愛、屋烏に及ぶ

黛惣介

波瀾曲折

紹介



 唐突ではあるが、吾妻あずまの父は龍神と呼ばれる神である。その名の通り、龍であり、神だ。しかしながら、幼少期にそんなことを打ち明けられようと信じられなかった。当然である。いきなり「わたしは神だ」などと、頭のどこかをぶつけておかしくなってしまったとしか思えなかったのだ。

 心底心配した記憶はあったが、しかしながら、そんな告白を受けてから、日常を振り返ってみると、なるほどと頷いてしまったのは小学校に上がってからのことになる。父と母が夫婦喧嘩を起こせば、天は黒い雲で覆われ、雨風は突如として吹き荒れ、季節外れだろうがおかまいなしに台風だってやってくる。父が癇癪を起せば地鳴りが起こり、母に言いくるめられて土下座をすれば涙雨がしとしとと降ってくる。吾妻の兄や姉が兄姉喧嘩を始めれば、制止する父は火を吹き、あるときは雷鳴を轟かせて縮みこまらせていた。

 本気になれば大陸ひとつを沈めることができるんだぞ、と自慢げに言うといつも母に引っ叩かれて父の威厳もあったものではなかったが、確かに今まで普通の光景として流してきた日常は、かなりおかしなものであると吾妻は認識することとなった。

 ここで吾妻は首を傾げる。

 長男は父と同じように火を吹き、次男は超怪力を有し、三男は突風を操り、長女は雷を操り、次女は水を操り、三女は自在に雨を降らせ、四女は神通力に似た能力を持ち、一番吾妻と年齢の近い五女は神速の持ち主である。共通するのは腹が立つほど母に似た頭脳明晰さ、そして父に似た、荒っぽい人間性、破天荒さ、我が儘で自我が強いことだ。おかげで毎日が騒がしく、毎日が世界の終わりのような家庭環境であった。そして肝心の吾妻はというと、とてもではないが、比べられるような人間ではなかった。正確には、あまりにも大きな差があり、それは大学を卒業した今でも引きずっている、とてつもなく大きなコンプレックスでもあった。


 ちょっとだけ浮ける。その程度だ。


 突出したものも持たず、容姿も美男美女の兄姉に比べると悲惨である。唯一、勉強は人よりも少しだけできた。だが、自慢できるほどの才能に満ち溢れてなどはいなかった。

 吾妻は早くこの家を出たいと思っていた。普通の生活を、普通の人生を心から求めていた。しかし過保護でもあった両親は大学に入学しても吾妻に一人暮らしの許可をおろさず、結果的に大学卒業に至るまで、吾妻は精神的苦痛を毎日受けながら耐え忍んできた。しかし、呪縛から解かれるときがようやく訪れる時がやってきたのだ。

 就職先は地元を離れて見つけ、格安の賃貸アパートも見つけて荷造りから手続きまで早急に済ませ終えた。用意周到、すべてをスムーズに終わらせ、卒業式を終えてからすぐ、吾妻は新幹線に飛び乗った。実家に帰るのはせいぜい正月ぐらいだろう。それ以外に、実家には絶対に帰らない。それだけ、吾妻にはあの家に、あの家族の中に居場所を見つけられていなかったのだ。それも、今日で終わり。

 明日からは目覚ましの雷が家中を走り回ることもない。天変地異を引き起こせる龍神である父も、頭脳明晰だけど子の心知らずの鈍感な母も、荒々しさの塊である兄姉もいない。飯はゆっくり食えて、トイレも混雑せずに、風呂上りに喧嘩に巻き込まれる必要もない。すべてを自分に合わせることのできる新境地、拓いてやろうと心に決め、浮かれた足が少し浮く。

 新幹線がもうじき目的の駅へ到着する予定だ。高鳴る胸が自然と笑みを浮かばせる。そして鞄の中からメモ帳を取り出し、引っ越し先のアパートの住所を確認する。想像のしようがない未来に瞳を煌めかせ――この時点で、吾妻は知る由もなかった。当然である。人生とはいつも、何が起こるかわからず、そしてそれ故に、予想もつかない結末を迎えるなど、気まぐれそのものであるのだ。それを知らずに吾妻は荷物を手に停車した新幹線の通路を闊歩する。

 その足取りは軽く、地面を踏みしめる力は強かった。

 しかし今日はあいにくの曇り空だった。


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