NOTE3

 陽は屋上のベンチに座っていた。

 雲と太陽黒点観測は続いているが、祥子が抜け、洋子と涼は生徒会が忙しくて来れない。

 陽は彼女たちの穴埋めをするため昼休み、毎日屋上にきていた。

 和樹はいつものように「大変ですね」と声をかける。陽は決まって「そうでもないよ」と見栄をはった返事をする。

 空や雲を眺め、風の中に身を置けば現実の慌ただしさから抜け出せる。

 現実のしがらみから逸脱できる。

 午後の授業は自習。

 担任と向き合って相談する日。

 面倒なものはサッサとすませたかったが、陽は二日目、最後から二番目という順番。順番が来るまでユウウツな刻が流れる。

「志水さん、中秋の名月、観ました?」

「いや、くもってただろ」

「えぇ。でも、雲の合間からチラッと観えましたよ」

「ふーん、でもさあ」

「なんです」

「十五夜って九月じゃなかった? どうして十月なの」

「閏月の関係ですよ。旧暦は季節のずれを調節するために同じ月が二ヶ月ある年があるんです。十九年に七回の割合で。今年はそれにあたるんです」

「そうなんだ、羽林君ってくわしいね」

「志水さん、かりにも星詠組の部長なんだから……」

「そーだそーだ」

 ふいに背後から声がした。

 洋子だ。

「中秋の名月は芋名月って言って、おいしい芋を食べるんだから、しっかり覚えとかなきゃ」

 洋子は自慢げな顔で、陽と和樹の前にやってきた。

「甘粕さん、手に持ってるもの、なに?」

「これ? 芋ようかん。今月の購買部限定品。志水君もほしいの?」

「い、いや……べつに」

「そ。やっぱ、お菓子は柿の甘さをこえちゃダメね」

「そーですか」

 陽はため息をつく。それでも少しうれしくて笑みがでる。和樹は黙ってそれをみた。

「ところで話ってなに?」洋子の問いかけに、「僕から説明します」と和樹が口を開く。「甘粕さん。八日の夜、写真部と星詠組合同で流星を観ようって話があるんです」

 洋子はモグモグ、口を動かしながら首をかしげた。

「チリとかが大気圏で燃え尽きて、ってあれ?」

「厳密に言うと、流星物質が通過したあとに残ったガスが発する光ですけど……とにかくその流れ星を観ようって話です」

「一瞬しか観えない、しかもいつ来るかわからないもの観るの? 来週中間テストだし、勉強しないとまずいんだけど」

「大丈夫です」

「なにが?」

「絶対観えます、いっぱい」

 いつにもまして和樹が張り切っていた。こういう子だったかなと洋子は思いながら、そんなに力いっぱい言わなくてもと思う。

「ほんとです」

「なんで断言できるの?」

「僕らが観ようとしているのはジャコビニ流星群だからです」

「コンビニ流星群?」

「ジャコビニです。……まぁ、月明かりもあるし、あまり明るい流星じゃないですけど、対地速度が遅いらしく、蛍か雪が舞うように流れるらしいですから……願い事も、言いやすいですよ」

「ネガイゴト?」

 洋子はだんまりをしている陽に目を向けた。

 陽は慌てて応える。

「流れ星はね、天の神サマが天のとびらを開けて、下界をのぞきみたときにもれ出た光なんだ。その光に三度願い事をすると神サマが願いを叶えてくれるんだよ。昔からよく言うじゃん、三度つぶやけば思いが叶うって」

「またホラ話?」

「考えたのは僕じゃないから……ウソじゃないかも」

「でも三回ってのはきつい。ラジオのお姉さんみたく、早口言葉はうまくないしー」

「言葉を短縮するんだよ。好きな人の名前を三回言えば両思いになるとか、あと動作で願い事をするって方法もあるんだ」

「……なるほど」

「どうします? 甘粕さん」和樹が訊ねる。

 洋子は腕組みをして、しばらく考えてから「涼ちゃんはどうするの?」と聞き返した。

「酒元さんは行くそうです」和樹は応えた。

「そっかあ、そうなんだ……。志水君も行くの?」

「一応ね」

「テスト勉強は?」

「息抜きで行くつもりだから」

「息抜き、ね」

「どうするの?」

「……考えとく」

 洋子はそう言って立ち去った。

 彼女の後ろ姿を陽と和樹は黙って見送った。



 よたび十月二十一日

 特別校舎二階、理科準備室。



 陽は頬杖をついてうなだれた。

「計画したけど結局、雲って中止だったね」

「でもさ『期待された流星ショーはなく、世紀の肩すかしに終わった』って雑誌に書いてあったよ。雲がなくたってあんまし観えなかったさ。来月の獅子座流星群に期待しますか」

 文化祭の写真を整理しながら秋人はぼやく。

「最近、星詠組の活動してないね。志水君」

「しかたないよ、ゴタゴタしてるから。写真部も忙しいでしょ」

「秋はなにかとね。羽林にはいろいろ教えとかなきゃいけないし、大変だよ」

「酒元さんになにか教えなきゃいけにことあるかな?」

「基本的なことは一緒にやってきて知ってるだろうし、来年二年生になったからってオレ達いるわけだから、大丈夫」

「そっか、そうだね」

「それにしても、がんばったよ志水君」

「岡本君がいたからだよ」

「まあ、それはもういいとして……当初の目的、憶えてる?」

「目的?」

 陽はふと思い出そうと頭のなかを捜してみた。

 星詠組を最初につくろうとした理由、いったい何だっただろうか。

 はて?

「カノジョできた?」秋人が言った。

 陽は一瞬何を言ったのかわからず聞き返そうとしながらもそういえばと思い出す。

「そのこと」

「好きな子ぐらいいるだろ」

 秋人の問いかけに陽の顔が赤くなる。

「ほかに聞いてるヤツいないし、正直に言ってみな。甘粕さん好きだろ?」

「ち、ちがうよ」陽は首を振る。

「ちがわないね。顔にでてるよ」

「え? ……うそだ」

「そうかな?」

 秋人は視線を陽に向けた。

 陽は目線を反らす。

「照れんなって。志水君みてたら誰だってわかるよ。もう言った?」

「なにを?」

「自分の気持ちだよ。好きなんだろ」

「……わかんない」

 うつむく陽。

 秋人は思わず「へ?」と聞き返した。

「前は……そうだった。けど、今は」

 陽は下唇を咬みながら記憶をひもといた。



 一週間前

 中間テスト、一日目。



 陽は廊下側の自分の席に座っていた。

 十月になってからクラス委員や各委員会、クラス組織も変わり、陽と洋子は別々のグループにわかれた。洋子はまた窓側の席に座り、クラスの男子たちに囲まれ楽しそうに話をしている。彼女との距離は遠く、アンドロメダ大銀河を眺めている気分。星詠組のこと以外で彼女と話すことはなくなった。

 生徒会長という役職に就いたことで、洋子は変わった。

 明るさの中に知性が、元気の中に落ち着きが現れ、今年の紅葉のように遅れて彼女を素敵に変えさせる。陸上部ではいつの間にか部長を任せられるようになっていた。秋の大会に出場し、好成績を収めたらしい。短かった髪も長くなり、背も伸びた。屈託のない幼子のような顔から大人の顔に変わっていく。一日一日ときれいになっていく。

 いろんな子が彼女に話かけるようになった。

 持ち前の明るさと、裏表のないはっきりした性格が人を引きつける。

 本人もそのことに気がついた。

 自分は変わった。

 今までの自分とちがう。

 周囲の反応を心が感じる、秋という魔法のせいかもしれない。

 洋子は自分が育っていることを体で感じた。

 男子の間にうわさが広まっている。

 彼女には好きなヤツがいるらしい。彼女は誰かとつきあってるらしい。クラス委員とつきあってるらしい。彼女がクラス委員になったとき、男子の大半が立候補した。その中で積極的で明るく、女子の間で人気がある萩原が選ばれた。休み時間、二人してよく話をしている。一緒に帰っているとこをみた人もいる。時々ぼんやり彼を見つめているときがある。お互い気があるみたいだ。おい、来週どうする? 来週って、なんだっけ。彼女の誕生日じゃん。来週だったか、誕生日? プレゼントどうする? どうするって。あげるよ、一応。こういうのは気持ちだからな。そうそう。絶対持ってきて渡すんだ。おまえは別にいいんだって。なんでだよ、オレは持ってくる。オレの印象が薄くなるじゃないか。うるさいな、おまえの方こそやめろよ。ぬけがけはなしだからな、いいか。わかってるよ。いちいちうるさい野郎だな。そうだそうだ。おまえが仕切るなよ。ったく、わかったよ。

 男子がコソコソなにか企んでいる。

 陽は耳を傾け、話の内容を聞いていたが加わろうとはしない。ただ遠くからぼんやり観てるだけ。

 テストの終わった洋子は両の手を突き上げて背伸びをする。

 まわりの友達と話し、笑ったりはしゃいだりしている。

 一瞬、目があう。

 洋子はそっと目を閉じた。

 陽は慌てて目をそらした。

 星がぼんやり明るい夜空を瞬いてみせる、遠く昔の光、けして届かず近づくこともない距離で光ってる、もしその星が流れ星のように近づいてきたら人は逃げ出すだろう。

 陽は彼女から目をそらした。

 再び、彼女に目を向けてみる。

 洋子は机の上にふせりながらプリントをみていた。

 生徒会の仕事だろうか。

 つまらなそうな顔でプリントをみていた。

 やがて、騒がしい教室の中から姿を消した。

 一日目のテストが終わったあとというものはひとつめのハードルを跳越した安堵感と、ふたつめのハードルに挑戦する緊張感が、複雑に絡み、ゴールの開放感を求めている。

 そのための行動。そのための動作。そのための会話。そのための感情。そのための時間。そのための境界。

 突如として教室は動物園の檻と化す。

 その混乱の中に洋子はとけこんでいた。無数の星空の中から特定の小さき光を放つ星を捜すように、彼女をみつけることはすぐにできなかった。

 陽は目をふせ、明日のテストの確認を始めた。

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