46|『鬼滅の刃』の真骨頂。

 みなさま、今日も楽しく『鬼滅』みてますか?^-^


 先日からフジテレビ系列で『鬼滅の刃-柱稽古編』がはじまりまして、毎週楽しみに見ている方は多いかと思います。


 かくゆう、私もそのひとりです。


 加えて、ネットフリックスでも見放題なので、最近では見るものがないと『鬼滅』を見ている私です。私、好きなものは延々と見続けるタイプなので…。(笑


 何度見ても、その圧倒的な世界観…シリアスとお笑いの絶妙なバランス…そして美しい映像・音楽にうっとり、ほっこり、しちゃってます。


 で。昨日、1話から見ていて、ふと思ったのですが、『立志編』(シーズン1)の最初のエピソード(錆兎と真菰の物語)は、あんがい王道・少年漫画だなぁと…。


 もちろん、面白くないわけじゃないんですけど、『鬼滅』の真骨頂は見る者の内面をえぐるような、残酷で、胸がしめつけられるほどの狂おしい人間ドラマにあると思っているので、あらたな発見でした。


 考えてみれば、漫画って、そういう側面はありますよね。作者にとって、はじめての長編連載だった場合、作者も、なにが正解かわからないので、まず、お試しで描き進んでいくしかない。そのうちに、だんだんと物語の〈色〉がわかってくる…。


 まったく毛色の違う漫画を例にあげてしまって、アレなんですが…私、『スラムダンク』も好きなものですから…。*^-^* 花道かわいい♪


 いまや『スラムダンク』を知らないひと、いないと思いますけど…あれも、連載当初は、当時、流行っていた漫画のではじまっています。


 桜木花道が女の子に告白してふられて、「おまえ、これで100人目だな」とかちゃかされて、女の子にモテたいがためにバスケをはじめるという…このノリは、当時の少年漫画の王道です。


 でも、連載が進むにつれて、深い人間ドラマ、友情ドラマにくわえ、リアルなバスケシーンが描かれるようになって、新たなスポーツ漫画の金字塔をうちたてました。


 だから『鬼滅』も、きっとそうです。

 もちろん、これは私の勝手な憶測ですので、話半分で読んでほしいのですけども…『立志編』で〈真骨頂〉が発揮されるのは『那田蜘蛛山』でのクライマックスシーンです。あの圧倒的な心ゆさぶるバトルシーンに魅了され、ファンになった人は多いはずです。


 あれが、鬼滅の〈真骨頂〉であり〈色〉であり〈鬼滅イズム〉なのだと思っています。


 私も、長編を書いているので、自分が描く物語の〈色〉は意識します。SFファンタジーなので、不思議な現象はおきますが、いわゆる魔法と呼ばれるものは登場しません。それは、この物語の〈世界観〉に反するからです。


 たとえ、主人公が〈炎〉をあやつるシーンが出てきたとしても、けして「ファイヤーー!」と叫んだりはしませんし、〈炎〉〈氷〉〈雷〉などがセットで出てきたりもしないです。それをしちゃうと一気に「ドラクエ感」…というか「お子様感」(あるいは、ハイ・ファンタジー感)がでてしまって、物語に〈異物〉が放り込まれたような違和感がでてしまう。青年向けなので、そこはリアル感が必要ですし、『サクラ・イン・アナザーワールド』という物語の〈色〉にはそぐわないのです。たぶん…。


 作家は物語の〈色〉〈真骨頂〉を見つけ、ひたすら色濃く煮詰める。その作業のすえに、心ゆさぶる物語ができあがるのだと信じます。



          ***



 そして、もうひとつ。

 『鬼滅』の真骨頂は、細やかな心理描写にもあると思っていまして…。


 たとえば、ですが――『立志編』で「町娘が鬼にさらわれる」という事件を炭治郎が解決するエピソードがあるのですが…そのラストで、被害者の婚約者の青年が別れ際に、炭治郎につっかかるシーンがあります。


 「くじけず生きてください」という炭治郎に対して、「おまえみたいな子供に俺の苦しみがわかってたまるか!」と。

 でも、ふと、炭治郎の手をみた青年は、その手の傷、手のひらの分厚さに、「これは、ただの少年の手ではない」とはっとして、炭治郎もじつは苦しみの中にいる少年なのだと気づいて「すまなかった」と詫びるんですね。

 で。炭治郎はなにも言わず、ただ、やさしくほほえみながら手をふって去ってゆく。


 この短いシーンで、青年の目を通して、炭治郎の背負っている苦しみが透けて見える。いいシーンだなぁ…と思って見ていました。


 この細やかな心理描写も、魅力のひとつです。


 そして、もうひとつ好きなシーンがありまして。


 上(↑)のエピソードの次の次の『鼓の屋敷』のエピソードから我妻善逸が仲間になるのですが、田んぼのあぜ道で、女性をくどいて迷惑をかけまくっていた善逸は炭治郎と出くわし、こっぴどく怒られ、しょんぼりとあぜ道を歩く中、「俺、なんか腹が減った…」という善逸に、炭治郎は自分のおにぎりをあげるんですね。


 で、ふと善逸は気づく。


「あれ? おまえは食べないのか?」と聞くと、炭治郎は「おにぎりは、それしかないから」というんです。そもそも自分のおにぎりなのに、善逸にあげてしまって、空腹をぐっと我慢してる炭治郎に、善逸は、自分が持ってるおにぎりを半分にわって、「ほら…」って炭治郎に渡します。


 「わぁ…ありがとう!」といって、ふたり、もぐもぐと仲良く食べるという…これも、すごく短いシーンなんですが、大好きなシーンです。


 炭治郎のやさしさ全開のシーンでもありますが、善逸もここで、女癖おんなぐせ悪いくせに(笑)気遣いのできるやさしい少年であることもわかるし、少しだけ仲良くなる(友情がめばえる?)シーンでもあるわけですね。


 こういう細やかさなんですよね、『鬼滅』の心理描写のすぐれているところは。

 これが『鬼滅イズム』です。


 そんな細やかなシーンは、他にもたくさんあって、それがつながって、つながって…ひとつの大きな物語になっている。


 全体のストーリー(設定)も大事ですけど、ひとつひとつの小さなエピソードに手を抜かず、細かく丁寧に描写してゆくことはもっと大事なことです。


 その積み重ねが、深みのある物語をつくるのだと、『鬼滅』は私に教えてくれます。


 ちなみに、今日は日曜日。『鬼滅』の放送日です。


 いままでの『柱稽古編』で一番笑ったシーンは、「禰豆子ラブ」の善逸が、しゃべれるようになって口枷くちかせがはずれ、より可愛さが増した禰豆子ちゃんに出くわすシーンでした。


 観る者としては、善逸が舞い上がるのが予測できるので、それを想像するだけでも笑いがこみ上げてくるのですが…実際、善逸は予想を裏切らない反応のしかたをします。ですが、そのあとのオチが、まー上手い!(笑


 彼女は善逸を「い・の・す・け」と呼ぶんですよね。^-^

 これ…鬼滅ファンしかピンとこないエピソードかも、ですが…本当に、落とし方が上手いです。手をたたいて笑ってしまいました。


 そもそも、アニメの『鬼滅』は、アニメのオリジナル・エピソードを織り交ぜてあるので、原作通りかどうかは、わかりません。(原作を読んでいないので)


 でも、本当に、ファンの期待を裏切らない作り方してますよね。

 期待以上を、出してくる。


 それが、プロなんですね。勉強になります。


 てなことで、今日は『鬼滅』を熱く語っただけで(笑)終わります。





 ちゃんちゃん♪




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