第三話 うめの実が熟するころ
NOTE1
昼休みの屋上。
ベンチの上に寝転がる涼は、ちょっとずつ流れる雲を見上げながら校庭にこだまする声を聞いていた。
……こんなはずじゃなかったのに。
頭に浮かぶ言葉をうち消すように、これまでの時間が流れる。
ゴールデンウィークが終わると一年生は植物園に遠足に行った。
戻ってしばらくすると二年生は浜名湖に宿泊研修。
三年生は九州に修学旅行に行ってしまった。
帰ってきたと思ったら体育祭に向けて慌ただしく学校が動き出し、追い打ちを駆けるように月末に中間テスト。
終われば今度は体育祭。気がつけば衣替えもすみ、六月も半ばになっていた。
……こんなはずじゃなかったのに…。
その間、星詠組は一度も開かれなかった。
学校行事に振り回され、それどころではなかったのだ。
もう一カ月あまり涼は陽たちに逢ってない。
同じ学校、校舎の中にいることは知っている。
クラスだってわかっている。
逢いたいという気持ちはあるのに逢いに行けない。
逢ったところでなにを話せばいいのかわからない。
……こんなはずじゃなかったのに。
入学してきたときはどんなことでも頑張ろうと張り切っていた。
勉強も運動も性格も前向きに、積極的に。
でもみんなから「しっかりしたいい子」だって思われたいと願っていた。 いろんな賞とって、家中かざって自分のポテンシャル向上、クラスの人気者になりたかった。
人と同等だけど一歩だけ前で歩いていきたい、そう思っていた。
たった数ヶ月でその考えは崩れた。
理由はクラスの友達から無視されたこと。
次第に無口になっていく自分。
今日という日々は、くりかえしてくりかえして、こんなにもくりかえしてくりかえして、いつでまでつづくのかという言葉は死にくりかえしくりかえして、日はのぼり日はしずみくりかえしくりかえし、朝おきて夜ねるのくりかえしくりかえし逢えないことのくりかえしくりかえしは永遠をおもわせ、造花のようにとまったまま氷づけにされたみたいな日々に変わる。
雲はくりかえしくりかえし流れ、風は吹き抜ける。
明日は限りなく遠い。
ひとりはさびしい。
たくさんの人の中で感じるさびしいは、とくにさびしい。
「元気ないね、酒元さん」
急に視界が暗くなり名前を呼ばれた。
涼は視線を声のした方へ向ける。
陽だ。
彼は五歩ほど離れた所に立ってこっちをみている。
慌てて半身を起こす涼。
「久しぶり……元気してた?」
屈託のない顔。
陽は涼の前に立つとポケットに入れていた手を外に出した。
「久しぶりです……先輩」
ふてくされた顔。涼は陽の顔を観てから床に目を落とした。
「どうしたの?」
どうしたの? と人に訊ねられたときは決まってどうかしている。
そのくせ思わず、「いえ……別に」と応えてしまう。
応えたあとで思い出す。「自分は一体何を悩んでいるのだろう」と自問自答をしてしまう。
まるで心の回路を動かすパスワードのように。
「隣に座ってもいい?」陽は断りを入れてから涼の隣に腰掛けた。
屋上は無意味に広く、風が吹き抜ける。
「ツユだってのに雨降らないね」
「そうですね」
「ツユってどうして『梅雨』って書くか知ってる?」
「……梅の実が採れる時季に降る雨だから」
涼の言葉に残念がる陽。
「知ってたか……じゃあ、どしてツユって言うか知ってる?」
「知りません」
「梅雨前線ははるか西のインドまでつながっててね、インドのタルミ地方ではTu-Liと書いてトゥリという言葉があって(雨が降る、水滴、少し)という意味なんだ。日本のツユという言葉(梅雨、露、つゆしらない)にも通じるところがあるからトゥリという言葉がなまったもの……かな?」
「かな? またホラですか。相変わらずですね、くみちょ~は」涼の口元が一瞬ゆるむ。
「やっと笑った。……なにかあったの?」
「先輩が部会、ちっとも開いてくれないから。忘れ去られたかと思って」
「ごめんね。部長だけどしっかりしてないから」
「そうですね」
きっぱり、涼は言いきった。
こけそうになる陽。
「は、はっきり言うね」
「だってそうだから仕方ないです。先輩、人生流れにまかせてちゃだめですよ」
「……はい」
肩を落としてうなだれる陽を、涼は笑った。
「なんとなくだるいですね」
「酒元さんも?」
二人は互いに顔を見合わせ、さびしく笑った。
ひとりになりたくないときがある。
ひとりになりたいときもある。
ひとりになりたいくせに、ひとりぼっちはキライ、そんな時もある。
孤独な境遇をもった人同士が出会うとき、不思議な絆が生まれるのかもしれない。
「先輩って、かわいいですね」
「はぁ? どういう意味?」
「言葉通りの意味ですけど」
「そういう言葉は女の子から言われたくない」
「じゃ、わたしはかわいいです?」
えへっと笑ってみせる涼。
「はいはい、かわいいよ」と陽。
「どういう意味ですか~?」
「言葉通りの意味だよ」
少しずつ日は高くなっていく。
日差しは肌を痛める。
涼は背もたれにもたれ、空を見上げた。
手に届きそうな雲。
ゆっくりと両腕を突き出す。
「明日は部会開きます?」
「開きたいけど、活動内容がなくて。星は夜しか観えないし、雲が出たらお手上げ。雨が降ったらどうしようもないから」
「ですよね、お天気に左右される部活じゃ、まるで神頼み。天気わかればなぁ」
「そうだよね……天気か」
天気。
その言葉に陽の顔色が変わる。
「明日の部会はそれにしますか」
「それって?」
「お天気さ」
陽は涼の頭に軽く手をのせて言った。
水曜日の放課後。
六人は久しぶりに、理科準備室に集まった。
たったひと月半しか逢わなかっただけなのに妙に懐かしく切なく感じた涼は、浦島太郎が竜宮城から帰ってきて三百年たっていたということにショックを受けた気持ちがちょびっとだけわかった。
秋人と和樹は少し背が伸びていた。
長かった祥子の髪はショートになっている。
洋子はポニーテイルをやめ、短く切っていた。
陽は、昨日と別に変わっていない。
「えっと、お久しぶりです。元気でしたか?」
陽は部長らしく挨拶してみた。
してはみたものの、洋子とは同じクラスで毎日顔をつきあわしている。
先日の体育祭のとき、写真部でもないのに秋人と和樹にかり出されたし、そのとき祥子とも逢っている。
涼にいたっては昨日逢ったばかり。
「……あ、部会を始めますね。えっと、部会のなかったひと月あまりの間、考えたんですけど星詠組は星に興味がある人の集まりですよね。先月、『星空散歩しよう会』をしましたけど街や月明かりで観れなかったです。岡本君のパソコンで観ることができたけど……雨が降ったりくもったりしたら結局観れない。天気に左右される、星を観るのも大変だってわかったと思うんです」
みんなは、そうだよという顔でうなずく。
「それに学校行事や私用なんかでなかなか集まれない。これは仕方ない。活動日を増やせばいいかもしれないけど、星は夜しか観れないんだ。そこで考えたんだ……きっかけは酒元さんが教えてくれたんだけど、星を感じること、楽しむことで一番大切で一番身近なものを僕達は知らないって……気がついたんだ」
「一番大切……で一番身近なもの?」
秋人は陽の言葉を反復する。
陽はうなずく。
「一番身近な……自然っていいかも」
「自然ですか……」
和樹は顔をしかめた。
まるで禅問答。
陽の言葉にみんなは首を傾げるが、祥子だけはすました顔で応えた。
「空、ですね。陽クン」
「はい、さすが米倉先輩」
「空? それがどうしたのよ」
洋子は前かがみになって問いかける。
「そっかー、それで天気なんだ、くみちょ~」
脇から涼が大声でいった。
驚く洋子。
陽はうなずき、みんなに言った。
「星を観ることも空を観ることも同じなんだって気付いたんだ。いつのまにアスファルトの道に舗装されて、いつのまにマンションが建ち並んで、いつのまに人が溢れる明るい街になって、まわりはコンクリートビルの森を、冷たいアスファルトの上を川のように車が走り、星が集まってきたみたいに夜は明るい。自然物は姿を消し、作られた箱庭の中でぼくたちは毎日をおくってる。それが普通、あたり前、自然だって思ってる。生まれたときからジオラマみたいな世界に生きてるんだからそう感じるのもおかしなことじゃない。そんな中でぼくらは首を痛くしてまで星を観る、気持ちを落ち着けるために花の香りを部屋いっぱいに求める。思わず流れる雲と青い空、赤い夕日に目を向けてしまう。これは一体なんだろう」
なんでしょうね、和樹がつぶやく。
陽はうなずいて、「なんだろうね」と口を開いた。
「ぼくらにとって一番大切で、一番身近な自然は空しかないんだよ。その唯一の自然をあまりに知らなすぎるって思ったんだ。ぼくだけがそうなのかもしれない。でも、そう思うってことは、ほかにも同じように知らない人だっていると思う。教科書に書いてある知識じゃなく、本当の姿を知りたい。そこで『青空散歩しよう会』ってのをやろうと思うんだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます