27|『鬼滅の刃』が流行っている理由-2
みなさん、今日も楽しく小説に「全集中!」してますか?
「全集中!ボキャブラリー少な目の呼吸ぅーッ!!!」(だめじゃん・笑)
さてさて、今回は、そんなことで、またまた『鬼滅』について語ります。
(たぶん、好きなんですね。この作品^-^)
思えば去年(2020年)――映画興行収益400億円越えのアニメーション作品ということで話題になり、なんか面白そうだなぁ…と思いつつも、混雑した映画館に足を運ぶのは怖いし…ま、どうせすぐテレビでやるし…と、思ってスルーしていたこの作品。『鬼滅の刃-無限列車偏』!
やっとテレビで放送されました!うれしい限りです。*^-^*
オリンピックの開会式ぐらい、そわそわしてしまいました。(
美しい映像、迫力のバトルシーン、魅力あふれるキャラクターたちの躍動! いまのアニメーション技術って、本当にすごいんですね! 作品にたずさわるスタッフチームのレベルの高さが伺えます。それだけみても、みんなが大絶賛している理由がわかります。
でも、この作品が、これだけの人たちに愛される理由は、そんな単純なことではないように思うのです。ストーリーが面白い、キャラクターが魅力的。そんな作品は過去にもたくさんあり、どれも大ヒットしたとは思いますが…ここまで全国区に、全世界に、老若男女に愛された作品って、かつてあったでしょうか?
いや、あったのかもしれないけれど(笑)わたしが知る限りは、子供が見るアニメで、ここまで大人の心もワシづかみにする作品を見たことがありません。(だって、おじいちゃん、おばあちゃんもファンになるんですよ?すごくないですか?)
なので――ひとりの作家として、この現象は、なんだかとっても心をざわざわとさせる現象で、放ってはおけないというか…解明せずにはおれない気持ちでいっぱいなのですね。^-^ もちろん、うれしいざわざわです。
「すっげーよ! なんだかわからんが、あんた、すっげーことやってるよ!」
という…原作者に対する気持ち…でしょうか?
アニメスタッフも、もちろんレベル高いですし、この原作をより高みへ導いてくれてるのは、アニメスタッフだと思いますが、なんにしても《原作》あってのことです。
原作者の思いが強くあって、それに心を引っぱられて、まわりが動いてるわけで(そこにはビジネスもあるけど、今回それはこっちへ置いときましょう)やはり原作者の思い…この作品に込めた《思い》が、ここまで多くのひとたちを魅了しているんだろうなと、押羽は思ったわけなのです。
***
さて――以前、簡単にこの作品について、流行っている理由を書きました。『家族問題』が描かれていることや、そここにお笑い要素もあって、娯楽として存分に楽しめるのがこの作品の面白さだと。(※個人的には『鬼滅』のお笑いシーンが大好きです。伊之助の《お粗末な夢》かわいくて、めっちゃ笑った!)
『無限列車偏』を見終わっても、やはり同じように思います。
『家族問題』『家族の絆』は『鬼滅』に欠かせないテーマです。(お笑いも)
で。
老若男女が、この作品を面白い(感動する)という理由は、そこここに、生きるための心構えや、明日を生きるヒントが散りばめられていて…そこに共感し、心をゆさぶられるからなんじゃないか?…と、今回の『無限列車偏』や、『炭次郎・立志偏』をシリーズ通してみてみて、やっと明確に見えた気がしました。
この物語に登場する個性豊かなキャラクターたちは、みなそれぞれにつらい過去を背負い、心に傷を負った人たちだったりします。その傷のカタチも様々。
きっと、誰がみても、どれかの人物に共感できる仕組みになっている。
炭治朗とケンカしたり笑ったりする仲間たちは、小学生にダイレクトに共感を呼んでいるでしょうし、柱たちの存在は、会社という組織に属している人は、みな、一様に共感できると思うんです。
彼らが発する言葉や、ゆれる感情や、態度は、ふだんの日常生活の中でふと感じる思いだったり、言葉だったりするんですよね。とにかく、登場人物たちの言動が深い。
そこそこシアワセな人は、炭治朗たちががんばっている姿に、「よし、俺もがんばろ!」と思えるし、絶望のどん底に突き落とされている人は、「心を燃やせ!」という煉獄さんの言葉に激しく心を突き動かされると思うんです。
どんな境遇の人の心にもひびくようなエピソードであり、セリフであり、人間が生きてゆくうえで一番大切なこと…『生きる力』を与えてくれる。
全編を通して、原作者の人間への愛情を強く感じます。
心に傷を負った子供たち、心をなくした大人たち…すべての人に生きるチカラを与えようとしている。
「こう思ったら、もっと上手に生きられるよ」
「勇気を出したらいいことあるよ」
「だから、がんばって生きようね!」
そんなメッセージが、全編にちりばめられている。
それを、説教がましくなく、ワクワク・ドキドキの娯楽作品の中に閉じ込めて、感動の物語の中で、炭治朗の言葉になったり、煉獄さんの言葉になったりして伝えているんですね。
で。私、ふと――思いました。
本来、物語とは、そういう役割りを担っているものではないだろうか、と。
ちょっと話が飛びますが…。
現代人は、宗教を持たない人が増えました。
形式的に風習はつづいていますけど、心底信じて、お祈りしたり、お参りしたり、心のよりどころとしている人は少ないと思います。
昔は、宗教が生きるためのヒントや、知恵をさずけてくれました。
「こう考えたら、楽に生きられるよ」
「神様のいうとおりに生きたら、しあわせになれるよ」と。
人間には、こんな時代でも、宗教が必要です。なにかを信じ、その教えを心のよりどころとして、日々の生活の《支え》にして生きています。
それは、大好きなミュージシャンの曲かもしれないし、恋人の言葉かもしれないし、尊敬する誰かの言葉かもしれないし、小説の一行かもしれません。とにかく、なにかを《指針》としてブレない生き方をしたいと、誰もが望んでいるのです。
『鬼滅』も、その役割りを担っている。
人間は、無意識に、そういうものを探しています。
そして「これだ」と思ったものに寄ってゆく生き物です。
『鬼滅』は、多くの人の「救われたい」という気持ちに答えてくれる《バイブル》なのでしょう。
物語とは、本来そういうものです。
私は、もう、いいかげん大人で、心も安定していますから、『鬼滅』をみても「おもしろーーい!!!」で終わってしまいますが、読者の心をワシづかみにするテクニックとして、大いに学ばせていただきたいです。
自身の小説の中でも「生きる」「生き延びる」ことはひとつのテーマになっています。最近、とくに思います。けっきょく、人間の最大のテーマって『生きる』ことなんですよね。誰もがいつかは『死ぬ』以上、死生観に興味のない人はいませんし、どんなカタチであれ、生きていれば何とかなる!(アバウト・笑)
それは作家として、誰もが行き着くテーマなのではないでしょうか。そんな気がしています。
『無限列車偏』でも、がっつりと『生きる』がテーマになっていますし…ね。
ラスト、泣きました。(
‘あの人’の言葉では泣かなかったんですけど、炭治朗のけなげな言葉に心うたれて泣いてしまった。よもや、よもやだ。
しかし、こんな大傑作アニメですが、ひとつだけ――最大の疑問がありまして…。
そもそも、鬼って昼間はどっかで寝てるんだよね?…ってことは、吸血鬼みたく、日中に寝込みを襲えば、簡単に殺せるん…ちゃうの?^-^;……???
…なーんてことは、いっちゃだめだ。ぜったいに!
「だって、少年漫画って、そういうものだからぁぁーーーッ!!!そして、おまえの小説だって《穴》があるじゃないかって、言われそうだからぁーーッ!!!笑」
はい。最後、炭治朗風に叫んで終わりにします。ね。
ちゃんちゃん♪
(※今後の放送、楽しみですね*^-^*)
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