02|私の中に《物語空間》が生まれた理由

 前回、《自主企画》でエッセイを書いてみたら意外におもしろかったので、調子にのって《第二弾》を書いてみようと思います!今回は、少女漫画家時代に出会った、熱血編集さんとのエピソードです。


               ***


 じつは、私は、恐ろしいことに、漫画家デビューしたとき《エピソード》の意味すらわからない人でした。それで、どーしてデビューできたのか、いまでも謎ですが…とりあえず、ひとマネだけは得意だったので、見よう見まねで描いたものが、たまたまある編集さんの目にとまり、たまたまその内容が彼にヒットしたということじゃないかと思っています。


 最初に担当についてくださった編集さん(O氏)は、私が考えたプロット(あらすじ)を読んで、よくこう言いました。

「きみの物語は《起・承・転・結》じゃなくて《起・結》だね!はじまったと思ったら終わっちゃう…」


 それでも、なんとか2~3年は、敏腕編集さんO氏の知恵をかりて「これ、ほとんどO氏の作品だろ!」と思われるようなものを描き続けていました。

 とくに自分の中に「こういう物語が描きたい!」というビジョンもなく、じつは、漫画家のまえはイラストレーターをしていたので、その延長で描いてる意識もあり、自分を主張することより、仕事をくれるひとの意向に合わせるという…職人気質な考えで描いていた気がします。


 けれど――漫画はイラストとはちがいます。あたりまえですが、ひとに合わせて描くものではなく、作家の個性(世界観)で勝負する世界なんですよね。


 その個性が私にはなく、おまけにストーリーも作れない…O氏に頼らなければ何もできない…そんな作家でした。まあ、それでも、私自身はイラストレーター気分なので、とりあえずO氏と一緒にストーリーをつくり、作画も楽しく(※当時はこまごました手作業が好きだった!若いっていいね!根気があって。笑)、おまけに原稿料ももらえるし、大ファンだった漫画家先生のところでアシスタントもできるし、編集部主催の小旅行に無料で行けるし、年末にはパーティーがあるし、誕生日にはお花が届き、夏にはお中元、冬にはお歳暮が届く…それはそれで《漫画家業界》というものを満喫してたように思います。


 その雲行きがあやしくなりはじめたのは、敏腕編集者O氏が、私の担当からはずれたころからでした。

 いきなり、なんにもないところに、ぽーんと放り出されたような状態になり、なにをどうしたらいいか…さっぱりわからなくなってしまったんですね。


 ふと気づくと、同じころにデビューした作家さんが、すでに雑誌の連載をはじめて人気者になっていたり、逆に2~3作発表しただけで姿を消してしまった作家さんもいたりして…うかうかしてると自分も消えてなくなってしまうのでは?という不安と、あせりと、恐怖…そんなものが自分の中にうずまきはじめます。


 とにかく《売れる》作品を描かねば!

 人気を出さねば!

 連載せねば!


 だが、しかし――O氏に「きみのストーリーは《起・結》だ」といわれた私に、いったいなにができるというのか…

 そのころのことは、じつは、あまりよく覚えていません。

 O氏のつぎに担当についた編集さんのことも、あまりよく覚えていません。

 名前すら忘れてしまいました。(本当に思い出せない!ごめんなさい。笑)


 そして、あるとき、名前も忘れた編集さんから、また新しい編集さんに担当がかわるのですが、彼こそが、私のその後の人生を大きく変えることになる、人生の恩人といっても過言ではない《H氏》でした。彼がいなければ、きっといまの私はいません。そのぐらい、私のぼんやりした人生を変えてくれたひとなのです。


 彼は、少年サンデーの編集部からきた《若ぞう》でした。

 とにかく、やたらと熱血で…私との《初顔合わせ》のとき、彼は、アメリカのベストセラー作家、ディーン・R・クーンツの《ベストセラー小説の書き方》という著作のコピーをもってきて「きみ、まずこれを読みたまえ!」といって渡されたときは、どうしようかと思ったぐらい…とにかく熱血!熱いぜサンデー!という感じでした。


 そのころ、私は、ストーリーという名の迷宮に迷い込んでいて、ほんとうに「こいつやる気あるのか?」と思われてもしょうがないようなプロット(あらすじ)を書いては、とりあえずH氏に見せ、ダメ出しをもらっては、また書き直し、そしてまた見せる…そしてまたダメ出しをもらって、また書き直す…みたいな。


 もう、えんえんと、出口のない《ダメ出し》のループにはまったような打ち合わせが、だらだらと続いていたあるときです。

 彼は、わけがわからなくなっている私に、こういいました。


「きみはいま…過渡期かときだね」

「か・とき…?」

「そう。どうしたら売れるか。どうしたら読者に受けるか。理詰め理詰めで考えすぎて、純粋に物語を楽しむことができなくなっているんだよ。きみ、野球のバッターを想像してみたまえ。理屈や理論で頭ががちがちになっているバッターは、そっちに気をとられて、思うようにバットをふることができないだろ?理屈じゃない。からだが勝手に動くようにならなきゃダメなんだ」

「なるほど…」

「きみ、映画は観るかね?」

「観ます。話題作はかならず観てます!」

「たりないね!」

「は?」

「きみ、実力を身につけたかったら、1年に100本は観なさい!」

「100本!?」

「そう。100本観たら、ぜったいに何かが変わるから。ウソだと思ってやってミソ」

(※《やってミソ》は当時流行ってた《とんねるず》のギャグです・笑)


 そのとき、私は思いました。

「なにをバカなことをいってやがる。映画を観ただけでストーリーがつくれるようになるなら、誰も苦労はしないぜ!」と。

 それでも、そのときの私は、そうとう追い詰められていて《おぼれる者は藁をもつかむ》状態だったので、半信半疑ではあったけれど、彼の提案《映画100本ノック》に乗ったのでした。


 そして―――その日から、私の怒涛の映画漬けの日々がはじまるのです!


 当時の映画レンタルは、DVDではなくビデオの時代です。

 ビデオデッキすら持っていなかった私は、まず、近所の電気屋さんでデッキを買い、それから、その足で近所のレンタルビデオ屋さんの会員になり、1日、少なくとも2本、多いときで4本、ひたすら観つづけました。


 H氏が「1年100本」というなら、私は「200本」観てやる!という、なんだかわからない闘争心に火がついて、やたら燃えていたことを覚えています。


 そして、ここがいちばん肝心なところですが…

 せっかく観るのだから、ただぼーっと観るのはやめようと思って、ノートに感想を書きはじめました。(※100本もみるとなると、重複すると思ったので、その防止策でもあったと思う)


 おもしろかったら、どこがおもしろかったか――つまらなかったら、どこがつまらなかったか、構成的にすぐれた作品は起承転結をつけてあらすじを書き出し、すべての作品にチェックをいれながら、それこそビデオ屋の棚のはじからはじまで、片っ端から観ていきました。


 一例をあげると、


《シンプソンズ・ファミリー》(アメリカのTVアニメーション)

《白蛇抄》(小柳ルミ子主演の、妖艶な、めっちゃ古い日本映画)

《シャイニング》(ジャック・ニコルソン主演のホラー映画)

《ナバロンの嵐》(ハリソン・フォード主演の戦争映画)


 こんな感じで、毎日毎日、一気にみるのです。


 いま思えば、そーいうことができること自体が才能だったのではないか?と思ったりもしますけどね。《疲れ目》もなく、えんえんと画面を見続けられる才能!(笑


 そして、えんえんと1年間みまくった結果、「1年に200本みてやる!」という野望(?)は果たせず、じっさいは142本でしたが、確実に私の頭の中には《物語空間》と呼べるものができあがっていて、なにより《映画》そのものが、それまで以上に大好きになっていました。


 そして映画は、私に、物語のつくり方以外にも、さまざまなことを教えてくれました。

 世の中には、いろんな人がいて、いろんな価値観があって、いろんな人生があるということ。100本に1本ぐらいの割合で《宝物》みたいな作品に出会えること。

 世間で大ヒットしてる映画でも、自分にとってはどうでもいい作品もあり、逆にそれほどヒットもしてない映画の中にびっくりするぐらいステキな作品もあるということ。

 さまざまな角度から世の中をみる、洞察力がそなわったこと。

 などなど――――

 気づけば、理屈や理論ではあらわせない《表現力》が生まれたのでした。


 もちろん、それで、漫画がざっくざく描けて、人気が出たわけではないです。逆に個性があらわれてきたぶん「自分のいる場所はここじゃないな?」という真実につきあたり、中高生向けの『少女コミック』から、OLさん向けの『プチコミック』に移ったり(前回で書きましたが)「自分は少女漫画が好きじゃないな?」という思いにいきついたりと、紆余曲折あり、いまに至るわけです。


 それでも、H氏に《映画100本ノック》を教えてもらわなければ、いま、私はしあわせな気分で小説を書いてたりはしません。

 だから、H氏には本当に感謝しているのです。


 作家や編集さんの頭の中には、つねに《物語空間》と呼ばれる空間があって、それは、その空間があるひとにしかわからない《共通言語》のように思います。

 たとえば、英語が話せるようになるには、それなりに勉強しないとダメだけど、一度話せるようになれば、世界中の誰とでも話ができるツールですよね。

 物語も、それに似てると思う。


 物語は世界共通の言語なんです。

 そう思うだけで、わくわくしませんか?


 そして、それは、生まれながらにして物語にふれてる人は、自然に身についてるでしょうけれど(たまに、そういう人もいる!)、もし…そうでないひとは、一度、この《映画100本ノック》を試してみてください。


 あなただけの《物語空間》が、きっと出来上がるはずですよ!


 やってミソ!(笑

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