14|漫画家デビューは、1日にしてならず②

 みなさんも経験してるの気分――

 そう、それは《受験》…なのです!


 試験は終わったものの、合格か不合格か…いったいどっち???みたいな。

 いやですよねぇ…あの感じ。


 ここから、ちょっと横道にそれますが――

 私、高校入試のとき、中学の担任の先生に、

「きみの偏差値、微妙なんだよねー。都立高に入れるか否かは、50パーセントの確率。つまり五分五分だね…」といわれてたのね。


 ウチは貧乏だったので《すべりどめ》なんて受けさせてもらえません。

 都立高、一発勝負っ! そりゃあんた…ハラハラ・ドキドキですよ。

 しかし、父は、このエッセイのあちこちで書いてるとおり、O型気質の、のんびりアバウトな性格なので「まあ、落ちたら落ちたで、いいじゃないか。定時制なんて便利な高校もあるんだからさ」と、涼しい顔です。(なんて親だ…泣)


 合格発表の日まで、私は、スリルとサスペンスに満ちあふれた日々を送っていました。「もう、こんな経験は二度とするもんか!」と思っていたのに…のちのち、こんな場面で、二度目の経験をするハメになろうとは…人生って、ままならぬものですね。^-^;



               ***



 さて――話をもどします。


 編集O氏と、小学館ではじめてお会いしたとき、じつは、もうひとつの作品を持参していました。


 その作品、じつは、『少女コミック』用に描いていたものではなく、『プチフラワー』という、ちょっと文学よりの(?)少女漫画誌がありまして、そちらへ投稿するために描いていたものでした。とうぜん、作品のカラーも違うので、それでデビューできるわけはないな…と思いつつ、O氏に言われるまま、『少女コミック』ではない、べつの『新人コミック大賞』という小学館の漫画雑誌を総括した、半期に一度のでっかい賞に出すことになりました。


 その『新人コミック大賞』、大賞賞金は、なんと100万円!

「ええ!? す、すごい賞ですね…100万円ですか!?」

 ビビってる私に、O氏は、しれっとひとこと。


「100万円はただのディスプレイ(広告塔)です。まず、誰もとりません・笑」

「ディ、ディスプレイ…」

 そう…世の中って、こういうこと。^-^


 さて――その後…。

『新人コミック大賞』に出した作品は、いったん忘れて、O氏の指導のもと、次に『少女コミック』に投稿する作品を模索しはじめます。

 第2話でも書いてるとおり、私のストーリーは『起・承・転・結』ではなく『起・結』だし、とくに「これが書きたい!」というこだわりも、情熱も、こころざしもなかったので、O氏に「プロになりたいです!」と宣言したものの、正直、どうしたものかなぁ…と思い悩んでいました。そんな矢先に、O氏から連絡がはいります。


「押羽さん。デビュー決まりました!」

「え…?」

「あの『新人コミック大賞』に出してた作品が《佳作》に入りました」

「ほ、本当ですか!?」

(※その賞の《佳作》はデビュー決定なのです)


 それは、本当に――誰かのドッキリか…そうじゃなかったら、神様のイジワルか…とにかく、予想外の展開に自分のこととは思えず、1週間ぐらい、なにも手につかず、気もそぞろだったことだけ覚えています。まさか、あの作品で?という…。


 その《受賞作》が、どんな作品だったのか、ちょっとここで紹介します。

(かなり、恥ずかしいんですけどね…*^-^*)


 タイトル:

『ちょっとBLUEブルーなシスターボーイ』(30ページ作品)

 ストーリー:

 反抗期ど真ん中の主人公《トオル》は、転校先で、お世話好きなクラスメート《ゲンイチ》に出会う。《トオル》が転校してきた理由は、前の学校で問題を起こし、退学になったから。その問題とは、ずっと《トオル》に色目を使っていた男性教師と学校内でセックスしてしまい、それが発覚したからというものだった。

 *

 そのウワサは、転校先にも知れわたり、生活指導室でカウンセリングのようなこともさせられ、クラスの腐女子たちに、コバエのようにしつこくされ《トオル》はまたそこで、女子のオッパイをつかんだりして問題を起してしまう。

 *

 そんな中、普通に接してくれたのが、クラスメイトの《ゲンイチ》だった。

 じつは、彼は、ゲイに対してアレルギー体質を持っており(触れると卒倒してぶったおれてしまう・笑)、《トオル》がゲイなんじゃないかというウワサが流れる中、とうぜん《トオル》にはかかわりたくない彼だったが、彼の性格上それはできず、つい、世話を焼いてしまったのだ。

 *

 ある日、体育の授業中、《トオル》のうしろで、また、心ない男子が《トオル》のウワサ話をはじめ、間接的なイジメがはじまる。《トオル》はまたそこで事件を起こしそうになるが、寸前のところで《ゲンイチ》が《トオル》を抱きかかえ、その場から逃走。

 *

 屋上に逃げたふたり。

 とうぜん《トオル》に触れてしまった《ゲンイチ》はアレルギーが出はじめる。

 それを見て《トオル》はひとこと。

「俺…べつに、ゲイってわけじゃないんだけど…」

「はぁ!?」

 *

《トオル》が前の学校で教師とセックスしたのは、世の中になんの疑問ももたず、反抗もせず、生きてるのが当たり前のような顔をしている《ひつじ》のような連中に、一泡ふかせたかったからだった。

「でも…」

 と、《トオル》はいう。

「もう、こんな淋しい思いをするのは、やだよ…」

 そのとき《トオル》は涙を流し、はじめて素直になれた瞬間だった。

 *

 世の中にたてをつけば、たてをつくほど、どんどん自分が追い込まれていってしまう。疎外感が生まれ、孤立してしまう。その淋しい気持ちを救ってくれたのが《ゲンイチ》で、彼に出会って、《トオル》は、人とのつながりの大切さに気づいたのだ。

 *

 屋上で、ふたり並んで、寝そべりながら、たわいのない話をするふたり。

 そのふたりの間には、友情がめばえていた。 

   

               ―END―


 …っていう話です。*^-^* 長くてすみません。

 でも、ストーリー構成が、ちゃんとできてる話じゃないので、どうやっても簡潔にまとまらないんですね…。これは、いまの自分が書いてる文章だから、わかりやすく説明してますけど、じっさいの漫画は、もうちょっと不親切です。(笑


 でも、なぜか《佳作》(賞金30万円)に入り、めでたく(?)漫画家デビューすることになりました。勝因はどこにあったのか…いま、あらためて考えてみると、ふたつの要因があげられると思います。


 ひとつは、この作品もそうですし、おそらく、O氏に気に入ってもらえた《ラブコメ》もそうだったと思いますが、『キャラクターが立っている』ということだと思います。


《トオル》と《ゲンイチ》の関係性は、たしかに面白いです、よね?

 なにをしでかすかわからない反逆児の《トオル》と、それに振り回されるお人よしの《ゲンイチ》。見てて飽きないコンビです。重い内容ですが、このキャラクターによって、暗くなりすぎずエンターテイメントに読める。そこがよかったのかなぁと、思うわけです。


 そして――もうひとつの要因。

 じつは、それこそが、作家デビューするすべての人に共通していると思っている、《感受性の爆発》がぎゅっと詰めこまれていたからだと思います。

 このことは、いま、プロを目指している作家さんたちに、本当に言ってあげたいことなので、ちょっと掘り下げちゃいますね。



               ***



 私は、ずっと、バカから脱却するために本を読んでいました。

 本を読んでいると、だんだん「そもそも自分って、なに?」とか「世の中って、なに?」とか…いままで何気なく過ごしてきた日常に《疑問》がうまれはじめます。


 いまでも、もちろん《疑問》はたくさんあるけれど、それなりに答えを見つけられているので、それに対してもがいたり、あがいたり、あせったり…そういうことはほとんどなくなりました。それが人間の成長であり、よく言えば「大人になった」ということで、悪くいえば「感受性がおとろえた」といえると思います。


 だからこそ、それを呼び戻したくて、いま現在、喜怒哀楽のつまった、心が揺れうごく物語を書いているともいえるんですけど…ま、それは、こっちへおいといて…。


 当時の私は、とても多感な女子でした。

 世の中を不信に思ったり、人を信じられなくなったり、そもそも自分自身、コンプレックスのかたまりで、心の中は、けっこうぐちゃぐちゃで、それでも、世の中の真実を探して本を読んだり、哲学的なことを考えたり…いろいろ、もがき苦しんでいたんですね。


 当時、私はよく友人に「私ね。目からウロコが落ちる経験をしたの!」と興奮して話すことが多く、あちこちの場面で《目からウロコ》状態がたくさんありました。

 それは、たとえるなら――

 ヘレン・ケラーが、《水》という物質に名前がついていることに、とつぜん気づき、井戸のまえで『ウォータァァーーー!!!!』と叫ぶ…その「あああ! わかったぞぉぉーーー!!!」っていう…その感覚に似てると思います。

(ヘレンの喜びには叶いませんが…ね)


 それを、宗教的にいうと《気づき》というらしいです。

《気づき》は、誰かに教えられたり、さとされて学ぶものではありません。

「世の中ってこういうものだよ」と、何千回言われても、人から言われた言葉は、ただのアドバイスであって《気づき》とは違うのです。


 ヘレンも、ずっとずっとサリバン先生に「物には名前があるのよ!」と教えられ続けますが、彼女の心には届きませんでした。自分で気づいたときに、「ああ、そうだったのか! サリバン先生は、それを言いたかったのか!」と理解します。


 当時の私は、《感受性》のかたまりでした。

 ちょっとしたことで、落ち込んだり、傷ついたり…舞い上がったり、喜んだり。

 まぁ…躁鬱症ともいいますけどね。^-^;


 でも、そのおかげで、ヒリヒリするような感覚を、作品の中に閉じ込めることに成功し、それを感じ取ってくれた審査員の漫画家さんたちが、

「お! この新人はなにか持ってるぞ。もしかしたら将来、化けるかもしれないぞ…」と期待して、《票》を入れてくれたのだと分析するわけです。


 コンプレックスだらけだった自分の過去を捨てて、変わろうとするとき、成長するときに、そのタイミングで物語を創作すると、かなりの確率でデビューできるような気がしています。きっと、その物語に《魂》が宿るのだと思います。


 もし、いま、これを読んでる人の中に、そういうヒリヒリした感受性をもてあましている人がいたら作品を投稿してみてください。デビューできるかもしれません。(※もちろん、技術的なレベルは、ある程度達してる必要はありますが)


 さて――その《受賞作》でデビューすることになったわけですが、その作品、なんと、無謀にも『少女コミック』に掲載されることになりまして…。^-^;


 いやいやいやいや…や、や、やめなはれーーーッ!(笑


 およそ、少女漫画とはかけ離れた《問題作・笑》を、ラブコメとお花とキラキラで彩られた雑誌に載せるなど、前代未聞もいいとこです! きっと、まわりも、そうとうザワついたと思いますが…O氏いわく。


「だって、しょうがないよねぇ。『少女コミック』の作家だしねぇ。他の雑誌に載せるわけにいかないもんなぁ…ははは^-^;」

「そ、そうですよねぇ…ははは^-^;」

 私も、O氏も、編集長も、果ては読者までもが、苦笑い…っていう…。


 そして、2ヵ月後――めでたく(?)掲載されちゃいまして…。

 嬉しくないといえばウソになりますけど、複雑な心境でもありました。


「ごめんね。ごめんね。こんな場違いな作品で!汗」と、『少女コミック』を買ってくれた少女たちに、遠い空から謝罪しましたとさ。めでたし。めでたし。



               ***



 こうして――私の漫画家人生はスタートしました。

「私、少女漫画、向いてないんじゃね?」と思って、やめるときまで、約10年間…長いといえば、長い年月ですけど、私にとってはあっという間だった気もします。


 プロの漫画家として、結果は出せなかったけれど…少しも後悔はしていません。

 あの、必死にもがいた日々があったから、いまの自分があるのです。


 最後に、落ちても落ちても、きびしいプロの世界への挑戦をしつづける作家さんたちへ、この言葉を贈ります。


『 心の傷は、挑戦しつづける者の勲章だ 』


 私の好きな言葉です。^-^ レッツ・チャレンジ!

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