第八話 さつまいもが一番のころ

NOTE1

 秋の空はなぜ高く感じるのだろう。

 晴れ渡る朝の空を見て涼は背伸びをした。

 あたたかさとつめたさが交互にくりかえし、階段を下るように冬に近づいている。とはいえまだ寒すぎるというものではない。

 正門をくぐり正面玄関に入ろうとしたとき、ふと校舎脇に立つ寺門先生をみつけた。

 寺門先生はビデオのコマ送りのようにスローな動きで踊っている。

「おはよー、カドっちセンセ」

 涼は近寄って声をかけた。

「……お、おはよう、酒元君」

 寺門先生は苦笑し、踊りを続ける。

「なにしてるんです?」

「太極拳だ」

「変わった踊りですね」

「まあな。星詠組はちゃんとやっとるか」

「モチロン、今月からくみちょ~に変わって私が新しいリーダーなんだから」

「くみちょ~?」一瞬、動きが止まる。

「うん、アッキーとかずっちが準備してる、今晩のこと、よろしくお願いします」

 子供っぽさが抜けないのが彼女の個性なのかもしれないなァ。

 寺門先生はわかったと応え、再び体を動かしはじめた。

 涼はうなづく。

 登校の人の流れに続こうと歩きながら視線をグランドに向ける。

 グランドでは陸上部がトレーニングをしていた。涼はそこに洋子をみつけた。彼女は前を向いて走っていた。どこに行こうとしているのか、どうしてそんなに急いでいるのかわからないが、ただ前を向いて走っていた。

 走り込む洋子の姿は、涼が知っている彼女とは別人に観えた。

 あんな走り方で楽しいのかな、涼は校舎の中に入っていった。



 四時間目の授業が終わると、いきなり涼が教室にやってきて洋子を連れ去り、屋上へと手を引いて走る。

「ど、どうしたの? 涼ちゃん」

 洋子は訳もわからず訊ねる。

 クルッと振り返る涼、少しこわい顔をして言った。

「今日当番です、洋子先輩!」

「当番?」

「観測の」

「でも、今日は水曜日」

「くみちょ~の代わり」

 洋子は「そ、そっか」と小さな声でいった。

「そっか~、じゃないです!」涼の声が響く。

 そうだね、笑いながら洋子は謝る。

「まったく、洋子先輩は」

「部活大変だったから……」

 薄ら笑いを浮かべる洋子。

 涼は眉間にシワをよせ、怒った。

「星詠組も部活です」

 そうでした、と洋子は苦笑した。

「くみちょ~が学校休んでるときに洋子先輩さぼってばっかし、おかげでローテーションがうまくまわんないんだから」

「ゴメン。生徒会の方だってあるんだし」

「私だってあります」

「勉強だって……」

「言い訳しなーい、サッサとやっちゃいましょう」

「は~い」

 洋子は大きなあくびをしながら返事した。



 空は広く雲は数えるほどしか浮かんでいない。

 少しほのかな暖かさ。風はさびしい冷たさ。太陽黒点観測を涼に任せ、洋子はベンチに座っていた。

 頬をあたためる日差しに、まぶたを閉じる。

 遠くで聞こえる鳥のさえずり、犬の鳴き声、校庭の騒ぎ声が風にとけていく。

 洋子は眠る。

 夢の中で思い出す。陸上部に呼び戻され、大会に出るための練習の日々。大会に出るためだけの練習、遅れを取り戻すための練習、生徒会の仕事の合間の練習、ただ走ることがすきなのに、体を動かすことがすきなのに、すきなことをしている気がしない。

『甘粕、何で言われたとおり走らない』

『おまえはこんなものじゃないだろ。一年のときよりのびが悪いぞ』

『こんなことじゃ、どうしょうもないぞ』

 どうしょうもないってどういうことなんだろう。

 ただ大会に出れないだけなのに、ただ走ることがすきなだけなのに、すきなことしてるのになにが悪いの。なんのために走っているのだろう。出させようと騒いでるのは私じゃない。先生たちだ。

『いつまで子供みたいなことを言ってるんだ』

『わかってるだろ、これは君のためなんだぞ』

 大人の都合、大人の勝手、大人の常識。

 そして洋子はあの瞬間を思い出す。

 歓声の中、どよめきかえる声。視界が一瞬反転しかける。

 痛みが体を走り抜ける。

 目に映る、落胆する顔、顔、顔。

 ハードルを跳べず転倒。三日前、日曜日の大会のことだ。辞めたはずなのに、断ったけど結局、強制的に連れ戻されて、すきなことだから、頑張ってきたのに、頑張るほど孤立して、頑張るほどキライになって、言いなりになるのもイヤだったけど、そんな自分を励まして、頑張ってきたけど、本当の私があきらめてしまった。自分の意思とは関係ないところで、自分の存在が学校の一部にされていた。自分は望んでいないのに……。



「寝ちゃだめです!」

 耳元で涼が叫ぶ。

 慌てて目を覚ます洋子だが、ベンチの上に寝転がった。

「寝かせてよ~」

「こんなとこで寝たら風邪ひくぅ~、目ェ、さましてくださいよ」

「ね、眠いんだから」

「風邪ひいて死んじゃいますよ」

「……それもいいかな」

 洋子はうっすら笑みを浮かべた。

「ダメダメダメダメー、だめですぅ、話があるんですから」

「……話?」

 洋子は半身を起こし、涼の顔をみた。

「星詠組は今日、獅子座流星群ってのを観る計画してるんです、三十三年に一度ですよ、いま逃したら若くてぴちぴちしてる私でも今度観るときはおばあちゃんになってるんです、そんなのヤです~、だからみんなで観ましょうよ~」

「涼ちゃん」

「はい」

「そういう話は放課後、生徒会会議が終わったときにくわしく聞くから。いまは寝かせて。いまは……」

 洋子は崩れるようにベンチに寝転がった。

「寝ないでくださいよぉ~」

 容赦なく涼は頬を叩く。

「勘弁してよ~」

「話はまだ終わってません。くみちょ~のことなんです」

 洋子はゆっくり体を起こし、「……志水君なら、まだ学校にきてないよ」と絞り出すように言った。

「アッキーから聞いて知ってます、すみませんけど洋子先輩の方から流星群の観測のこと話してもらえません? 場所はここ、屋上で寝転がってやろうと計画してるんです、カドっちに学校の方に頼んでもらってあるし、段取りはバッチグーです」

「メールで伝えてるんでしょ。だったら」

「読んでないかもしれないじゃないですか」

 この子は知っているんだ、そう思ったから「でも」と甘えた言葉が口から出てきた。

「首に縄でくくりつけてでもいいから連れてきて下さい、頼みましたよ、私は用事があるんで、バイバ~イ」

 涼はそういうと、逃げるように屋上から姿を消した。

 呼び止める間もなかった。洋子はベンチに寝ころび空をみつめた。



 水曜日の放課後は星詠組の活動時間。

 今日の部会は、新聞や雑誌で騒がれ、テレビのお天気お姉さんまでが口にしている今世紀最大と言われる獅子座流星群。

 秋人は簡単に説明をする。

「獅子座流星群を観るにあたって流星群のことについて確認しておこう。まず……彗星って知ってるよね。ほうき星とか言われてるけど、ハレー彗星や百武彗星、ヘールボップ彗星なんか、テレビとかで聞いたことあると思うけどそれらの彗星は、中心核は氷やチリの固まりで、その固まりが太陽風によって融け、中にあったチリと共に尻尾のようになびく。彗星は太陽の周りを大きな楕円を描いて回っていて、通ったあとの宇宙空間に尻尾の残りカスが残される。その通ったあとのチリの中を地球が突っ込むことで流星群がおきるんだ。チリの素になる彗星は母彗星とよび、獅子座流星群の母彗星はテンペル・タットル彗星という彗星。三十二、三年の周期で太陽の周りを回ってるんだ。流星群では多くの流星がある一点から放射状に流れるようにみえ、その幅射点が獅子座にあることから獅子座流星群と呼ばれてる。他にも毎年、ペルセウス座流星群、双子座流星群、四分儀座流星群などの流星群があるんだ」

「つまり」

 涼が秋人の説明を要約する。

「流星は猫と一緒だ。尻尾があって気まぐれで」

「……ま、まぁ、そう言えなくもないけど」

 秋人は苦笑いをしながら説明を続けた。

「多くの流星が雨のように流れる時、流星雨と呼び、流星群が観られる日の中でも、一番多く観られるときを極大という。今回の獅子座流星群は、極大は十八日の午前四時くらいだろうといわれてる。当たり前だけど夜中なんだ。季節的にも外は冷え込むからセーターやオーバーなんかを着込んだほうがいいよね、当前だけど。流星群って言っても星を観るわけだから肉眼で観れる、基本的に道具なんていらない。ただ暗さに目が慣れるまで時間がかかるから目が慣れてくるまで三十分はかかるから最低でも一時間くらいは空を観てたいね」

「先輩は撮影しないんですか?」

 和樹は軽く手を上げ質問する。

「するよ」秋人はあっさり応える。

「ですよね」和樹はうなづく。

「羽林、当たり前だろ。嵐のように降り注ぐと前評判の高い三十三年ぶりの世紀の流星ショー、しかも新月に近く月明かりもない、日本が絶好の観測地点、ここまで最高のキャスティングを用意されたら、撮るっきゃないだろ。これを撮らずして寝てるなんて一世一代のチャンスを棒に振るようなもんだ。曇って観えないかもしれない。街明かりでよく観えないかもしれない。ジャコビニみたく肩すかしで終わるかもしんない。けど、百パーセント、完ペキなんて求めてたらあっという間に歳くっちまう。今この瞬間にやれるだけのことをやるからこそ価値があるんだ。興味があろうとなかろうと、周囲の便乗でもいいから早起きして流星群をゼッタイ観るべきだ」

 秋人の熱弁に和樹と涼を驚かせた。

 秋人は興奮していた。

 星を観ることに興味があるから星詠組にいるのだ。

 星を撮るために写真部にいるのだ。その彼が世紀の流星ショーを前に興奮しないわけがない。

 興奮するなと言う方が無理な話だ。

「でもアッキー、さっき星観るのに道具はいらないって」涼は言う。

「確かに星を観るのに道具はいらない。カメラで記録を取らなくても頭で記憶すればいい。けど星詠組は星を観て感じたことを形にするってこともコンセプトにしてる。ただ観て『よかったね』だけじゃもったないよ。だからオレは写真を撮る。形に残す。羽林も涼もせっかく観るんだから感じたものを形にしたいよね」

 ニヤッと笑う秋人。涼は小さくうなづいた。

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