06|父と私と『漫画の〆切』


 いま、私は『カクヨム』というウェブサイトで小説を書いています。

 そのまえは、商業誌で少女漫画を描いていました。

 物語をつくるという行為は、私が生まれたときからDNAの中に組み込まれており、それは誰にも止められないことだからです。


 そして、これは、いまから10数年前の話――


               ***


 少女漫画家でデビューしてから、4~5ヶ月経ったある日、父が他界しました。


 父の死因は心筋梗塞しんきんこうそく

 以前から、病院に通っていて「俺はもう、そんなに長くないかもしれない…」とつぶやくこともしばしば。私もある程度は覚悟してましたが、まさか、このタイミングでが来るとは…誰も予測していませんでした。


 おそらく父自身、こんなにあっけなく死ぬとは、思っていなかったはずです。とりあえず病院へ運ばれて、とりあえず入院。そういうコースだろうと、家族みんなが思っていました。けれど、父は、救急車の中で息をひきとってしまいました。


 私と最後にかわした言葉は、夜の11時ごろ、

「お父さん、お風呂あいたよ。入れば?」

「ああ…わかった」

 そんな、他愛も無い日常会話でした。


 その深夜、私は2階の自分の部屋で、漫画の《ネーム》を描いていました。

 漫画を描くときは、いつもヘッドフォンで耳をふさいで、音楽をきいて集中します。

 この日も、そうでした。そのとき、1階から物音がきこえた気がしたけれど、漫画に集中してたので、すぐに忘れました。


 それから、どのくらいの時間が経ったのか――とつぜん、家の電話が鳴りました。

 夜中に家電いえでん…ただごとではない! しかも、いつまでたっても誰も電話にでないので、なんかヘンだな?と思ってました。


 電話に出ると、兄の声。

「あ、珠子か? いま、お父さんが亡くなったから…」

「…え?」

 私は、わけがわからなかったです。


 兄からきいた真相はこうです。

 私が部屋にこもって漫画を描いているとき、兄は、とつぜん父に呼ばれたそうです。

「救急車をよんでくれ。サイレンは鳴らすな。ご近所迷惑だ…」

 そう頼まれた兄は、こっそり救急車をよび、救急車が到着すると、すぐに父は自力で乗り込み、兄につきそってもらい、出発したそうです。

 その道中に息を引き取りました。

 いちど「暑い!」といって毛布をはいだそうですが…とくに暴れたり、苦しんだりすることもなくすぅーっと静かに亡くなったそうです。


 死に方としては、本当に、理想ですよね。

 誰もが、一度は死ぬんです。(言い方、ヘンですね?笑)

 そのときが、ぜったいに来るんです。

 私も、とりあえず覚悟はしています。

 でも、どうしても、気になるのは、その最期の瞬間…。

「悲惨な感じで死にたくない!」…と、どうしても思ってしまう。

 私、《孤独死》はけっこう好きな死に方なんですけど…自分のお気に入りの部屋で、お気に入りのモノたちに囲まれて、お気に入りのBGMを流し、いままで出会った大好きな人たちを思いながら、眠るようにすぅーっと死にたい。。。それが理想。


 だから、父のラストは「おみごと!」と思って、尊敬してます。

 ちょっと、話が脱線しましたね。^-^;つづけます。


 さあ――それからが、大変です!


 爆睡していた母を起こし、「なに? お父さん、病院なの? 入院するの? どうしましょう!」と、まるでトンチンカンなことをいってる母のカンチガイを正す勇気もなく、私と母は東大病院へ。そこで…父の遺体と対面しました。


 泣き崩れる母。

 ぼう然とみつめる兄。

 私は、まだ、これが現実とは思えず、涙もでず、その夜たまたま聴いていた、長淵剛の『乾杯』が、ずっと頭の中で流れていました。


『 かんぱ~い。いま、きみは、人生のぉ~ 』

『 大きな、大きな、舞台にぃ、た~ち~ 』


 以来、『乾杯』は、私の中で《レクイエム》になっています。

(誰にともなく、ごめんなさい・笑)


 で。


 まだ、悲しみすら沸いてこない、ただぼーっとしている私は、父の遺体をまえに、とつぜん、思い出すのです。


「あれ? わたし、ネームの最中だったよね…?」

「ネームのしめきり、もうすぐじゃなかったっけ??」

「ええ!? これ…こんなことになって…間に合うのぉーーッ!?」

「どーするのッ!?」


 そのとき、描ていた漫画の内容が、また、悲しみとは真逆の『ラブコメ』です。

 もう、笑うしかない。(笑


 それから、父の葬儀の準備が着々とすすんでゆきます。

 じつは、父は、プロテスタントの洗礼を受けていて、とりあえずキリスト教徒だったんですね。…っていうか、もともと父の(ウチの)家系は真言宗なんですけど…あるとき、なにを血迷ったか「俺はキリスト教の信者になる!」と言い放ち、洗礼をうけ、神父さまに『聖書に書かれてることは、ウソばっかりじゃないか!なぜなら…』と、あの手この手でディベートをふっかけて困らせ、「父よ、あなたは本当にイエス様を尊敬しているのですか?」と疑わなくもなかったですが…それでも、一応、信者は信者なので、葬儀はキリスト教式でおこなうことになりました。


「仏教なの? キリスト教なの? いったいお父さんはどっちなの?」と、物議をかもしたすえの結果です。(笑


 いま、思えば、キリスト教式に決めたのは、葬儀代が安かったからでしょうね。

 仏式は、なんだかんだいってお金がかかる。

 キリスト教式は簡素なので、ぜったいに安いはずです!

 知り合いの神父様に来てもらったので、お坊さん代(?)みたいな出費もおさえられる。それでいて、賛美歌なんか歌うから、ちょっとオシャレな感じがして、参列者のひとにはなかなか好評(?)だったので、まあ『終わりよければすべてよし』です。


 それが現実、それが大人の事情ってやつですね。^-^;


 そして、私の事情はというと――

 葬儀の準備がすすんでゆく中で、私は、じょじょに現実を受け入れはじめます。


「父は死んだんだ…」

「もう、もどって来ないんだ…」

「もう二度と、会えないんだ…」

「もっと、いろんなこと話したかったのに…」

「もっと、いろんなこと聞きたかったのに…」

「もっと、ジョーダンを言い合って、笑っていたかったのに…」

「ちゃんと、しっかりとがしたかったのに…」


 私は、お父さんっ子でした。

 父が亡くなる2~3年まえから、本当に、毎日、茶の間で他愛のない話題でもりあがり、冗談をいいあって笑い、兄からも「本当に仲がいいな」といわれるほど、ずっとずっと大好きな父だったので、その喪失感は、じょじょに、でも、確実に、私の中にひろがっていきました。


 自分が大人になってから、嗚咽するほど泣くという行為は、このときがはじめてです。


 昼間は、葬式の緊張のせいか、やることが山ほどあるせいか、ふつうに親戚と話をし、接待し、忙しく動き回り、そして、夜、ベッドに入って寝るときに、ふとわれに返り、尋常じゃないぐらいに涙を流し、泣きまくる。

 昼は笑って、夜は泣く。

 3~4日はそのくりかえし。


 そして、問題の《漫画のしめきり》も、迫ってきます。


 そのとき――不思議と、私の中で「もう無理。漫画なんて描けない!」という感情は生まれませんでした。


(なんとかしなくちゃ! ぜったいに描かなくちゃ!)


 父を失くした悲しみ、絶望、とは別に《闘志》が生まれていました。


「だって、プロって、そういうことでしょ?」

 そう思ってました。


 そのときの私は、まだ、デビューしたての新人で、とくに連載をかかえていたわけでも、読者に期待されていたわけでもなかったですが、編集さんには期待されていたわけだし…なにより、ここで自分が描かないという選択をしたとき、いったいどれだけの人が迷惑をこうむるか…。


 編集部には、おそらく、そういう《穴》があいたときのために、緊急用の作品が置いてあります。それを差し替えてその場をしのぐという手がないわけではないです。


 でも、すでに、「次の号には、この作品が載るよ!」と予告している手前、載らなかったらウソをついたことになる。編集部じきじきに「スミマセン、予告はウソでした」と謝罪させることになる。

 私の作品を載せるために、その30ページ分のスペースは空けてあるんです。

 そして、そのスペースを埋めるのは、自分の作品でなければならないんです。


 私に期待してくれた編集さんが、私のためにつくってくれたスペースです。

 それは、ぜったいに自分で埋めなくてはなりません!


「父親は死んだかもしれないけど、わたしは死んでないよね?」

 自問自答がはじまりました。


「それとも、悲しみで腕がもげたのかな?」

「いや、もげてないよね?」

「ちょっとばかり、食欲が落ちてげっそりしただけ」

「泣くヒマがあったら、さっさと描かなきゃ」

「それがプロだろ?」

「早く描かなきゃ、しめきりが迫ってくるぞ! 急げ。急げ」


 もうひとりの自分が、泣いてる自分にそう言いました。


 そこから、快進撃がはじまります。


 昼間――頭の中で、思いっきり笑えるセリフを考える。

 じっさい、「ふふふ…」と笑ってます。(ブキミ…)

 そして夜、ふとわれにかえり、号泣して枕を濡らす日々…。

 情緒不安定もいいとこです。(笑


 それは、本当に、怒涛のようでした。


 たぶんね。

 父は、ずっと、そのようすを部屋の天井から、見ていたと思います。


 きっとね。

 ちょっと満足げに「よしよし、さすが俺の血をひく娘だ」と笑っていたと思います。


 父は、私が漫画家でデビューしたとき、そうとう喜んでいました。

《ガンコ世代》ですから、直接「すごい」とか「いい」とか「がんばれ」とかは言いません。でも、あるとき、ぼそっと言った言葉は、いまでも覚えています。


「いいか、珠子。物語っていうのはな、キャラクターが大事なんだ…」

「え?」

「キャラクターだ。面白い物語は、みんなキャラクターがいい…」

「う、うん…そうだね…」


 父は、じつは、私が生まれたとき『この子は将来、銀行員にさせよう』と思ったらしいです。まあ、堅実ですからね。^-^


 でも、なんだか知らないうちに「漫画家になる」とか言いはじめ、就職もしないで引きこもって漫画を描くわたしに、父は「漫画家なんか、おまえなれるわけないだろ?」と憎まれ口をたたき、そのひとことで、私の中に闘志がめばえ「ぜったい漫画家になって、父を見返してやる!」と思ったことなど、きっと父は知りません。


 でも、わたしも知らなかったんです。

 父が、じつは若いころ、作家をめざしていたことを…。


 そう――父は作家志望青年でした。

『宮本武蔵』を書いた吉川英治をこよなく愛し、『闘犬』という作品を書いて、雑誌社に投稿した経験もあるらしいです。

 だから、きっと、私が作家になったことを、いちばん喜んでいるのは父なのです。


 そして、私の中には、父のDNAが――確実に宿り、うごめいている。


 そりゃあ…やめられないわけだわねぇ…。^-^;


 ねぇ。おとうさん。

 私は、いまでも、そのDNAにしたがって、今度は父が目指していた《小説》を書いてるよ。


 やっぱり俺の子だ…と思って、満足してくれていますか?

 それとも、またプロになって、もっと売れる作品を書けって、思ってますか?


『 物語っていうのはな、キャラクターが大事なんだ… 』


 その言葉は、いまでも心に残っていて、私が物語を創作するときの《指針》になっていることは、いうまでもありません。




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