舎の向こう、薄いブルーを塗ったみたいな空が観える。春の気持ちのする色だ。三月の青に染めたる春景色流るる月日こぼるる星屑。陽は寝言のようにつぶやく。

「いまの俳句?」

 陽の隣にいた洋子が声をかけた。

 彼をのぞき込むよう彼女の顔は、するっと笑みをのせた。

「短歌だよ」陽は笑い返す。

「短歌って季語いるの?」

「いらない。それは俳句」

「あ、そっか。三十五文字?」

「三十一文字、五七五七七」

 陽と洋子は、窓際の壁に持たれ、目を合わしている。

「むずかしいよね。メール書くとき、絵文字だらけだから」

「……限られた中に文字入れるだけだよ。約束事をきめて」

「なにそれ?」

「つくるとき星に関係する言葉をなにか入れるようにしてるんだ。むずかしいけどね」

「歌人、志水陽?」

「そうじゃないってば」

「でも年寄り臭いことすきだよね、志水君って」

 悪気のないツッコミ。

 ムッとする陽。

「それを言うなら日本的だって」

「わたしは、おばあちゃん子だから」

「そうなんだ」

 陽はうつむき窓の外に意識を向けた。

 飛行機の音に混じって鳥の声が聞こえた。

 なんの鳥だろう。

 すーっと目だけを外に向ける感じで、後ろの窓をみようとする、と洋子の顔が視界に入った。

「ひとつ聞いていい?」洋子が訊ねる。「ぼたもち……」

「だめ」

「それじゃこうしない? わたし短歌つくるから志水君がいいなって思ったらおごって」

「……いいよ」

 やれやれ。

 思わずため息が出る。

「よしっ、じゃぁね……こんなのはどう?」

 洋子は、コホンとかしこまった咳をして、即興短歌を披露した。


 水金と地火木土天海王星冥王星も惑星だよね


「おもしろいでしょ」

「それって、ただ惑星の並び順じゃない」

「テレビでいってたのみたのよ。月より小さい冥王星が惑星なのか小惑星なのかってね。結局惑星ってことで落ち着いたの」

「それなら知ってる、二十年ぶりに並び順が「土天冥海」から「土天海冥」に戻ったって。次に逆転するのは二百二十八年後だってね」

「さすがに生きてないなー」

「ぼくも甘粕さんも死んでるよ」

「そうだね」洋子はフフフと笑った。

「そんなにおかしいこと?」

「ううん、ちがう。ちょっとね」

「なに? 教えてよ」

「何気なく思ったの、悪気がないから怒らないでね」

「……うん」陽はコクッとうなずく。

「あのね、わたしね、星にまったく興味なんてなかった。毎晩チカチカ砂粒みたいに光ってるって知ってたけど、べつに観たいとも思わなかった。それなのにさ、志水君が誘ってくれて、星詠組に入ってから自分でも信じられないくらいに星のことに興味もってるの、おかしいでしょ、つい一年前の話だよ、それ考えたらもうおかしくって、笑うっきゃないっしょや」

 洋子はまた笑う。

 陽は、わかるよ、といった。

「ぼくだってそうだよ、星詠組の部長なんかやらされて、いい部長じゃなかったけど、たのしかった。でも一番驚いてることは、こうして甘粕さんと親しげに話してるってことかな」

「そう? 席となりだったし一年のときから購買部に一緒に行ったりしてたじゃない」

「そうだけど、素直になんでもいえるようになったってことがいいたいんだ。だって、そうでしょ、一年前のぼくには、こうして甘粕さんと同じ話題で笑いあうってこと、想像できなかったもん」

 陽もまた笑った。

 そうだよね、洋子はうれしそうに言った。

 いつからだろう。

 人がいままでの自分から見知らぬ自分に変われる時期というのは。

 動物も、植物も、昆虫も、目に見えるような変化、幼虫からさなぎ、そして成虫になっていく。

 脱皮し、色が変わって、跳べるようになって、歩けるようになっていく。

 人間は、体は大きくなっていく。

 身体的な変化もあるけどそれは長い人生の中でごく普通、ありふれたものとして日々の生活の中に埋もれている。

 季節は流れていくのに、毎日はたいして変わらない。

 でも自分達はたしかに育っている。

 たしかに、育っている。

 育っている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る