破談
犠牲は付き物、ではなく、犠牲は憑き物ではないだろうかと吾妻は考えた。しかしそんなことを考えても請求書のゼロの数が減るわけでもない。考えても無駄なことであれば、道端に捨て置いて、返済期限の今年いっぱいに二十九万という大金を捻出しなければならないことについて考えるべきである。かくして初めての借金を友人にしたわけではあるが、これでようやく吾妻はあのアパートから解放される可能性が高くなったわけだ。
「ようやく解放されたのね?」
箒を手に、アパート前で掃除をしていた藤堂るりはどうでも良さそうに吾妻に声をかけてきた。門司と違い、彼女はいつもどおりだった。それが逆に不気味で、吾妻は敷地内に入る前に歩を止めた。
「藤堂さん、契約についてのことですが」
「ええ、わかっています。千枚瓦さんのアーノルドを見つけ出すことに成功しましたし、ちゃんと考えています」
よし、とガッツポーズを決めたくなった吾妻だが、しかし、彼女の言葉は吾妻の折れた心に油をぶちまけた。
「考えた結果ですが……吾妻さん、部屋の穴、広げましたね?」
彼女の背後に炎を纏う阿修羅が見える。
「ひっ……」
藤堂るりの後ろからヘルメットを被ったおじさんが数名通り過ぎ「ではこれで」とお辞儀をして帰って行く。それを見送って、振り返る。悪魔の笑みを浮かべた大家が、静かに吾妻に紙を手渡してきた。デジャヴ。またしてもデジャヴである。
「広がったぶんだけの工事費用を算出しといてもらったわ。私ったら優しいでしょ? 全額のところをそれだけに抑えてあげたんですから」
優しい優しい大家さんはそのまま掃除を続けた。彼女が考えた結果、つまりは事件解決の功績は、見事部屋の損壊によって相殺されたということで、最終的に吾妻は借金を背負っただけに終わったということだった。
春だというのに寒空が続く。身震いしそうな凍える風が身体を芯から冷やしてくる。
「…………」
アパートを見上げると、廊下の手すりに布団を干す千枚瓦の姿があった。片手には大きなダンベルを持ち、傍らには巨大なチワワが行儀よく座っていた。どうやら事件は解決し、アーノルドの処遇も決まったようだった。幸せになれよ、と思いながら、ちょちょぎれそうな涙を浮かべた吾妻は踵を返して近くのコンビニに向かうことにした。
果たして犬探しをして自分は何を得たのだろうかと考え、借金返済のための計画を練りながら、通帳と睨めっこしつつ、空腹からぐうと音を鳴らす。
「宝くじでも当たらないかなぁ」
そう呟いて、吾妻はATMに向かった。その晩、吾妻は風邪を引いた。
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