職質

 かくしてボディーガードなるものを引き受けた吾妻は明日のためにと密かに昔見たカンフー映画を思い出しながらイメージトレーニングに二時間を使い、その後疲れて倒れた。そして目を覚ませばすでに日が昇った早朝であったことに愕然とした。自分の体力のなさと回復力のなさに呆れながら、どうにか鴻巣との約束を果たすために出勤の準備を終わらせた。

「遅いよ、お兄さん」

 アパートの階段を降りた先には準備万端といったふうの千枚瓦と、女子高の制服を身に纏った女子モードの鴻巣がいた。こうして改めて眺めても、どこからどう見てもその辺をほっつき歩いている女子高生と何ら変わらない。この少女のどこにあれほどの高度な変装術を扱う技術力が隠されているやら、吾妻は不思議でならなかった。

 もしや自分にも隠された、秘められた力があるのではないだろうかと少し気張ってみたが、僅かに某猫型ロボットの反重力装置程度の浮遊しかできなかった。落胆を堪え、吾妻は二人と共に歩き始めた。

 アパートから歩いて十五分程度のボディーガードではあるが、身の危険があると考えるだけで昨晩のイメージトレーニングが無駄であったかのように、吾妻は足が竦みそうな思いであった。千枚瓦はというと、堂々としたふうに歩いては通りがかる人それぞれに威嚇し、むしろ逮捕される側の人間ではないだろうかと内心冷や冷や状態の吾妻ではあったが、世界は理不尽にできていた。

 女子高までの道のり、その間に全く別の警官に三度も声をかけられたのは吾妻のほうであった。千枚瓦はどうやら取り巻きだと思われたのだろう、本丸だと思われた吾妻は声をかけられるたびに自身の不憫さに嘆き続けた。人助けをしているというのに、女子高生と並んで歩いているだけでどうしてここまで理不尽な扱いを受けなければならないのか。こればかりは心底運命を呪うしかない。

 とはいえ、吾妻の隣には天使がいた。吾妻のことを「親戚のお兄さん」と紹介して、やんわりと事情を説明し、警察官による吾妻への疑いをきれいさっぱりと晴らしてくれたのだ。果たしてこんな天使を今まで見たことがあっただろうかと、吾妻は女子高前で鴻巣と別れ、手を振って笑顔で登校する姿を千枚瓦と共に見送った。

「うちはまともな親ではなかったが、親が子の身の案ずる気持ちがわかったような気がするよ」

「俺も、何となくわかります」

 おそらく千枚瓦も同じような思いでいたのだろう、気持ち表情が柔らかい。

「では僕は会社に行かなきゃ。千枚瓦、僕はできるだけ早く帰られるようにするつもりだ。それでも、早くても六時になる。すまないが、帰りのボディーガードをよろしく頼む」

「あ、そのことなんですが」

 千枚瓦はビシッと手のひらを吾妻に向けて申し訳なさそうに言った。

「鴻巣さんには事情をお話しましたが、吾妻さんにはまだでした。実は夕方からインストラクターの研修が入っていまして、一週間ほど深夜帰りになります。ですので、鴻巣さんに帰宅時間を連絡して、学校まで迎えに行ってください」

「おいおい!」

 まさかの展開である。というよりもまさかの事後説明であった。こうなると早めに仕事を切り上げて帰らなければ、学校でかなりの時間待たせてしまうことになる。

「あ、しかし、連絡先を僕は知らないぞ」

「連絡先はこれに」と千枚瓦は一枚のメモ用紙を吾妻に手渡した。用意周到で計画的である。これは吾妻に強制的な承諾をさせるための巧妙なやり方だ。しかし千枚瓦のどこか間の抜けた空気がその推測を僅かにぼやけさせた。

「……わかったよ、どうにかする」

 何にしても、迎えに行くつもりではあったのだ。承諾し、吾妻は千枚瓦と別れて走って駅に向かった。


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