NOTE2
そこは奇妙だった。
チケット売場で入場料を払い、歩いていくと目の前にあらわれる養老天命反転地記念館・養老天命反転地オフィースは、赤や青や黄など壁の色はカラフルで、積み木を組み合わせたようなそうでないような、奇抜な建築物だ。
赤くゆがんだ形のドアを開けて中に入る。さらに奇妙だった。最初に驚いたのは床が平らでないことだ。でこぼこしている。いつもの、平らな道を歩く調子で歩いているとぜったい転ぶ。小豆色した床はどこまでも隆起している。入って左手に受付の机と椅子がみえるのに人はいない。右手にはトイレがあった。秋人が男子トイレに入ってみる。床は盛り上がったり窪んだりしているし、壁は緑やピンクや黄色に塗られていた。便器は家や学校で見慣れているものだったが、この場所がトイレだとは異様に感じる。なんとなく天井をみた。なぜかそこには卓球台がある。トイレからでてきた秋人は、まるでコンピューターが作り出したヴァーチャルリアリティーの中にいるみたいだといった。
部屋の中も変わっている。
膝ぐらいまでしかない、行く手を邪魔するような壁が迷路のように床から生えている。床がでこぼこしているからか、場所によってはその壁が頭の高さまであったり踝ほどになったりする。そうなると、もう壁とは言えない、手頃な椅子に変わる。歩いている感覚がおかしくなりそうだ。涼は上をみる。天井にも床と同じ壁が生えている。自分がいる風景の中に自分の姿が見当たらない。鏡に自分の姿が映らないときっとこんな気持ちになるのかな、涼は不安げに言うから、みんなまで不安になった。
オフィースを出ると、目の前にごつごつした大きな岩が山積みされていた。パンフレットには昆虫山脈とある。
「これはよじ登るんだ」と、寺門先生はわれさきにのぼっていく。
みんなもあとを続いて頂上をめざした。
てっぺんにはどういうわけかポンプ式の汲み上げ井戸が置いてあった。
物珍しげにみるみんなに「昔はこれで水を汲んでいたんだ」得意げに寺門先生は動かした。
のぼった頂上から、正面に、さらに奇妙なものがみえた。
壁だけを組み合わせて作られ、上と下、二段に色分けさえ、屋根にあたる一枚板はパズルのピース、岐阜県、の形をしていた。極限で似るものの家、とパンフレットには書かれ、これがメインパビリオン。他のパビリオンを体験するためのヒントが隠されていますと説明されていた。
右手には、竹林がみえる。不死の門といい、あれが養老天命反転地のゲートだと、パンフレットはいっている。
みんなは昆虫山脈を降りて不死の門をくぐり、極限で似るものの家に向かった。中は迷路のようになっている、なのにどこからでもはいることができた。建物の中には椅子やベット、机やガスレンジなど壁や地面に存在していた。天井をみると、ここも自分のまわりを取り囲んでいる景色をひっくり返した、逆さまの世界がみえた。
極限で似るものの家から出て、小高い丘の方へと歩いていく。大きなすべり台みたいな、よこはばの広い、五メートルくらいありそうな坂に出会う。精緻の塔と名づけられ、壁の隙間から中に入るためにはしゃがみ込んでもぐり込まなくてはいけなかった。
丘を登りきる。
そこからみえる景色に、みんなは驚いた。
巨大なクレーターだ、そう思わせるようなすり鉢状の空間に広がる世界は、みるものに口を閉ざさせ、言葉の無力さを悟らせる。
宇宙のどこか別の時限に来てしまった。
巨大な日本列島がふたつ横たわっている。
花や緑がなぜかすごくきれい。
クレーターの中に小さなクレーターと小山がぽこぽこある。
人が小さくみえる。
小さいけど、また奇妙な建物があちこちにある。
網目のように歩きまわれる道が張り巡らされている。
大きなお皿みたい。
浮かんでくる言葉は、自分がとりあえず意味を知ってる言葉、それを使い、目についたわかったことばかりだ。ここがいったい何なのかはわからない。ここがどういうとこなのかをどうしたら言葉で説明すればいいのかもわからない。説明しようとしている自分に気がついたとき、目にしたことは一度、言葉に置き換えて理解しているんだな。そのことをなんとなく、みんなは感じた。
寺門先生はなにも言えずにいるみんなをみてうれしそうな顔で、
「自分たちで歩き回りなさい、ここはそういうとこだ。十二時には駐車場のところに戻ってきなさい、それからお昼にしよう」
そう言うと、一人であるいていってしまった。
「どうするの?」
と、涼は洋子の顔をみる。
「じっとしててもねぇ」と言いながら洋子は帽子のつばをさわった。
「でもバラバラになって歩くのは……」
祥子は見下ろした。
みんなもみた。
平らなところがないせいか、ひとりで歩き回っている人はみえない。
ひとりは危ないかもしれない。
陽は、チケット売場でヘルメットなどの貸し出しをしていたのを思いだし、「それじゃあ、二人ずつ、ペアをつくってまわろう。みんなぞろぞろ行くよりはいいと思う」と言った。
その意見にみんな賛成した。
「それじゃわたしは……羽林君とまわろうかな」
祥子がそう言うと、和樹はいいですよと応えた。
「じゃあ、アッキーは涼ちゃんと、洋子さんは志水君とで回ることに決まり」
少し早口で祥子はしきり、和樹の手を引っぱって降りていく。
「ちょ、ちょっと……」
秋人は涼と一緒に、祥子のあとを駆け降りる。
「祥子さん。百万の軍隊と百億のお金を積んでもダメっていってませんでした?」
と、秋人がいうと、
「だけど、きっかけは必要よ」
すました顔で祥子は応えた。
降りていく四人をみて、陽は洋子をみた。
「ぼくらも行く?」
「きまってるでしょ、ずっと立ってるわけいかないっしょ」
そう言うと洋子は歩き出した。
後ろを歩きながら陽は、今日の甘粕さんは機嫌が悪いなあと思った。
楕円形にくりぬかれた巨大な窪地には、宿命の家、白昼の混沌地帯、地霊、想像のへそ、陥入膜の径、運動路、切り閉じの間、もののあわれ変容器と、ユニークに名づけられたパビリオンがある。ユニークなのは名前だけではなかった。
宿命の家と呼ばれる窪地の底にあたるところはオフィースでみた小さな壁がまるで廃墟を思わせる。足下がガラス張りになっているところがあり、中をのぞき込むとガスレンジや冷蔵庫らしきものがみえた。その隣、もののあわれ変容器は黒い建物でここにも壁や地面に机やベットが置かれ、側には銀色の逆さ日本地図が横たわり小さな子供がすべり台みたいに滑って遊んでいた。切り閉じの間と地霊は中が真っ暗で手探りでないと進めず思わず頭をぶつけそうになる。運動路は斜面のところに低い壁に囲まれる椅子や家具が並んでいる。椅子に座ってみて、やはり平地になければ座り心地が悪い。想像のへそと陥入膜の径、白昼の混沌地帯はもぐったりかがんだりしながら入ったり出たり。どこを歩いても平らなとこはないし、瓦の道もあったり歩くだけでも大変なところだ。立っているのもつらいところがあり、自然に手をさしのばしてしまう。陽は何度もバランスを崩しかけ、そのたびに洋子に助けられた。そのうち必然的にどこを通るとき気をつけなくてはいけないのかからだがわかってくる。洋子が転びそうになるときは陽はすぐ手を貸した。ここはひとりで歩くには危険な場所だなと洋子も陽も思った。
すり鉢の縁にあたる斜面の上、赤土色した窪地に洋子は腰掛け、つかれたーと、隣に座る陽に言った。
それから両腕を突き上げ、「でも、気持ちいいつかれね」と背筋を伸ばす。
「そうだね、日の光をさえぎるところがないから暑いし、紫外線が降り注いでくるのが心配だけど、風が気持ちいい」
と、話す陽の言葉に洋子はうなずいた。うなずきながら、
「けど不思議よね、こんなおかしくて妙ちくりんなところなのに、どうしてだか、なつかしいって思うのよ。あまりに変なとこにいたからおかしくなったのかな」
思い浮かんでくる疑問を投げかける。
「なつかしい……ねぇ」陽は寝転がる。「昔、小学校のときに遠足があって、山に登ったんだ、のぼって昼になって、お弁当をみんなで集まって食べるとき場所取りをしたんだけど、あそこの広い原っぱがいいとか、そっちの木陰にしようとか、こっちの方が景色がいいってね。ここに座ったとき、そんなことを思いだしたよ、僕はね」
それよ。
急に洋子は大声を上げた。
「そういうなつかしさよ。わたしがいいたかったのは、そうそうそれだって」
ひとりうれしそうにうかれだす洋子をみて、陽はちょっとだけ気持ちがよかった。
「それにしても、誰がここを作ったのかな、奇妙で不思議な場所。まともな人間が考えることじゃないわね。志水君はどう思う?」
「荒川修作って人だよ」
「なにが?」
「ここを考え出したのは。パンフレットに書いてあるよ、世界で有名なアーティストだって」
陽は洋子にひらいてみせた。
「ふーん、知らない。じゃあ、ここってなにか意味があるのかな」
「宇宙をイメージして作ってあるらしいよ、丸い円盤みたいなのが星をあらわしていて、向こうから水星、金星、火星、木星、土星ですり鉢状のこれが地球なんだって、ほら、日本列島があるでしょ」
そう言われてなるほどと洋子は思った。
自分たちが座っている場所がその日本列島の、北海道にあたるところということに気がつく。
「なんでそんなこと知ってるの?」
洋子は感心する様な顔をしていた。
「さっき、あそこに立っている監視員のおじさんに訊いたんだ。荒川って人は宇宙をイメージして作ったんだって、でもここはそういう固定観念でみてほしくはない、それぞれの人がそれぞれの考えを、自由に思ってみてくれればそれでいいって、言ってたんだって」
「その人は今どこにいるの?」
「アメリカに住んでるんだって」
へー、そうなの。
洋子は呟いて陽の隣で寝ころんだ。
空がみえる。
なんかすごい。
ぐるり見渡せる視界の中に収まりきらないほどの空、空、空。
太陽が叫んでいる。
空に押しつぶされそうに思えてくる。それなのに心地よく思える。
いつも空をみているのに今まで出会ったことのないような空が目の前にひろがっている。洋子は手を伸ばす。なんだか簡単につかめそうだ。いつもは狂おしいほど遠くにあるのをみつめているだけ、それだけで切なくなりそうなのに、同じ空をみているはずなのにどうしてこんな気持ちになるのか洋子はわからなかった。
「なんか、いいね」
陽が言うと、
「いいよね」
洋子はなごんでしまう。
「甘粕さん、機嫌よくなったんだね、なにかあったの」
「なんのこと?」目だけで陽を見る。
「朝はなんだかつらそうだったから」
洋子は怪訝な顔でそのことかと呟き、
「日々のしがらみに辟易してただけよ」
もう忘れた、という顔をした。
なにかあったんだなあと陽は思ったがそれ以上は聞くのをやめた。
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