漫画家をやめて小説を書きはじめた理由

押羽たまこ

01|漫画家をやめて小説を書きはじめた理由


 みなさん。はじめまして。押羽たまこと申します。

 わたしは以前、少女漫画家をしていましたが、10年ぐらいでその世界から足を洗いました。理由は、絵を描くのが面倒くさくなった、とか、経験不足でアイデアが枯渇した、とか、そもそも少女漫画が好きじゃなかった、とか…複合的にいろいろあって、ある日とつぜん、文字通り『描けなくなった』のです。


 それまでは、どんなにアイデアがでなくて苦しいときも、とつぜん父が他界して悲しみのどん底にいたときも、担当の編集さんに「きみは実力がない」と厳しい現実をつきつけられたときも、わたしの中に「やめる」という選択肢はありませんでした。それは、「いまやめたら、ぜったいに後悔する」という確信があったからです。「まだやれる」「まだ勝機はある」と思っているうちは、人間、努力するんですよね。


 じつは、漫画家をやめようと思ったのは、わたしの作品が、そこそこ人気がではじめ、ファンがつきはじめ、編集さんから「そろそろ連載を視野に入れて作品をつくっていきましょう」といわれた直後でした。


「実力不足」といわれた自分が、将来を期待される作家になったのは、すべて努力したからだと、いまでも思っています。それこそ、本当に、全世界の人たちに胸をはっていえるぐらい、ものすごーーーく努力をしたんですよね。(笑


「連載を視野に」といわれたとき、思いました。

 連載ということは、これから先、寝てもさめてもその作品のことを考え、その物語の登場人物のことを考え、その物語を誰よりも愛さなければならないのだな…と。

 そう思ったとき「ええ…そんなのムリ」と思いました。

 なぜ「ムリ」なのか考えていった結果、やっと本当の自分が見えたんです。

 それは「わたし、少女マンガ好きじゃないよね…」と。


 それから、とうぜん収入の道が断たれたので、アルバイトをはじめました。

 漫画家になってから、ずーーっと座りっぱなしだったので、どうせ働くなら体を動かす仕事をしようと、最初にやったのがオフィスビルの清掃員でした。それから半年後ぐらいに「わたしベッドメイクができる人になりたい!」と思い、ホテルのメイドになりました。そのホテルは現在《パレスホテル東京》という五つ星を獲得したラグジュアリーホテルですが、以前はただの《パレスホテル》といって、開業50年の老舗ホテルでした。まあ、そのホテルのおんぼろなことといったら…(笑


 そのボロボロっぷりは、また、いつか、物語というかたちで紹介したいと思っていますが、とにかく、そのホテルのメイドになったわたしは、いつのまにか、ホテルマンの補佐役として客室課という部署にうつり、ホテルマンの人たちと一緒にすごすことになります。


 そのなかで、わたしは、自分が、じつは天然といわれるタイプであることや、ほうれんそう(報告・連絡・相談)が苦手なことなど、漫画家のときにはまったく気づきもしなかった自分にであったのでした。そして、ホテルにはさまざまな仕事があり、さまざまな人たちが働いていて、それまでに出会った何100倍の人たちに出会い、つながり、ほんとうの意味で《世の中》というものを知ったのです。


 そのころ、わたしの頭のなかには「青年誌で漫画を描きたい」という思いがあり、貯金が貯まったころ、長期休暇をとり、作品を描いて『ちばてつや賞』に応募したこともあります。その作品は一次予選を通過したものの、あえなくボツになりました。

 そのあと、カードゲームなどを手がける会社で漫画家を募集していたので、コンタクトをとり訪問しました。そこの担当の方に「なんでもいいから、おもしろい!と思えるストーリーを3つぐらい考えてきてください」といわれました。

「なんでも、いいんですか?」

 とわたし。

「なんでもいいです!そのへんの植物からいきなり妖精がぼわーーんと出てきて、あらびっくり!…みたいなのでも、いいんです。とにかく、おもしろいものです」

「へえ…!」

 わたしは、がぜんやる気がでてきました。

「ちなみに、いまは、因習ものがはやってるので、そんなのでもいいですよ」

「え?因習?あの…因習ってなんですか?」

 まぬけな質問だと思うでしょうが、ボキャブラリーが貧困な女…それがわたしです。


 その方は、親切に因習の意味を教えてくださり、

「じゃあ、よろしくお願いします」といってわかれました。


 そのあと、まあ、アイデアが出てくるわ。出てくるわ…

「なんでもいいから、おもしろいもの」という彼の言葉は、わたしの中にある物語のセオリーみたいなもの「物語はこうあるべき!」みたいな概念を、一瞬で取り払ってくれたようでした。


 それから数ヵ月後――3本の案件を持って、ふたたび会社を訪問しました。

 1本目は、少女漫画家時代に描いた『白蛇の森』という白へび少年の話を、因習ものっぽくアレンジした作品で「これは、一話完結でもいけるし、連載というかたちにしてもいけるね」と、なかなかいい反応です。

 2本目は、男子校に女の子が潜入するという少女漫画ちっくな話に、バイオハザード的な要素をくわえたホラーです。

 3本目は、中学時代にイジメにあった少女がいて、ノートに名前を書いた人間がつぎつぎに呪い殺されてゆくというオカルトホラーでした。それが、いまこの「カクヨム」に載せてる『キルノート殺人事件』です。(※2023年現在、この作品は非公開にしています)


 なにが言いたかったのかというと―――

 彼は、わたしの作品(案件)すべてに目を通して、こういったのです。

「どの案件も、あなたの世界観が表れていて、すごくいいと思いますよ。ぜひ、進めていきましょう」

「そうですか!?ありがとうございます!」

 思い返せば、いままで「あなたの世界観がでている」といわれたことはなく、じつは、わたしがずっと物語をつくりつづけていて、ずっと手に入れたいと思っていたもの…それは「世界観」でした。自分にしか表現できない、ゆいいつ無二のもの。

 真のオリジナリティ…。

 それを言われたときは、しあわせでしたねぇ…ほんとうに。

 やった!やっと手に入れた!と思いました。


 しかし、次の言葉で、いっきに現実にひきもどされます。

「まずは、絵ですね」

「はい?絵…ですか?」

「あなたの絵、古いですよね?」

「は?」

「これじゃあ…出版社は買い取ってくれないと思うな…」

「はぁ…」


 わたしは、絵にはけっこう自信があったので、そのとき思ったのは、きっとこのラフなスケッチだから古く見えるんじゃないの?ペン入れしたときのイメージを想像できてないんじゃないの?と。(真実はわかりません・笑)


「わかりました!じゃあ、ペン入れしたサンプルを3~4ページ描いて、また持ってきます」

 そういって、会社をあとにしたわたしですが…うすうすは気づいてたんですよね。

 おそらく、サンプルは描かないだろうと―――

「まてよ?わたし、人物はずっと描いてきたし、簡単な背景なら描けるけど、ゾンビになっちゃった少年とか、変身するシーンとか、白蛇とたたかうシーンとか…描けないかも…」


 そうなんです。

 いままで描いてきたのは、かわいらしい少女やイケメン男子ばかり。背景も日常の生活で目にするものばかり。学校、公園、会社、アパート、渋谷の街…そういうものは描きなれているけれど、あやしい実験施設や、あやしい森や、魔物や、呪いなどなど…もし描くなら、イチから猛練習しなくてはならないことだらけ、と思い、「わたし、そこまで漫画スキかな?」と、またまた思ってしまったのでした。


 じっさい漫画家さんは、漫画が好きです。

「他人の作品は影響されちゃうから読まない」という人は多々いますが、漫画という表現方法がとにかく好きで、「大変だけど楽しい!」と思えなければ、漫画家はつとまりません。あと、みなさん、たいてい過去に「この漫画に出会ったから、いまの自分がいる!」というような、心の支えになっているルーツをもっているように思います。


 でも、わたしは、ないです。

 おもしろいと思って読んだ作品は、もちろんたくさんあります。でも、ルーツではない。

 いまのわたしを形作っているのは、おそらく、はじめて世の中のなんたるかを教えてくれた「パレスホテル」とその仲間たち。そして、物語でいえば、ハリウッド映画や、アメリカ産のドラマ、なんですね。

 アメリカ産のドラマはとくに大好きで、『LOST』と『スーパーナチュラル』は延々くりかえし観ていて、すでに、わたしの血となり肉となっているであろう作品ですし『ウォーキングデッド』『ラストシップ』『プリズンブレイク』…すべてに影響を受けています。もちろん映画史に燦然とかがやく『スターウォーズ』も、延々と観つづける作品のひとつです。物心がついたときから『大脱走』やヒッチコックのファンでもありました。


 それが、わたしのルーツ。


 と、いうわけで…漫画の世界から足をあらったときの理由のなかに、「絵を描くのが面倒くさい」という項目があったことを、いまさらながらに思い出したわたしでした。

「そうだった。わたし、とくに漫画が好きなわけじゃなかった…」

 がっかり、というよりは《新たな発見》でした。


 この世から、漫画がなくなってしまっても生きられるんです。わたし。

 でも、アメリカの映画やドラマがなくなったら、きっと生きていけません。

 そういうことです。


 そして、わたしの頭の中にある物語たちは、そのまま4~5年…わたしの頭の中だけに存在してました。


 そんなこんなしてるうちに、開業50年のホテルは、ラグジュアリーホテルにさま変わりし、わたしはいつのまにか、ドリンクの日付チェックをしたり、制服の管理や、事務所の整理整頓や、さまざまな雑務をする人になっていて…あれ?わたし、ただのメイドだったはずなのに…仕事ふえてる?みたいなことになっていて、とにかく多忙で死にそうでした。


 なにがつらいって、睡眠がじゅうぶんにとれないことが、なによりつらかったんです。睡眠不足は、思考を低下させます。わたしの中で想像力がどんどん失われてゆくのがわかりました。いつも、かたわらによりそっている物語たちが、ついに消滅してしまったときには、心にぽっかりと穴があいたようになって、わけもわからずイライラがつのり(年齢のせいもある、きっと!笑)ちょっとしたことで爆発し、

「あの温厚な押羽さんが、おかしくなったわよ!」とウワサされるようになって、

 これは、なんとかしなければ自分がこわれてしまう!と思い、バンジージャンプをする覚悟で「やめます!」と、退職届を出したのでした。


「ま、と、とりあえずです…きっと、また戻ってくると思いますけどぉ…」

 と、一応保険はつけました。(笑


 それが、今年(2018年)の2月の出来事です。


 それから、いままで、ずっとやりたくてできなかったことを、片っ端からやろうと決めて、まず、パソコンのイラストレーター教室に通い、似顔絵描きのアルバイトに応募し、それから…ずっと保留になっていた作品『キルノート殺人事件』を小説として書きはじめました。それから、これも、ずっとノートに書きためていた『サクラ・イン・アナザーワールド』も平行して書きはじめました。

 なぜ、物語の表現方法を《小説》にしてみようと思ったのかといえば、例のゲーム会社のひとが、私のプロットを読んでるときに「この文章表現なら、小説も書けるかもしれないね」と、ぽつりと言ったことをずっと覚えていたからです。


 漫画表現がむずかしくて断念したオカルトシーンや、あやしげな魔物がでてくるシーンも、なぜか文章ならさくさく進めることができて、あらためて文章表現に無限の可能性を見出したわたしは、もう止まりません!小説の虜です。

 こんなに楽しくて、こんなに自由な世界があるでしょうか?


 自分になにができて、なにができないのか。

 なにが好きで、なにが嫌いなのか。

 自分が真に何者であるのか知ることは、簡単なようでなかなかむずかしいことだなぁと、いまさらながら思っています。


 いま、わたしは、しあわせです。

 このままずっと、息絶えるまで小説を書きつづけていたい。書き続ける時間と、たっぷりな睡眠をとる時間が、ずっと続けばいいなと願うだけです。


 わたしが尊敬する映画監督、山田洋次さんが、あるテレビで言ってました。

「女優でもなんでも、いい演技、いい仕事っていうのは、心身ともに健康でないとダメですね」と。悩み事があったり、寝不足だったり、どこか不健康だと、仕事に集中できないからだということです。


 わたしも、そう思います。


 というわけで、みなさんも、たっぷりと睡眠をとって、心身ともに健康で、いい小説を書きましょう!

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