22|『習うより、慣れろ』が押羽の信条。
みなさん、今日も楽しく、小説書いてますか?^-^”
さてさて――
つい2・3日まえのことですが…『カクヨム』の公式連載に『フイルムアート社』という主に映画関連の本を出版しているらしい会社が、宣伝をかねて、参加されていることを知りました。
なんだろう?と思ってのぞきにいったら、自社出版物の宣伝のために、物語の創作論などを書かれた文章を掲載しておられました。
しかしながら…方法論が苦手な私には、なにがなんだか…難しくて、さっぱり頭に入りませんでした。(笑)熱のこもった書き方で、その筆者の《やる気》(?)だけはひしひしと伝わってきましたけど…。
いえ…けして、筆者をディスっているわけではありません。
あちらはビジネス。こちらは遊び。そもそも書く目的も、フィールドもちがいます。(気になるかたは、読みにいってみてください)
ただ、私、その文章を読んだとき、ふと、なつかしい気持ちになったんですね。
こんな創作論的なものを、読んでいた時期もあったなぁ…と。
思えば、私も以前は《物語の作り方本》を読んで、必死に勉強したものです。その結果、頭の中が《創作論》情報であふれかえり、物語をつくるうえで一番大切なこと…自分の中から生まれてくる《オリジナルの想像力》が欠落し、凡庸で、つまらない話しか描けなくなってしまったことを、昨日のことのように思い出したんです。
方法論は、プロの人が、たまに読んで頭の中を整理するには、いいのかもしれないけれど、まだ、物語のなんたるかを知らない作家が、読みすぎると、ロクなことにはならないと、言いたいんですね。経験上ね。^-^;
このエッセイの第2話『私の中に物語空間が生まれた理由』でも書いてますが、そのときの私は、ほんとうに『理論』や『理屈』や『マニュアル』にしばられすぎて、がんじがらめになっていました。
そのとき読んだ創作本は、結局、なんの役にも立たず、いまでは、何が書かれていたのか、どんな本を読んだのかすら覚えていません。
しかし、その中で、1冊だけ…心に残っている創作本があります。それは、私が師匠とあがめる『栗本薫』氏の、小説の書き方本でした。
こむずかしい理論は、いっさいナシ!(笑
しゃべり口調で、シロウトの小説をピックアップして、どこがダメか、どこが優れているか、ダメだしするカタチの内容でした。
「けっきょく小説って自分なのよ。自分をさらけ出さなきゃ説得力ないわけよ。でも、自分を掘り下げるって相当シンドイ作業よね。ヘタしたら心を壊してしまう可能性もあるわけだから…うっかり『その性格に問題があるから、おもしろくないんだ』なんて言えないし、言ってはだめ。すごくデリケートな問題なの」と来るわけです。
(注:この言葉は、私が思い出して書いてる言葉なので、正確ではないですが…)
…で。
私が、一番役に立ったのは、彼女自身の小説『グインサーガ』のあるシーンをとりあげて、「もし、このシーンが、一人称だったら、こういうふうになる」と、ご自分で書きかえて、みせてくれました。(ちなみに『グイン』は三人称・神の視点です)
「一人称では、主人公が見たり聞いたりしたこと以外、書けないのがルール。それをどうやって説明するか…そこが腕の見せどころ」だとか…。
そして「三人称」には、「普通の三人称」と「神の視点」があります。それを、「普通の三人称」で書いてみせて、次に「神の視点」で書いてみせて、その微妙な違いを教えてくれました。
それを見たときは、もう、私…びっくりしちゃって。
「すげー!」と思って「この人にはかなわない!一生ついて行きます、師匠!」と、本に向かって手を合わせました、とさ。^ー^
で。それが完ぺきに身についているかといえば…疑わしいですが^-^;スミマセン…
でも、でも、自身の小説『サクラ・イン・アナザーワールド』が、なんとか、小説のカタチを保って、
それは、間違いないことです。
つまり、なにが言いたかったのかというと…。
こむずかしい『創作論』より、実践して見せてくれた、作家ならではのレクチャーのほうが、だんぜん身についているし、役に立つというわけです。作家は、作家に習うのが、一番わかりやすくていいようです。
ここで、ちょっとホテルの話になりますが――ある日、研修生にベッドメイクを教えていたとき、あるホテルマンに言われました。
「押羽さん。そんなにていねいに教えることないよ。ベッドメイクは、頭で覚えるものじゃないからね。まず、やってみる。なんども、なんども、回数をかさねて体に覚えこませるんだ。そうすれば、自然と身についてゆくものだよ」と。「習うより、慣れろだ」と、彼はいいました。
たしかにベッドメイクは、説明するより、一度メイドがやってるところを見せて、それからは、ひたすら実践あるのみ!です。それが一番の上達の近道でした。
スポーツもそうですよね。
とにかく、自分がイメージしてる動きを、なんども失敗しながらやり続けることで身についてゆくんです。
きっと、小説もそうなんだと思う。
とにかく、なんどもなんども、お手本になるプロの小説を読みつづける。
そして、ひたすら書きつづける。
それを、毎日、毎日、やりつづけていれば、理屈を超えて、物語の方からこちらへ語りかけてくるようになる。そうした中からでしか、おもしろい物語は生まれないような気がします。
そういえば、このカクヨムの《読み専》と呼ばれる人たち…たまに、周りの作家に触発されて小説を書きはじめる人、いるじゃないですか。いわゆる《ビギナー》ですけど…その出来栄えたるや、ビギナーとは思えない良作を書いています。
《読み専》さんは、日頃からプロ・アマ問わず、あらゆる小説を読み込んでいる、読書のプロです。きっと、体感的に文章で表現する力が身についているんですね。
まさに、『 習うより慣れろ 』です。
たまに、思うように文章がつむげなくなるときがあって…あれ?文才(←そもそも無いんですけどね・笑)なくなったかな?と思ったときは、まず、自分が大好きなドラマをみて物語のリズムを体感したり、それこそ師匠『栗本薫』氏の小説をひたすら読んで、勘をとりもどすことにしています。じっさい、その方法は役に立っています。
自分の物語が停滞するときは、たいてい、実生活が忙しかったりして、自分のまわりから物語が遠ざかっているときだったりするんですね。つまり、勘が鈍っているんです。
このエッセイの第2話で『映画100本ノック』をして、私の中に《物語空間》が生まれたと書いてますが、これも実践のひとつです。
『 習うより、慣れろ 』です。
もし、創作論なんか、うっかり読んじゃって、頭が混乱しちゃった人がいたら、上で書いてることを実践してみてほしいです。
そうそう。それがいいたかったのです。^-^
ごちゃついた頭をリセットできる、最適な方法…のはずですよ!
やってミソ?(←第2話参照・笑)
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