NOTE3

 一番二番星が瞬き、金星かなといいながらみんなは帰っていく。

 洋子は、ふと陽を捜す。

 視界に彼がいない。

 振り返ると、まだ堤防に立っていた。

「なにしてるの、帰るよ!」

 声をかけると、彼は思いだしたように堤防を降りた。

 洋子の前まで来ると、「ごめん」とつぶやいた。

「なにしてたの?」

「いや、べつに」

 洋子は陽をじっと見る。「あやしい」

「……いっ」

「志水君がそういうときはなにか隠してるときだもんね」

「そうかな……」陽は笑う。

 洋子には困っているようにしか観えない。

 必死になってたてまえのいいわけを考えている、そう思えた。

「あ、そうだ」

「なに?」

「塾があったんだ、それじゃー」

 陽は洋子のもとを逃げるように、通りを走っていった。

 小さく、人混みの中に消えていく彼の背中を目で追いながら、洋子は唇を咬んだ。



 十一時過ぎ。

 河川敷の堤防で、陽は星を眺めていた。

 塾の帰り道、いつもここに立ち寄る。

 街灯も街の光も遠くに光っている。

 オリオン座の三ツ星もくすみかかってきている。

 桜前線も北上し、もうじき見頃となるだろう。

 それだけ暖かくなってきている。

 空が冴えて星がよく観えるのも、もう少しだけ。

 秋の空が青く、冬の夜空が冴えるのは、対流活動が弱まり、地面が湿っぽく、チリやほこりが飛びにくいから。

 春は乾燥していて、ほこりっぽい。

 花粉が飛ぶのもこの季節だから。

 星の光が消えていくたびに、街の明かりがにぎにぎしく観える。

 あの光はかなしい光。

 昔の命をすり減らして作るまやかしの光。

 星があんなに輝いているのは、生きている瞬間の光だから。

 一瞬の景色はきれいだ。

 手を伸ばす。

 星の感触は、わからない。

 星と夢は似ているのなら、ぼくの星はなんだろう。

 ぼくの夢はなんだろう。

 夢の感触とは一体なんだろう。



「なにしてるの?」

 突然声をかけられた。

 驚く陽はのけぞる。

 暗がりでよく観えないが、たしかに誰かそこにいる。

 逃げようか、と思ったがひざが震えて動けない。

 相手はゆっくり近づいてくる。

 よくドラマではこんなとき、一目散に逃げたり、騒いだりするんだろうけど、いざってときはなにもできない。

 声も出ない。

 暗闇から歩み寄る、足音だけが聞こえる。

 下が砂利だから、石を踏みしめる音がよく聞こえる。

 それもだんだん大きくなっていく。

 陽は思わず両手をつきだした。

 途端に、

「きゃっ!」

 悲鳴がした。

 反射的に手を引っ込める。

「なにするのよ、いきなり」

 陽は頬をたたかれた。堤防から転げ落ちそうになるのを両足で踏ん張って堪えながら相手が誰かわかった。

 洋子だ。

 ペンライトをつけて確認する、間違いない。

「いったいなー、たたかなくったって」

「いきなりさわっといてなに言ってるの」

「こっちはびっくりしたんだから」

「そりゃ、おどかそうと思ったから」

 洋子は応えた。

 風はそれほど冷たくはないのに頬が寒いのは夜だからだ。

「志水君って、いっつもここくるでしょ」

「うん。帰り道だから」

「去年も……今頃かな、いなかった?」

「……いたんじゃないかな。でもどうして?」

 夜の堤防、遠く川の流れを見下ろしながら二人話をしている。

 お互いの顔もあまり見えぬままに。

「わたし観たんだ、こうやって両手空に向けてる志水君」

 洋子はバンザイする感じで両手を上にあげた。

「……そんなことしたかな?」

「さっきもしてたじゃない」

「あれね、あれは星を触ろうとしてたんだよ」

「星? そんなことできるの?」

「できたらいいなって」

「ふーん」

 洋子は上を見上げた。

 薄い雲の裂け目に観える小さな星。その脇を光が点滅しながら通っていく。飛行機だ。

「ねぇ、志水君。いつもひとりで星観てたの」

「うん」

「そのときなに考えてたの?」

「いろいろだよ」

「いろいろかー。いっつも考えてることってないの?」

「あるよ」

「なに?」

 問いかける彼女の顔が一瞬はっきりみえた。陽はしばらく考えてから、ゆっくり話し始めた。

「……星の流れおちるのを観て、同じ空の下でまた誰かが死んだって、星が流れ落ちた場所に誰かが生まれたんだって、ぼくもそうやって生まれてきたんじゃないかって。ぼくは別の人生を引き継いで歩んでいくためだけに生まれて、今度はぼくができなかったことを、次に生まれた誰かが引き継いでいくのかなって」

「な、なにそれー」

 洋子は吹き出す。

 陽はかまわず話し続ける。

「ぼくに願いを託した人はどんな人だったんだろう、ぼくが願いを託す人は誰なのか、顔も名前も知ることはできないんだろうけど、これは同じ空の下で続いていくできごとなんじゃないかなって……星をね、観るときたまに思うんだ。人の生き死には別物じゃない、同じなんだって」

「なんか、暗いね」

 洋子のひと言に、陽は顔をしかめる。

「ごめん」

「まあ……でも、そうかもね」

 洋子は星をみつめた。

 あの星がどこにあって、なんと名前がついているのか、どういう星なのかは知らない。

 でも自分じゃない誰かも、同じ場所にいない彼らも、昔も今もこれからも、観られていく星。

 星を観ていると、自分じゃない誰かと会っているみたいに思えてくる。

 自分じゃない誰かが、いまじゃないときに思ったんだ。

 この思いを告げようと。

 自分じゃない誰かが願ったんだ。

 この思いを伝えようと。

 星を観ていると星を観てきた人達の思いが、心からあふれてくる。


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