阿呆


「お兄さん、起きて」

 鴻巣語の声に反応して起き、吾妻は口と足だけが解放されていること気付いた。つまり、そこまで解放しても逃げ出す心配がないということであろうと殴られた頭を気にしながら、初めて見る牢の内側からの景色にため息をこぼした。

「ストーカーより酷いな……」

「でも無事だからいいじゃない。そうそう、さっき教えてくれたよ、ここのこと」

「親切なのは余裕である証拠だな。舐めやがって。それでここは? あいつらは何だ?」

 冷たい床に座り込む鴻巣の隣に胡坐を掻く。スカートのせいだろう、妙な違和感に思わず正座する。

「ここは都市部の地下施設で、オークション会場があるらしいの」

「オークション?」

「うん。それで……最近騒動を起こしている窃盗団があるじゃない?」

「ああ、僕の友人も被害に遭った」

 正確には吾妻も被害者である。多額の借金を負わされるきっかけである。さらにアーノルドをも盗んだ連中である。つまり、今回は吾妻と鴻巣語という人間が盗まれた、誘拐されたということなのだ。

「珍品回収団、略して珍品団っていうらしいの」

「何だその間抜けな団名は。しかし、その間抜けな連中に誘拐された僕たちはもっと間抜けなのであろうな……」

「そのとおり! お前らは間抜けである!」

 声高々と、甲高い声を上げたのは牢の前にやって来たやけに全身が縦長い男だ。

「我々珍品回収団はお前らのような珍品を回収して回っている団体である。そして回収した珍品を珍品好きの金持ちにオークションで買わせて儲けているのだよ。例えば光る水、触れてもいないのに動き出す人形、まばたきをする絵画、血の涙を流す銅像、マリア像のような形をした珊瑚、水をかけても消えない炎、切っても切っても切れない糸、回り続ける地球ゴマ……とにかく一般人からしてみればどうでもいい、奇妙奇天烈、気持ちの悪い、そういった珍品を集めて売る、これこそ最新のビジネス!」持っていたステッキを指先で器用に回しながら彼は続ける。「珍しきモノは聞きつければすぐさま回収がモットー! しかし先月邪魔が入ってとある珍品回収ができずに我はショック! きみが邪魔をして取り返したあの犬だよ!」

 アーノルドのことであろう。確かに彼の話からして、チワワにしては大きく、筋骨隆々であるが故に彼らが狙う珍しい犬であったのだ。その邪魔をした吾妻は、彼らに恨まれているということなのだろうか、そんな心配を吾妻はしていた。

「まああの犬も近い内に再度回収に伺わせてもらう予定。我らは珍品を手に入れるために手段は選ばない。誘拐という手段は実にシンプルである。しかし成功確率は高く、こうして珍品を手に入れたわけだ」

 そう言って男は鴻巣を指差しげへげへと笑ってステッキで地面を叩いた。

「その類稀な変装技術は実に珍しい! 珍品クラスもSSS級である! 世界中のマジシャンですらあなたの技術に盛大な拍手を送り尊敬し称えること間違いない!」

 べた褒めである。そしてまんざらでもない様子の鴻巣に呆れた吾妻は、しかしどうして自分が誘拐されてしまったのだろうかと考える。

「つまり僕はアーノルド回収の邪魔をした恨みで誘拐されたということなのか? ふざけるな。僕はお前らが思っているような珍しい人間じゃない!」

 せいぜい少し浮ける程度の人間である。しかし、声を荒げて言ったものの、目の前の男は動じるどころか呆けたように吾妻を見ていた。何かがおかしいと感じ始めた吾妻の中に、不意に嫌な予感が浮かんできた。できれば、男の口から、いや、誰の口からも聞きたくもないものであった。だが、男はさらっと言って口元を手の平で覆った。

「あなたは稀に見る変態として連れてきただけです。珍品と言うにも微妙なところですがね……うっぷ」

 心が圧し折れそうになる。したくてしたわけでもない女装が原因で、変態としてオークションにかけられる身になってしまったこの現実をどう受け止めればいいのか見当もつかないのだ。

「もうじきオークションが開始されるから、大人しくそこで待っているよーに」

 男は笑いながら立ち去り、微かにゲロを吐いたような声が遠くで聞こえた。血の涙を流してしまいそうなほどの屈辱に、もはややる気の欠片もなくなった吾妻はアパートにいるときと同じようにごろんと寝転んだ。

「しかし、鴻巣はやけに落ち着いているな」

「だってストーカーは殺されるかもしれないけれど、変装技術ありきのオークションにかけられるってことは私の場合生きていないと意味がないわけだから、身の安全だけは保障されているもの。逃げ出すチャンスはあるわ」

「その自信はどこから湧いてくるんだか……そのポジティブさも立場も羨ましいな。僕は巻き添えを食った上に心に大きな傷を負ったというのに……」

「泣いたらメイク落ちちゃうよ」

「ええい、どうせなら化け物になってやる」

 封じられた両手で顔じゅうをごしごしと擦る。痒みもあってちょうどいいが、誘拐される前に見た自分の顔が崩れている様は、想像しただけで身震いするほど不気味である。振り返ると、鴻巣が顔を背ける。

「駄目だ、それは駄目だよお兄さん」

 笑いを堪えているのが丸わかりの鴻巣に多少の苛立ちを覚えたが、すでにやけくそ状態である。すると、さっきの男とはまた別の男がやって来て吾妻たちに出るよう促した。明かりの下に出た吾妻を見たその男は噴き出し、苦しそうに笑いを堪えている。これは、もはや慣れであった。侮辱的な行為など目にも入らぬ。どうせ売られる身、くだらない人生であったが、死に際は笑われる人生で大成して見せようぞと変なテンションで意気込む。

 先にオークション会場に連れて行かれたのは鴻巣だった。

「行ってくるね、お兄さん……」

 さっきまでは意気揚々としていた鴻巣ではあるが、いざ売られる場に向かうとなると不安になったのであろう、吾妻の顔で多少は心に余裕もできたであろうが、笑い顔とまではいかない、どこか硬い表情で鴻巣は歩いてステージに上がっていった。

 オーケストラの会場のような広い空間には正装姿の男女が大勢テーブルを囲って座っていた。誰も彼もが目元を隠すマスカレードを付けていて、仮装パーティーのようにも思える、異様な光景であった。

「この世のものとは思えない! 変装技術を持つ高校二年生女子、鴻巣語! では実際に変装技術をこの場で披露させます!」

 と、司会者が鴻巣の両手を解放した。そこに銃を持った男が数名やって来ると、鴻巣に向けて構える。どうやら逃げ出せば殺す、という意味であろう。さすがに銃を向けられた鴻巣は怯えて目元が潤んでいた。

「布を、一枚ください……大きめのものを」

 鴻巣の要望にすぐさま応えた司会者から黒い、大きな布を鴻巣は受け取った。そしてそれを身に纏い――次の瞬間、布を脱いだ鴻巣は、司会者そっくりに変装して見せた。

「おお……!」

 感嘆の声が漏れ、数秒後には拍手があちらこちらから上がり始める。まるでディナーショー、舞台の上にいた鴻巣はさっきまで見せていた恐怖心をまったく感じさせないふうに吾妻は見えた。むしろ満足そうに手を振っている。どうやら場の空気に食われたらしい。救いようもない間抜けである。

「ではオークション開始です! 五百万円からのスタートです!」

 司会者がマイクでそう叫ぶと、すべてのテーブルから数字の書かれたプレートが上がり、そのたびに鴻巣語の買い取り価格が上昇していく。それを呆然と眺めていた吾妻だが、鴻巣本人は上がって行く自分の価格に目の色が変わっていた。自分の懐に入ることのない金額が上がっても仕方なかろうと嘆きながら、天使が堕ちていく姿に吾妻は目を覆いたくなった。

「二億! 二億! 他にいらっしゃいませんか!?」

 とんでもない額まで上がったところで、司会者はハンマーを振り下ろした。

「ナンバー56テーブル、二億での落札です! おめでとうございます!」

 拍手が巻き起こる中、ステージ上の堕天使は変装を解いたのち、再び両手を拘束され、吾妻が待機するステージ脇に降りてきた。まるで歌手が全国ツアーを終えたかのような達成感に満ちた表情には吾妻も反応に困る。

「お兄さん、私、二億だって!」

「おう。うん。きみは阿呆なのか」

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