第九話 りんごが食べたいころ

NOTE1

 十二月に入り、期末テストも終わってから急に寒くなってきた。

 陽は制服の上から紺のコートを着込んで登校するが、首もとや袖口から寒気が忍び込んでくる。

 家を出る前に充分暖まってきたのに。

 陽は呟くが顔が冷気に熱を奪われてこわばっていくのがわかった。通学途中みられるコンビニエンスストアーや本屋、CDショップなどの店頭を着飾る赤と緑の色彩がやたらと目につく。

 そうか、もうすぐクリスマスなんだ。

 一年たつなんてあっというまだ。どこかから、ジングルベルの曲が聞こえている。でもクリスマスが終わると、何事もなかったように新年に向けて飾り立て、クリスマスがあったことすら忘れさせるんだ。

 陽は猫背になりかけた背中を少し伸ばして学校に向かった。



 校門を通り抜け校舎に入り、下駄箱に靴を入れながら和樹は咳き込んだ。 かずっち、おはよーと声をかけられ、振り向くと涼がいた。

 相変わらず、というかいつもながら元気がいい。

「おはよう、酒元さん」

「元気がないねもう一度、おいっすー」

「……おいっす」

「どうしたの? 風邪?」

 涼は和樹の額に手を当て、熱を計る。

「熱はないみたい、でも気をつけた方がいいよ。最近はやってるみたいだし。ウチのクラスでも三人、休んでるから」

「そうですね」

「大丈夫?」

「喉がちょっと」

「アメ持ってるから、ほしい?」

 涼はポケットをまさぐり、手のひらにアメをのせて和樹に差し出す。

 断る理由もない。ありがたく彼女の好意を受けた。

「ありがとう、酒元さん」

「いやーお礼なんて。ひとつ百円だから、同じ部のよしみで税の分は割愛してあげる」

「お金取るの?」

「うん」

「……けち」

「堅実的といってほしいなー。勝兄さんと優兄さんが『これからの時代を生き抜くためには人がいいだけではだめだ。いまの自分にとってなにが大事なのかを明確にし、しっかりと物事を見極める目と状況に応じた臨機応変な行動力、相手とのコミュニケートを取るための語学と最先端の技術を学ばなければいけない』って。わたしみたく、かわいいだけのバカは生きていけないんだって。だからどん欲に知識や経験、いろんな体験して、酒元涼として生きてくんだ」

 和樹は、ポケーと口を開けたまま、涼をみていた。

 それは堅実的ではなく、狡猾的って言うんじゃないでしょうか?

 手のひらにのるアメが、世知辛くみえた。

 


 吐く息とともに、雲がを白くおおっている。

 冴える空気が身体の側を吹き抜ける。

 校庭に、太極拳に勤しむ寺門先生。

 その前に、祥子が歩み寄る。

「相変わらずですね、先生」

「ん? 米倉君か。知ってる人に会って、最初の言葉はそうではないだろ」

「そうでした。おはようございます」

「うん、おはよう」

 風がながれていくような手の動き。

 重さを感じさせない足の運び。

 祥子には、糸のみえない操り人形のように寺門先生がみえる。

「その後、あの子達はどうですか?」

「米倉君、君は心配性だね。君が気にかけなくても、彼らは、彼らなりに進んでいく。人から与えられるもので、役に立つものなんぞ一握りあるかないかじゃ。大いに悩めばいいさ」

「それが教師の台詞ですか?」

「なにかおかしかったか?」

「いえ、悩みは恵み、ってところですね」

 祥子は、うっすら笑った。

 悩みがあるということは確かにすばらしい。自分がどこかに向かおうとしている、現状から変わろうとしている現れだから。

 でも。

 先生、でもね。

 抱え込んだ悩みが大きい場合、それをいつも我慢して、毎日過ごしているときは力にならなきゃいけない。

 でないと自分で自分を壊してしまう。

 切れるという行為は、大人が思っているたががはずれる、堪忍袋の緒が切れるといった切れるとはまったく違う。

 切れるということは、ノンストレス状態における心のメルトダウン。

 便利な世の中だからこそ生まれるストレスは、本人も気づかないところでつもりにつもって、はけ口を見出せないまま、自分が自分を壊してしまう。

 事件になったらそこが爆心地。

 マスコミや情報の流出が周囲に被爆させていく。

 海にこぼした青インクは誰も気づかない。

 空気にばらまく排ガスは目に見えない。

 心に貯まるストレスは自分も知らない。

 見栄で人は救えない。

 見栄で人は生きていない。

 見栄でなにもみえなくなる。

 なにかあったときにはもう遅い。

 起こったときに流す涙はあまりに、さびしい。

 祥子は寺門先生にお辞儀して、その場を去っていった。 



 陽は手袋をしたまま教室のドアを開ける。

 教室に入ると暖かかった。冷凍庫から取り出したパックに入った豚肉が外気にさらされ表面にゆっくり水滴がついていくみたいに、首に汗をかいていることに気がつく。

 感覚が戻りはじめた指で手袋を取りながら陽は、今月から暖房が入るようになってよかったと思った。

 寒いのは苦手なんだよ、誰も聞いてはいないのに陽は小さく呟きながら自分の席で手袋を外し、コートを脱いだ。

「志水君、おはよ~」

 コートを折りたたんでいたところに洋子が声をかけてきた。

「おはよう、甘粕さん。今日も寒いね」

「そだね」

「部活、出る?」

「なにするの?」

「冬休みや年明けの活動について決めようと思ってるんだけど」

 陽はカバンの中のものを机にしまいながら言った。

 洋子は鼻をすすってから、どこかいくなら温泉がいいなと言った。

 カバンの上にコートを置き、それをもって廊下に出ると壁にくっつくように並ぶロッカーから、陽は自分のロッカーを開けて中に入れた。

 洋子は仔猫のようにくっついて陽の側に立っていた。

 そんな彼女をみて、陽はどことなく様子がおかしいと思った。

 元気がない。

 いつもなら「冬季限定、学食特製ぜんざいを食べにいこう」とでも言ってホームルーム前だろうが休み時間だろうが連れまわしておごるように強要してくるのに。おかげで財布がさびしい。

 冬休み、郵便局でバイトすることを本気に考えないといけない。

 洋子は人差し指で鼻をこすり、すすった。

「甘粕さん、風邪?」

 どことなく顔がほてったように赤い。

「わかんない、けどしばれんの」

「インフルエンザが流行ってるって報道してるし、毎年のことだけど。ひどいようなら保健室に行ったら? ついていこうか?」

「ありがとー、志水君ってやさしー」

 そういうと洋子は少し笑った。

「大丈夫なの?」

「うん、平気へーき、このくらいへっちゃらだよ。けど廊下は寒いね。なんかあったかいものほしいな」

「もうすぐホームルームだよ」

 陽は腕時計を指さす。あと五分くらいだ。

「う~ん、缶コーヒーでいいから」

 それくらいならいいよ。

 陽は自動販売機の置いてある購買部に向かって、渡り廊下を小走りする。

 急ぎながら、これが新手のおごらす方法だったら嫌だなと思った。



 昼休みになると空は白い雲に包まれた。

 陽は屋上にあがる。冷たい風が吹き、吸い込むたびに胸がひんやりする。 吐く息が白い。

 両手をポケットに突っ込み、肩をちぢ込ませる。

 十二月に入ってから、すっきり晴れた日があまりない。太陽黒点観測は冬は向かないのだろうか。

「寒いですね、志水さん」

 先に来ていた和樹に声をかけられる。

 和樹はコーヒー缶を飲んでいた。

「こんな寒い日は勘弁してほしいです。太陽もみえないし」

 見上げた空に青色はみえない。

 陽は、そうだねと小さく応え、さっき買ってきた紅茶缶を取り出した。

「羽林君、聞いていい?」

「どうしたんです? 改まって」

「いや、ちょっとね」

 近くのベンチに和樹と一緒に腰掛け、陽は紅茶缶に口をつける。

 立ち上る湯気が、白い息と混ざってひとつになる。

「羽林君は、どうして星詠組に入ろうと……思ったの?」

「なにかあったんですか?」

「いや、べつに」

 不審そうな和樹の目から避けるため、紅茶を一口飲む。

「どうしてなのかなーって思ったから……だけど。言いたくないのなら、いいよ。うん、忘れてくれ」

「べつにいいですけど」

「じゃ、教えて」

 陽の、声のトーンが少しあがった。

「んー、どこから言えばいいのかな。別に星がすきとかってのはあんまりないですけど。写真部の、岡本さんの影響かな。中学校が同じなんです。ぼくも岡本さんも科学クラブにいたんです。そこでいろいろと仲良くなって、その頃から写真を始めていた岡本さんが、『おまえも写真やれ』って言われて。はいそうですかって、やりはじめて。まぁ、あとは志水さんも知ってるとおりです」

「それじゃ答えになってないけど」

「なってませんか? うーん、困ったな。あんまり自分のこと話すの苦手だから……簡単に言えば成り行きです。岡本さんが声かけてきたときは、正直どうしようかなって思ってました。そのとき、『写真を撮ってるんだろ。人を撮る、風景を撮る、決定的な瞬間を撮る、思い出を撮る、いまを撮る。どんなに進歩したって、シャッターは自分の手で切るんだ。シャッターを押す、その簡単な作業が、写真の良し悪しを決定しまうってことはわかってるだろ。数をこなせばいい写真が撮れるってものでもない。写真は芸術、人の作ったきれいなモノ。モノには命がない。いくらきれいに取れても命はないんだ。けど、いい写真ってのは命がある。オレもそんな写真を撮れるようになりたい、だから命がたくさんつまっているモノを撮ってみたいんだ。満足いく写真、撮りたくはないか?』みたいなことをいわれて……星詠組に入ったんです。星って、命そのものですからね」

 和樹は照れくさそうに笑った。

 陽は頭の中で、彼の言った秋人の言葉をくり返してみる。

『写真は芸術、人の作ったきれいなモノ。モノには命がない。いくらきれいに取れても命はないんだ。けど、いい写真ってのは命がある。オレもそんな写真を撮れるようになりたい』

 秋人も和樹も自分の中にある「なにか」に向かって進んだ結果が星詠組だったんだ。

 両手でつかむ紅茶缶の温もりが伝わる。

 自分も胸の中にある「なにか」に向かった先が、星詠組だったのだろうか。

 陽は、紅茶を啜り飲んだ。

「志水さん、どうしたんですか? そんなこと聞いて」

 和樹は陽の顔を覗き込む。

「えっ! な、なんでもないよ、うん」

「そうですか?」

「やだな。ちょっと気になっただけだって。羽林君とはあんまりマジな話、したことなかったからさ」

「そうですね。……また甘粕さんとなにかあったんですか? なにがあったかは知りませんけど、相談ぐらいはのりますよ」

 和樹は一気にコーヒーを飲み干した。

「甘粕さんは、別に関係ないって」

「でも、いつもならそろそろ『なにかおごって』って言いながら現れるのに。今日はまだ、顔をみてませんから」

「ちょっと元気ないみたいで、風邪かもしれない」

「風邪ですか。この前の、双子座流星群を観にいったときにでもひいたんですかね? 急に寒くなったりしますから、気をつけないといけませんね」

「……うん。そうだね」

「元気がないのはそのせいでしたか」

 和樹はニンマリ笑った。

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