09|『コメント荒らし』に負けない方法?

 今回は、このサイトに蔓延はびこる『荒らし』について、思ってることを書きます。みんなよくご存知だとは思いますが、『荒らし』とは、コメントに誹謗中傷(小説をけなしたり、酷評したりなど)のたぐいを平気で書き散らかす子供みたいな人のことです。


 作家にとって小説は、自分のアイデンティティそのものですから、けなされれば、身を切るような痛みを感じます。それが原因で物語のつづきが書けなくなってしまうこともあるようです。


 せっかく生まれた大切な物語を、そんな、どこの誰かもわからない悪意ある人間のせいで、終わりにしてしまうなんて…もったいないし、悲しいことです。

 うろたえて傷つくまえに、ちょっとだけ冷静になってみてほしい。


 あなたの物語を守ってあげられるのは、あなたしかいないんですから…。



               ***



 じつは、私の場合、『プロの漫画家でした』と公言しているせいか、荒らしの被害にあったことはありません。プロだったという経歴は『荒らし』には抑止力になるようです。


 でも、一度だけ――

 このサイトを使い始めたころ、簡単なプロフィールだけで漫画家だったことを公表していない時期がありました。


 そのとき、一度だけ『ドキリ』とさせられた事件(?)が起きました。

『サクラ・イン・アナザーワールド』という長編小説の1話目――ある部分の表現方法がまちがってるとの指摘をもらいました。


『 頭の中にもやがかかったまま、夢遊病者のように、のろのろと… 』

 という文章。


 この『夢遊病者』という表現は間違っていると。

 正解は『夢遊病患者』だというのですね。

 いきなりの指摘に『ドキリ』とし、汗がふきだし『あら大変! これが本当に間違っていたなら、大変なヘマをしてしまった!』と、素直な私はあせりました。でも、つぎの瞬間…


『でも、待って…夢遊病のようにって書くと、実際にいる夢遊病患者さん自体を誹謗してるようにとれるよね?』

『実際にいる患者さんは、その病気と日々戦っていらして、それはそれは大変な思いをしてらっしゃるはずで…そんな人たちを、簡単に比喩として使っていいのか? これが正解なのだとしたら、その正解はまちがってるんじゃないか…』


 そう思い『まず、検索だ!』と、ヤフーで検索してみたところ、江戸川乱歩先生が『夢遊病者の死』というタイトルの小説をお書きになっていました。

(のちに、私の愛読書《グインサーガ》の中にも、『夢遊病者のように…』という比喩表現を見つけました)


 けっきょく、私の『夢遊病者』という表現はまちがっていなかったんですね。

 もちろん『夢遊病患者のように』という表現もまちがいではありません。

 でも、患者さんを思いやるなら『夢遊病者』のほうを選択するのが、私の中の正解だと思っています。


『夢遊病者はまちがってる』と指摘してきた人は、どうやら『カクヨム』のサイト内をパトロールして、『誤字脱字ゆるすまじ!』『ヘタな文章ゆるすまじ!』と目を光らせて、発見しては上から目線で指摘している『困ったさん』でした。

 ^-^;ヤレヤレ…



               ***



 そもそも、小説というのは、学校のテストではありません。

 だから、本当は正解もありません。


 小説家が造語をつくって、それがのちに一般化した例はたくさんあるし、小説じゃないけど、いまふつうに使われている「マジで~?」とか「これヤバくね?」とか「超〇〇~!」とかいう言葉は、一度流行はやったものが定着した言葉です。


 言葉は日々変化して、みんなが使いやすい親しみやすい文字や文章になってゆく。

 それが文化ですよね?

 だから、小説の文章も、内容も、本当は正解なんてない。


 みんなが「面白い」というか、いわないか…それだけの差です。

 みんなが「つまらない」といったとしても、べつに、間違いじゃない。

「時代が追いついていないだけ」という例は多々あります。


 脱線しますが、誤字や脱字については、逆に指摘して欲しいと思うこともあります。PVが100ぐらいになったころ、自分で読み返して見つけた誤字や脱字の、なんと恥ずかしいことか!(笑

 100人が、ここで一瞬「ん?」て、なったかと思うと…ねぇ…。^-^;

『夢遊病者』を指摘するなら、誤字を指摘してほしかったと思う、今日このごろです。



               ***



 さてさて――話はもとにもどります。


 そもそも、『荒らし』はどうして場を荒らすのでしょう?

 本来、コメント欄は作者の文章に『いいね』『面白いね』を伝えるためのツールです。エッセイなんかは、ツイッター感覚になりますが…どっちにしても、作者とコミュニケーションを楽しむためにコメントします。


 つまらなかったり、興味がなければ、ノーリアクションでその場を去るだけです。

 わざわざそれを作者に知らせる必要はありません。

 それをわざわざ「つまらない」と書き込む理由は、ひとつ。

 日々のストレスを、どこかにぶつけないと気がすまないからです。

 きっと、誰でもいいんです。

 誰かを傷つけて、それでウサをはらしている。

 いま社会問題になっている『あおり運転』や『イジメ』と一緒です。


 いまの世の中は、みんな何かしらのストレスを抱えて日々の生活を送っています。

 私だってそうです。仕事場は人手不足で、どんどん仕事時間がふえてゆく。

 したがって、疲れる。

 疲れると、心に闇が生まれる。

 どうしようもなくイライラがつのり、なにかで発散したくなる。


 ストレスを発散する手段で、いちばん手っ取り早いのが『人に当たる』ことなんです。子供がいい例です。子供はイライラがつのると、その辺にあるものに当たるよね。足でバン!って蹴ったり、おもちゃを壊したり、妹をなぐったり。(こら!笑)


『荒らし』は子供なんですね。

 誰かを傷つけて、満足している。

 当人は『正しいことを言ってやった』と思ってるかもしれないですが、深層心理では『傷つけてすっきりした』と思ってるはずです。

 あるいは、上からモノを言って『自分は価値のある人間だ』ということを証明したいんでしょう。

 人間ってそういうものです。

 ひとよりも優位に立ちたい。

 いま、巷でよくきくワード『承認欲求』が強いのかもしれません。


『承認欲求』が強いってことは、まわりに自分を認めてくれる人がいないからです。きっと、孤独で寂しい人間です。


 ひとは、大人になってゆく過程で、まわりの大人たちにすこしずつ認められて、すこしずつ自分が自分であることに自信をつけてゆきます。


『おまえは、おまえのままで生きてゆけばいいさ(父)』とか

『最近、あなたは本当に明るくなったわねぇ…(叔母)』とか

『このセリフはいいですねぇ(編集さん)』とか

『押羽さんの清掃はキレイで早い!(ホテルマン)』とか


 そんな、ちょっとしたホメ言葉や、ちょっとした自己肯定が、自分に自信をつけ、大人へと変えてゆく。

 そして大人になった私は、同じことを、年下の人たちに言ってあげて成長の手助けをしてあげる。


 そんなふうに世の中はまわっている。

 それが自然のサイクルです。


 でも、そういうあたりまえの工程プロセスを経験できなかった人間が、あたりまえに成長できず、子供のまま、子供の思考のまま、わがままなことをやっている。

 それが『コメント荒らし』であり、『あおり運転』であり、『イジメ』なんです。私はそう思います。


 ――なので。

 そんなコメントに、いちいち反応するのはバカバカしいことです。


 もし、あなたの小説に、酷評を見つけたら苦笑しつつ「かわいそうに…」と同情し、そっとコメントを削除してあげてください。それが大人の対処法です。



               ***



 あなたにしか書けない、あなたの物語…

 その物語は、いつかきっと誰かの物語になるはずです。 


 どうか、やめないで…ね?

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