NOTE2
ビーフシチューを作り終えた祥子は妹に、隣の秋人の家に出かけてくるからと声をかけた。
テレビの前にちょこんと座っている姿は、等身大の人形を彷彿させる。
「わかった」
ぶっきらぼうに妹は応える。
普段は明るい子なのに夕刻になるとなにもしゃべらなくなる。
世界を照らす太陽の動きとつながっているようだ。
父と母は仕事が忙しく帰りは遅い。
去年まで妹は祥子にベッタリくっつき甘えてばかりいたが受験のため塾に通うことになり、家の中は妹一人になった。
友達とカラオケに行ったり、部活に励んだり、自分のやりたいことを積極的にやる子なら開放的な時間を与えられ、誰からも束縛されず自由になんでもできるとよろこび遊び惚けるかもしれないが、妹はそういう性格ではなかった。
どちらかといえば排他的なのだ。
誰も寄せつけない、誰とも仲良くしようとは思わない。
家族の誰からもかまってもらえなくなったことで妹は表情を忘れてしまった。
自分から積極に行動しない妹自身が悪いのだ。
いや、妹のことを一番わかっていながら、なにもしようとしなかった自分の責任だ。
祥子は妹に近寄り、背中から抱きしめた。
「一緒にいかない?」
「いい。祥子にとっては友達でも、わたしにとって他人だから」
「……そう。なにかあったらお姉ちゃん呼んで。隣にいるから、ね」
「わかった」
妹は原稿を棒読みするような口調で応えた。
さびしい姉妹の会話。
肌の触れあいが相手の温もりを伝えるのに、妹はそれを極端に嫌っている感じだった。
祥子は名残惜しそうに妹から離れると、しばらく背中を観ていた。
膝を抱え猫のように背を丸くした姿勢でバラエティー番組を観ている。
観客もゲストもみんな笑っているのに妹は声ひとつたてず観ている。
玄関で靴に履き替えドアを背に立ちながらも祥子は妹の背中を観ていた。
フローリングの床の上に置物のように微動だにしない。
「いってくるね、理香子」
祥子はドアを押し開けた。
秋人はドアを開け、自分の部屋に入った。
パソコンの前に座る和樹とそれを観ている陽とベットの上に腰掛けている涼、洋子、祥子の姿があった。
秋人は机の上にティーポットとカップを六つ置く。
一つひとつに紅茶を注ぎ入れると、みんなにカップを配った。
パソコン画面を覗きみていた陽も、手伝った。
みんなにカップを行き渡ってところで、
「じゃあ志水君、初代部長ということでお言葉を。なるべく短くね」
と秋人がいった。
陽はわかってるよ、という顔をしてうなずく。
「えっと、今日は、米倉先輩が受験合格したということで、みんなで、その、よかったねおめでとう、といいたかったのでお祝いもかねまして……きっと米倉先輩はやりたいことがあってそれをするために行動した結果だから、っていうかもしれないけど、でもやっぱりすごいと思う。えっと、……めちゃくちゃになってきたけど、ぼくの言葉として。じゃ、乾杯」
陽は静かにカップを上げ、一口飲む。
みんなも紅茶を啜る。
とてもじゃないが熱くて一気に飲み干してしまうなんてことをする人はいなかった。だいだい乾杯するのに紅茶を持ってくるのはいかがなものだろうか。なぜジュースとか冷たくて飲みやすいものにしないだろうか。二月とはいえ、夜はまだ冷えるから温かいものの方がありがたいけど。
立ち上る湯気をみながら陽は思った。
紅茶を飲みながら涼が、ちらっと秋人をみた。
なんか食べるものをコンビニで買ってくるよ、と秋人は和樹を連れて部屋を出ていった。
陽はティーカップを持ってパソコン画面をみていたが、自分もいくといいかけたとき、あとは頼むよとウインクしながら秋人に押しとどめられた。
男のウインク、特に日本人には似合わない。
誰かに殴られたようにしかめた顔はどこか機械的で醜い。
映画の中の西欧系男優のするのはコケティッシュで、それでいて星の瞬きのように自然だ。
秋人はそれに似ていた。
ベットの上の洋子は「キザね」の一言で片付け、涼と祥子は笑っている。
「そういえば、アッキーって昔から変なところがあるのよ」
ティースプンで透き通るブラウンの水面を撫でながら祥子は話す。「アッキーと初めて会ったのは十歳のときだったかなあ、ちょうどこのマンションに越してきたときに知り合ったんだけど、両手の親指と人差し指で四角を作ったワクから覗き込みながら『笑ってよ、笑顔を消さないで』って話しかけてきたの。引っ越ししてきてなれない日々を過ごしてたわたしはちょっとくらい顔してたの。変な子って思ったけどアッキーみたいな人っていまの世の中、貴重だと思う」
そうだね、という顔を涼と洋子はした。
「野心も脅迫めいた企みもなく、純真に相手のことを思って声をかけてくれるって、世の中知らないバカなのかもしれないけど子供やってて忘れてたなって思ったもの。年下なのに気の使い方っていうのを頭でわかっている、っていうか、体が覚えている、そんな感じ。一眼レフもって撮影につきあわされたこともあったけど『リラックスしたときが一番いいよ』ってシャッター切ってた。彼の口癖ね。小生意気だけど憎めない、そんな子なのよね」
なんとなくわかる、涼はうなずいた。
そして、
「一緒にいるとき思うのね。頭の中で思っていることがあるでしょ、たとえばのどが渇いたからジュースでも飲みたいなって、そういうとき、口にする前に先に持ってきてくれるの、エスパーみたいになんでもしてくれる、アッキーって」
頭の中でその場面を思い浮かべるような顔をして話す。
「そうかも。わたしアールグレイすきなんだけど、アッキーの入れた紅茶、アールグレイでしょ」
不思議そうな顔をしながら洋子はいった。
「アッキーって気が利くよね」
祥子の言葉に二人はうなずく。
「優しいしね」
「ねー」
「ねー」
彼女たちはお互いの顔をみせあうようにみつめながら笑った。
「ところで涼ちゃん」
祥子が涼の肩に寄り添うようにしながら「アッキーとはどんなつきあいしてるの?」といった。
「あ、わたしも聞きたい。一度聞いてみたかったのよねー」
洋子は悪酔いしているサラリーマンみたいに涼に絡んだ。
涼はわざと照れて「えーそんな、でも」と困ってみせる。そして躊躇しながら陽に目を向けた。
二人の先輩も同じように陽をみて、また涼をみた。
静けさを取り戻した室内で、三人はアイコンタクトを交わし、陽に聞こえない声で涼は話し、二人は聞く。
どっと笑う。
また聞く。
げらげら笑う。
それでも聞く。
今度はベットの上を転げ回りながら笑った。
涼もそれをみて笑っている。
部屋の片隅で、一人のけ者にされた陽は、女が三人そろうと姦(かしま)しいとは昔の人はうまいことをいったものだ、と思いながら笑いに参加できないさびしさを感じた。
女の子だけで話をしているとき、どんな話題をして笑っているのだろう。
想像もつかない答えのでないことを考えながら、陽は紅茶を啜った。
十九時過ぎ。
みんなは秋人と和樹の買ってきた中華マンとジャンクフードを頬張りながら、机の上にあるパソコンモニターをみている。
モニターには横に三つ並ぶ有名なオリオン座が映し出されている。
テレビの天気予報をみるかぎり、一晩中快晴のようだ。
新月も近いから星がよく観える、と秋人がマウスをクリックしながらいった。
モニターには今晩観られるはずの星空が表示された。
「二月といっても冬の星座だ。寒い夜は星の光も引き締まって冴えてるからよく観える。少し勉強しておこう。オリオン座の赤いベテルギウス、こいぬ座のプロキオン、いっかくじゅう座のシリウスを結ぶとさかさのきれいな三角形ができあがる。これを冬空を代表する『冬の大三角』というんだ。この三角形の北にはふたご座ポルックスが光っている。その横にはぎょっしゃ座のカペラがある。オリオン座の三ツ星を北西にのばした先にはおうし座のアルデバランが、そしてオリオン座の白いリゲル。この六つを結ぶと、大きな六角形ができあがる。これを『冬のダイヤモンド』というんだ」
シリウス、プロキオン、ポルックス、カペラ、アルデバラン、リゲルの順にカーソルを動かし、秋人は六角形を浮かばせた。
教科書通りの説明。
だが秋人という人間が、白い箱のパソコンをつかって説明すると不思議と説得力が生まれる。
陽は、洋子が食べるのをやめて食い入るように画面をみていることに気づいた。
涼も和樹も祥子も顔つきが違う。
みんな必死に、聞こうという姿勢になっていた。
学校の先生が秋人と同じことをしても、絶対に聞こうとはしないだろう。
塾の先生なら、仕方ないという気持ちを頭に置いて聞くだろうが。
「十二支の中にウサギがある、ということでウサギ座を観てみよう。ウサギ座はオリオン座のすぐ下にあるめだたない星座なんだ。三等星以下かな。この画面の星座は天文シュミレーションソフトだからよく観えるけど、実際の空だとはっきり観られないし、パッとしない」
何度もマウスを叩きながら、秋人は画面を切り替えた。
ベランダの望遠鏡を遠隔操作しながら、オリオン座の南、ウサギ座をとらえる。
小さな光が点々としている。
よく観ないと見落とす小さな光。
これがウサギ座なんだ、といわれてもいまいちピンとこない。
星座なんてどれを観ても、名前を連想させるような形に並んでいないことぐらいわかっている。
ウサギ座を観てどうしてかわからないがサギな星座だ、と陽は思った。
「あと、二月といったら流星観測かな。一年で流星の数が一番少ないけど空が冴えててきれいなんだ。特に二月の獅子座流星群は天文観測してる人の間では知られてるけどそんなに数ないから根気がいるけどね。今の時間なら獅子座が東の空に顔を出した頃かな」
画面をみながら話す秋人は、マウスをトントンと叩いた。
「月明かりもないから、外で観ない?」
祥子が思いだしたようにいった。
「寒いよ」
秋人が彼女の顔を見上げた。
「わかってる。でもベランダに出てみない? 実際に目にしてみることは大事だと思うよ」
強制にならないように落ち着いた口振りで祥子は秋人に頼む。
今日の集まりは彼女のため、ということを思い出したのか秋人は、
「じゃ、いきますか」といった。
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