40|『鬼滅の刃』に習う《ダーク・ファンタジー》の描き方。
みなさん――『鬼滅の刃-刀鍛冶の里編』はじまりましたね!*^ー^*
まだ序盤ですが、なにやら得体の知れない上弦の鬼たちの登場に、期待も高まる今日この頃です。
いや、好きじゃない人には、お気の毒ですが…今回も鬼滅の話でございます。(笑
さて。今回は、鬼滅を観ていて、自分が目指すところ――理想のエンターテイメントの形を再認識したので、忘れないように、ここに書きとめておこうかな?と思ったわけなのです。
結論からいうと、
「すぐれたエンターテイメントの物語(人々に愛される物語)には、必ず《喜怒哀楽》が詰まっている」
ということなのです。
みさなん、ご存じのように、鬼滅には《喜怒哀楽》が全部つまっていて、くすっと笑ったり、ほっこりしたり、びっくりしたり、泣いたり、怒ったり…『無限列車編』のキャッチコピーじゃないですけど《心を燃やせ!》とばかりに、ゆさゆさとゆすぶられますよね。
私、そもそも、それが、観てる者には《快感》なのではないか…と思ったんです。
そもそも、人間の心の中には《喜怒哀楽》という感情がある。
つねに、日々の生活の中で、それらの感情をゆらして生きているわけですよね。
だから、物語の中でも、喜怒哀楽がつまった物語は、観ていて腑に落ちるというか…「そうそう…人間の感情って、こんなふうに動くよね」と思って、どこかで安心して観ている自分がいます。
それが、《物語への共鳴》ということなのだろうな、と、思ったのです。
物語は、感情に沿って展開していて、その主人公なり、登場人物なりに感情をうつして一緒になって笑ったり、泣いたり、怒ったりしている。
それが、人間のあたりまえの心の動きであり、自然のメカニズムであり、だから心が動いていると安心するんだろうな…と。そして、それがバランスよく配合されていると、その感情の揺らされ方が、気持ちよくなってくる。
前回の『遊郭編』の話になりますが、後半、壮絶なバトルシーンがけっこう長く続きます。《
それは、後半のバトルシーンに至るまでに、主人公たちの《喜怒哀楽》に導かれて、自分も《鬼殺隊》の一員になったような…炭次郎たちと心がひとつになり、「よし、いけ、炭次郎!きみなら出来るぞ!」と、まるでスポーツ観戦で選手を応援するかのように、手に汗握って観ることができるからなのでしょう。
もし――そこに至るまでに、心が共鳴できなかったら、ド迫力のバトルシーンも、そこまでのめり込んで観ることはできないと思う。ただ「へぇ…派手に戦ってるな…」と傍観するだけだと思うのです。
そういう映画、よくありますよね?^ー^;
一応キャラクターもあり、設定もあり、ストーリーもあるけれど、どこに感情移入して観ればいいのかわからず、クライマックスに至るまでに、うまく感情を乗せることができず、置いてきぼりになったような気持ちにさせられたままクライマックスに突入してしまい、ただただ傍観するだけ、という…。
「はいはい、CG映像すごいですね。お金かけてますね」と、冷めた気持ちで思い、「だから、なに…?」とつぶやくのが常です。「ああ、面白かった! よし、もう一度、最初から観てみよう!」とは、思わない。
なんども、なんども、繰り返してみたくなる――要するにハマる物語というのは、その物語を観ていること自体が、気持ちいい。それが、私の場合、喜怒哀楽の感情がゆれるのが気持ちいいからなんです、ね。
他のひとは、どうなのかわからないけれど、どうやら、私がハマる物語というのは、そういう物語で、そして、たいてい、そういう物語は大ヒットしてるので、きっと、多くのひとが、私と同じ気持ちで観てるだろうことは、おおよそ間違いではないと思うのですが…どうでしょう?
思えば、私が延々と観つづけている海外ドラマ『
あのドラマは、一見《サバイバル風》なんですが、じつは人間ドラマが主体になっていて、キャラクター同士の関係性の変化(恋愛関係になったり、友情がめばえたり、敵対したり、親密になったり…)が見どころで、『鬼滅』同様、ひとりひとりのキャラクターの掘り下げが深く、《喜怒哀楽》がバランスよくちりばめられていて、ハラハラ・ドキドキもするけれど、感動シーンも多く、要所要所に‘くすり’と笑えるシーンもある。
思えば、私は、観るたびに、その笑えるシーンで、登場人物と一緒になって、決めセリフ(?)を一緒に言ったりして笑ってるんですよね。え? 変ですか?(笑
もはや、観てるというよりは、その世界に自分も居て、一緒に、泣いたり、笑ったり、ほっこりしたり、してるんです。ま、ストーリー全部知ってるんで…さすがに「ええ!?そうだったのー!」っていうビックリはないですけどね。(笑
でも、その空間に、自分も身を置いていることが、とってもシアワセ♪
そして、そこに描かれているのは、まさに《喜怒哀楽》です。
***
ここで、少し、横道にそれますが――
私、最近、ネットフリックスの配信サービスを利用しているので、ここ、一ヶ月ぐらい、ずーっと《ダークファンタジー》(終末もの)の海外ドラマを観てました。
自分が書いている物語が、終末へ向かう物語なので、その参考のためというのもあるかも?ですが…ま、好きなジャンルなんですね。で。延々観つづけていたら、だんだんと心が
ちょうど、自身の物語も、殺伐としたシーン(サイコパス的な人間との暴力シーン)を書いている最中ということもあって、なんだか、心が殺伐としてきて、私の中にあるユーモアのセンスが消えてしまって、なにも面白いことが考えられなくなってしまいまして…。
「あれれ? 最近、私、笑ってないよね?」
「私、どーした?」
で――はたと、気づきました。
「そういや、最近観てる《終末もの》のドラマ…どこにも笑えるシーンがないじゃないか!」と。
たしかに、終末の話なんて、薄暗くて当然かもしれません。
サバイバルする人間たちの心は
私は、どんなに荒んだ世界がおとずれても、そこに人間がいるかぎり、楽しいことを考える人だっていると思うし、ちょっとしたことに楽しみを見つけて世界が終わる日まで、笑って過ごす人だっていると思う。
戦争の名作映画『ライフ・イズ・ビューティフル』の主人公のように、子供を笑わすために死ぬ直前まで、おどけて死んでゆく人もいるはずだし、『タイタニック』では、船が沈むそのときまで、ベッドの上で子供たちにおとぎ話を読むお母さんや、音楽隊がずっと演奏しているシーンがありますが、それは、映画の中だからというわけでもないと、私は、思っているのです。
どんなに夢も希望もなくなった世界でも、人間は、暴力的になることもなく、絶望でもなく、穏やかに…あるいは、楽し気に笑って過ごす人だっていると思う。
人間の本質を描く物語であるならば、そこを外すことは出来ないと思うのです。どんなに薄暗い世界でも、ユーモアを描くことは、とても重要で、意味のあることだと思っているのです。
だって、《喜怒哀楽》の《喜》も《楽》も、人間の感情のひとつですから。
《終末もの》は人気があるらしく、最近では、手を変え、品を変え、さまざまな設定のものが量産されています。宇宙人侵略もの、ゾンビもの、地球変動もの…などなど。でも、その中で、ほっこり出来るシーンや、ユーモアが描かれている作品は少ないです。
みんな、そんなに、殺伐としたいんでしょうか?(笑
お笑い好きの私には、耐えられそうにありません。
なので…私が描く《終末もの》は、絶対にバランスを崩さず、喜怒哀楽、全部をいれようと、いま、心に誓いました、とさ。^ー^;
読者だって、ぜったい、その方が楽しめるはず――だよね?
ま。『鬼滅の刃』は少年漫画ですから、小説のリアリティの中で描く場合は、デフォルメを控える必要はあるでしょうけれど、でも、鬼滅に学んだことは、しっかりと心にとどめ、実戦してゆこうと心に誓った押羽なのでした。
超絶・面白い、終末エンターテイメントを目指して!
ま。文章力の問題は、残りますけども…。^ー^;
が、がんばります!
ちゃんちゃん♪
(※ちなみに今回の『鬼滅』。いままでの放送で一番笑ったのは、伊之助が天井に張りついているシーンです。^ー^めちゃ、怖いー・笑)
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