亀裂
冷静に言うが、彼女は「二億……へへへ」と喜んで、吾妻の言葉は耳に入ってきてはいないようだった。しかし待てと吾妻は二億という自身の価格に変なテンションになっている鴻巣を見る。多大な努力をしてきて、大好きなことをするために親元まで離れて――おそらく自分の変装技術に驚き、感動し、楽しんでいる人たちを見た彼女は、今までに味わったことのない充実感を得たのではないだろうか。
だとしたら強くは責められない。そう考えた吾妻は「ご苦労さん」とだけ言って縛られた両手で鴻巣の頭をポンと叩いた。
「次は世にもキモ……珍しい、珍品でございますぶふふふうっ!」
噴き出した司会者を睨んだのち、吾妻はステージ上へと向かわされる。「いってらー」と鴻巣は呑気に見送ってきた。呑気にも程があるが、吾妻の中ではすでにいろんなことが吹っ切れた状態にある。もはや人生などどうにでもなれの状態だ。
(さあさ、笑え! この吾妻の醜き姿で腹を捩らせて死んでしまえ!)
満面の笑みでステージに立った瞬間、吾妻は耳を塞ぎそうになる。吾妻がステージに立ったのと同時にライトスポットが当てられ、自身では確認しようのないメイクが崩れた化け物面がオークション出席者の目に映る。
そして、大爆笑である。
鼓膜が突き破られそうなほどの大爆笑に会場が揺れたように吾妻は感じた。
(ええい! 笑え笑え! どうせ一円の価値もない気持ち悪い人間だ! さっさとゴミ箱にでも捨ててくれ!)
これ以上の醜態もないだろうと完全に吹っ切れ、いっそこのまま裸踊りでもしてやろうかと――そう思ったときだった。
「――一億!」
中央テーブルの男がプレートをあげてそう叫んだのだ。何かの聞き間違いなのだろうか、さっきの大爆笑のせいで耳がおかしくなってしまったのだろうか、吾妻の耳には「一億」という言葉が聞こえたような気がしていた。
それは現実だった。
「一億八千万!」
「二億二千万!」
司会者は数秒ほど思考が停止したかのような呆けた顔をしていたが、すぐさまマイクを握りなおして司会者業務にようやく戻る。
「二億五千万!」
「こっちは二億六千万出すぞ!」
何が何だかわからない内に、とてつもない額となっていく。上がっていく自分の評価額に吾妻は何だか鴻巣の気持ちがわかったような気がした。吾妻の場合は何の取り柄もない。そして今は女装している上に「気持ち悪い」と言われるだけの面である。それでも、何の価値もないと思われていた自分にそれだけの額が付くということに、不謹慎ながら、一種の快楽が湧き上がってきて口元を緩ませてくる。
鴻巣の額を余裕で超えたことも相まって、自分への自信になりかけていることがどれだけ阿呆の思考であるかなど知ったことではないと、吾妻は「三億!」という声に身震いし、司会者がハンマーを振り下ろした瞬間、すべてを出し切ったふうな満足感が全身を駆け巡った。
この変態に三億の金を出す阿呆もそうだが、両手を広げて天井を仰いでいる変態もまた、究極の阿呆である。即ち、吾妻自身のことだ。
「三億での落札です! おめでとうございます!」
何度もハンマーを打ち鳴らした司会者が「やるじゃないか」と握手を求めてきた。それに応えた吾妻はプロフェッショナル気分で握手を交わし、大歓声に背を押されながらステージを降りていった。
ステージ脇にふわふわした気分で向かっていると、暗がりに鴻巣の姿を見つけて歩み寄った。少しだけ身体を浮かせながら、吾妻は呑気に話しかける。
「いやあ、三億とは想定外だったなあ!」
「…………」
「この僕を落札するとは、よほどの変人であろう。できればあのマスカレードを剥いで、その面を早く拝んでみ」
「ちっ」
「…………え?」
気のせいだろうか、鴻巣語に舌打ちされたように吾妻は感じた。よく見れば目が据わっていて「お兄さん」と呼んでくれていた女子高生の面影はまったくそこには存在していなかった。
唾を「ぺっ」と吐いて自らの足で牢に向かって行く彼女の背中からは、誘拐されてオークションにかけられたとは思えないほど、むしろ珍品団の一員よりも悪に染まっているように見えた。即ちそこから導き出される答えとして、先ほどの舌打ちは彼女から発せられたものである。
イコール、吾妻との彼女との間に、とてつもなく高い壁ができてしまったことを意味していた。
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