NOTE3

 洋子は理科準備室にいた。

 向かい側に座る祥子と共に文化祭運営報告をまとめる手伝いをさせられている。

 秋人は暗室にこもって写真の現像中だ。

 洋子は思わず、「はぁ~」とため息がでてしまった。

 ことのはじめは宿泊研修から戻り、二、三日過ぎた五月半ばにさかのぼる。

 秋人が「悪いけど、手伝ってくれないかな」と頼んできたのは体育祭実行計画書をまとめる仕事だった。

 詳しく話を(駅前にできた『くくる』でたこ焼きを食べながら)聞いてみると生徒会副会長である祥子に頼まれたという。その頃、三年生は九州へ楽しい修学旅行中。(おみやげにいただいた『福砂屋』のカステラ。おいしゅうございました)

 洋子は、アッキーはいいように使われてるなあと思い、少し同情し、(そのとき食べたたこ焼きは秋人のおごりということで)手伝うことにした。

 それからというもの……文化系体育系部活報告、校内生活アンケート調査、ボランティア活動記録まとめ、卒業アルバムアンケート集計、あげくのはてには執行部の手伝いまでするはめに。

 おかげで昼休みと放課後はかり出されっぱなし。

 あまりいい気はしなかった。

 でも手伝いをした帰りには、秋人がお好み焼き、焼きそば、ラーメン、大判焼き、五平餅、みたらしだんご、あんみつ……などなどおごってくれた。 それが楽しみで、いつの間にか引き受けるようになってしまった。

 なんでわたしは食べ物に弱いんだー、あたしゃ~。

「それにしても祥子先輩って、大変ですね。こんなにいろいろ仕事しなきゃいけないなんて」

 洋子はシャーペンを口に加えてつぶやいた。

「そうでもないよ」あっさり返す祥子。

「こんな単調でしちめんどくさいのに?」

「うん。大変だなってときは『こんなにたくさん私一人じゃ……できない』って、瞳うるませて色っぽく言ったら男がやってくれるのよ。あまり使いすぎるとイヤミだからローテーション組んでいろんな男にやらせてる。アッキーもそのひとり」

 人は見かけで判断してはいけない、という標語が洋子の頭の中に浮かんだ。

 外見より中身、という言葉はどういう使われ方をしてたんだっけ? 思い出せない。

「祥子先輩って、もっとまじめな人かと思ってたけど、ちがうんですね」

「別に私は地で生きてるよ。ただ、まわりが勝手に米倉祥子は『まじめ』とか『かわいい』とか『頭いい』とかみた目で判断してるだけ。女は髪型とか化粧とか服装で幾通りの自分を演じることができる、女だけの特権。男は単純で子供だから簡単にだまされちゃう。ま、だましてるつもりは全然ないんだけどね」

 ふーん。

 洋子はそれを訊いて思わず納得した。

「洋子さんもそうじゃないの?」

「私? 私はそんなことしてませんよ」

「そう? 購買部にまで陽クン引き回してたのは洋子さんじゃなかったのかな……」

 引き回しって、時代劇にでてくるお裁きじゃあるまいしそんなことしてない。

 購買部へつれまわして志水君におごってもらっていただけだ。

 多少は強制という面も……あったようななかったような。

「あ、あれは……昔のことです。最近はしてません」

 洋子は全力で否定した。

「最近……ね。そのかわり、アッキーにおごってもらってるのね……あれはなにかしら? アッキーとはつきあってるのかな?」

 彼とは仕事の手伝いのお礼としておごってもらっているだけ。

 ギブとテイクの友情ってヤツ。

 別に、おごってくれるのはうれしいけど、それだけ。

 祥子さんの彼氏、取ったりしませんから。

 洋子はニヤリと笑ってみせる。

 反撃開始。

「私も別に。前にも言ったけど、私にとってアッキーは仕事を手伝ってくれるかわいい弟みたいなカンジ。悪く言えばポチね」

「ですよね、はははは……って、先輩がアッキーに頼んだ仕事をアッキーに頼まれてやっている私はポチ以下ですか?」

「ポチ以下です」

 祥子は、顔を上げて、あっさり笑った。

 洋子は苦笑するしかなかった。

 お釈迦様の手の上で調子に乗っていた孫悟空が事実を知ったときのショックがよくわかる。

「そう言えば陽クンって、昔コミックサークルにいたよね」

「よく知ってますね」

「なんかおもしろい話を書く子よね」

「まあ、けど志水君はそこら辺にいる男子と変わりないですよ」

「でしょうね、けどああいう子が文芸部に欲しかったな」

「祥子先輩って、文芸部に入ってるんですか」

「前に話さなかった?」

「いいえ」初耳です。

「あれ? そう。一応部長だったけどね、今は星詠組と掛け持ち」

 洋子は少し感心した。

 はっきりいってそんなに人の重荷ばっかり担いでいたら潰れちゃうのによくも涼しい顔していられるものだ。

 明らかに自分と違う人種だ。

 はじめは誰も同じはずなのに、いつどこで違いが出てくるんだろう。

 やっぱり、食べ物かな?

 プリントに視線を戻そうとしたとき、

「ひとつ聞いていい?」祥子が呼び止めた。「元気ないみたいだけど、なにかあったの?」

 べつに。そう応えながら洋子は脳裏にちらついた映像を無視した。

「ホント?」

 ほんとです、と言葉にしようと思ったが、モノクロからカラフルに映像が変わりはじめ無視できなくなり、「なにもないってのは……嘘ですけど、たいしたことじゃないです。古巣に戻れって」と、祥子にしゃべっていた。

「古巣?」

「いやー今日の体育はなぜかハードルで、炎天下の中、走らされましたよ。こういう暑い日はプールですよね」しゃべりたくない、洋子はそう思っている。

「ま、まぁ……ね」

「ですよね。みんなだらけてたけど、私、走ること好きだから思いっ切りハードル跳んだら陸上部のレギュラーの子よりも速いタイム出しちゃって、いやーあれはまいったまいった」しゃべりたくないのに、と思いながら、洋子は楽しそうに話す。

「それで?」

「それで、横山センセが言ってきたんです『お前は絶対戻ってくるべきだ』って」

「横山先生? 洋子さんって確か以前は」

「陸上部ですよ。昨年、地区大会初出場にして堂々の一位優勝。そして突然の退部。半年間帰宅部を過ごし、今年の春、志水君たっての願いで星詠組に入部。現在副部長で元気に活動中」

 しゃべっちゃった、つっかえが外れたみたいに、洋子は語った。

「知ってる。先生達が騒いでたし……そう、前から聞こうと思ってたのよ。洋子さんはどうして陸上部を辞めたの?」

 祥子は身体を前のめりに、洋子を観ながら訊ねた。

「知りたいですか?」この人なら話してもいい気がする。洋子も前のめりになる。

「興味はあるわね。けど洋子さんがイヤって言うなら無理に聞くつもりはないけど」

「別に隠すような理由もないですし、いいですよ。でも誰にも話したことないな……志水君にも話してないっか」

 あははは、と笑いを浮かべるも、どこか洋子の表情から明るさが抜けていることに祥子は気がついた。

 それを知りつつ、洋子は口を開けた。

「目の前のハードルが跳べなくなったんです」

「ハードル? 今日の授業で跳んだんでしょ?」

「跳べますよ。跳べないのは陸上部の中だけです。先生は跳ばそうとしてくれます。けどそれが逆に私を跳べなくしていくんです」

「どういうこと?」

「祥子先輩、人を憎んだりさげすんだりバカにしたりしたことあります?」

「ある、かもね」

「昨年の大会で出場する二年生の人がケガして出場できなくなったんです、その代わりに私が出ることに急きょ決まって、走ったら一位になった、学校は大騒ぎ、顧問の横山先生も大はしゃぎ、部活のみんなも私もよろこんだ、けど一位になったのは走る人がケガしたからなんですよね、その人が私にあたるようになって、気がつくと先輩達が私を邪魔者扱いして、同じ一年生の子達からも無視されるようになって、一人で片付けとか嫌がらせとか、毎日でした、そんなとき私が肉離れしちゃって、いい機会だからって辞めたんです。部活のみんながたとえ将来立派になっても、みんなから認められるような人になっても、絶対許さない。人を憎んだりさげすんだりバカにするって、こういうことだと思いますから」

 洋子は事務的にたんたんと語った。

 言葉には怒りや憎しみ、哀しみや迷いなどの感情は一切なかった。

 祥子は、そうなの、と言いながら、胸の中に感情を押し止めたのねと口の中で呟いて、洋子から視線をはずし、仕事に専念した。

 手に持つシャーペンをすべらせ、文字を書き綴る。

 その間、沈黙が流れた。

 洋子はしばらく祥子を観ていた。

 窓の外から、風とダンスしながら鳥の歌声が聞こえる。

 その静けさに絶えきれず、口を開ける。

「祥子先輩」

「なに? 洋子さん」祥子は聞き返す。

「今のは冗談、って言ったら信じます?」

 祥子はペンを持ったまま顔の前で手を組み、

「それは、難しいわねぇ」

 と言い、また文字を綴りはじめた。

 しばらく沈黙の時が流れる。

 紙の上をペンが走る音。

 息を吸い、吐く音。ビーカーの水。

 時計の秒針。

 太陽の光。窓の景色。

 揺れる木々。

 胸を打つ心音。

 それらすべてが自分に語りかけてくる、洋子は祥子をみつめ続けた。

 祥子は机の上にペンを置く。

「洋子さん……悲しいお話ね」

「そうですか?」

「悲しいお話は物語の中だけにしてほしいわね。洋子さんが話してくれたことが本当なら、現実は物語よりもつまらないから」

 祥子はニッと笑い、書類をかき集めた。

 うつむく洋子。祥子の顔をみるのがつらかった。

 チャイムは校内に、静かに響きわたった。

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