趣味
ひとまず明日からのことを決めるために、吾妻は鴻巣の部屋へと招かれた。彼女の部屋もまた吾妻の部屋の間取りと一緒ではあるが、さすがは女子高生か、灰色とも言える吾妻の部屋と違って色とりどりであった。ピンク色の座布団を借りて座っていると、視界に飛び込んできたのは布が掛けられた円形のハンガーラックだった。吾妻の持つ私服とスーツを掛けたとしても、さらに吾妻自身が入ったとしても充分な広さが余ってしまうほどに大きなハンガーラックである。
「やはり女性はファッションには気を遣うのだな。しかし、これだけの量の服を持っていると部屋も手狭になってしまうだろうに」
「うん、それでもいいんだ」着替えを持って鴻巣は洗面所に向かう。「ソレが理由で一人暮らしをしているんだもの」
「どういうことだ?」
吾妻の問い掛けにニッと笑って鴻巣はいったん洗面所に引っ込み、それからシンプルな短パンとシャツに着替えて出てきた。
「じゃあ、特別にお兄さんに見せてあげるよ」
何やらいかがわしい思いがちらついたように思えた吾妻は、ありったけの力で自分の太ももをつねり上げた。
少女は部屋を真ん中でぶった切るように張られた真っ黒のカーテンを引っ張り、完全に二人は分断された形となった。何をしようとしているのかわからない吾妻は、とりあえず少女が何か指示を出すまで待機することにした。
「お兄さん、私は女子高生に見えた?」
「ああ。それはまあ」
「本当に?」と、少女がカーテンを開いた。その瞬間、目の前に現れたのは藤堂るりであった。
「イリュージョンか!」
なるほど、鴻巣語はマジシャンだったのか。そう思ったのも束の間、再びカーテンで仕切られ、カーテンが再度開かれた。
「次は千枚瓦ときたか!」
そこには紛れもない、千枚瓦哲の姿があった。さらに続けて畦倉あやせも登場し、アパートのその他住人もまた姿を現していった。そして「次がラスト!」という鴻巣の言葉にはてさて次は誰が出てくるのだろうかといつの間にか童心に戻ってわくわくしていた吾妻は――ラストに出てきた人物に対して、絶句した。
仏頂面でいかにも友達がいそうにない面構えをしていて、尚且つ人望など皆無であろうと思わせる濁った瞳は人を見下すような気品の欠片もない汚らわしいもので、言ってしまえば絶対に生まれてから、かれこれずっと彼女の一人もできたことがないであろうことが誰にでもわかってしまうぐらいの阿呆面であった。それはまさしく、見紛うこともない、誰であろう、他でもない、吾妻その人であった。
「な……な!」
何が起きている! と言いたくとも舌が回らず、腰が抜けて後ろに倒れ込む。歩み寄って来ては汚い笑みを浮かべて見下ろしてくる自分に、恥ずかしいかな、失禁寸前である。
「驚いた?」
自分の声で自分に訊ねられる何とも奇怪な光景に、吾妻は首を縦に振る以外に言動が麻痺していた。すると、吾妻の前にいる吾妻は、目の前にいる吾妻に、吾妻の顔をベリベリと皮膚を剥がす様を見せつけてきた。これはこれでショッキングな光景である。しかし、その皮の下から見え始めたものに――顔に、吾妻はさらに驚き、少しだけ漏らした。
「鴻巣か!」
「どう? 完璧な変装でしょ?」
二カッと笑った鴻巣は剥がした吾妻の顔を吾妻に投げて寄越した。
「変装って、まさか今まで登場してきた皆は……」
「うん、全部私は変装したものだよ」
驚がく的であった。藤堂るりから始まりその他数名のアパート住人をそっくり越えした完璧な存在として作り上げていたのだ。そのセンスは素晴らしく完璧で、吾妻は鏡を見ているのではないかとさえ思えたほどである。
「ではそのハンガーラックは変装の為の衣装ということか」
「そういうこと。この変装術を極めたくて家を出たかったの。まあ、それだけじゃなくて……私、延長線上で男装が趣味なの。それをあまり親に見られたくないというか、知られたくないというか」
「なるほど、そういうことだったのか」
最後にカーテンを閉じて開くと、シンプルな短パンとシャツの姿に鴻巣は戻っていた。これだけの技術を習得するのにかなりの努力をしてきたのだろうと、痛く感心した吾妻は独りではあるものの、盛大な拍手を送った。だが、あることに吾妻は気付く。
「その変装術があればストーカーも撒けるのではないか?」
「試したけれど、ダメだった」
「では家から学校まで、ずっと監視されている可能性があるわけか。ということは、僕が首を突っ込んでいることもバレバレなのかもしれないということだな」
かなりの厄介者で、変質者である。こうなるとむしろ堂々としていたほうが無意味に神経を尖らせることもないかもしれないと吾妻は思った。それに千枚瓦が同行するとなれば、戦力的にもかなり期待できる。むしろ自分はいないほうが良いのではないかとさえ吾妻は思えてしまって複雑な思いでもある。
「では明日から僕と千枚瓦とで鴻巣のボディーガードを引き受ける。しかし相手が凶器を所持していた場合は撤退の道を歩む故、その際は全速力で逃げるとする。逃げるが勝ちだ、まともに立ち向かって怪我でもしたら大変だからな」
「わかった。お願いね、お兄さん」
――またしても不毛な日々が続きそうではあるが、これは人助けだ。不測の事態、たとえノーマルライフを求める者であっても立ち向かわなければならない案件でもある。それ故に吾妻はいつになく気合が入っていた。これが終わったらノーマルライフを送るのだ、と――まさに死亡フラグが立った瞬間である。
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