偽善
藤堂藤一郎が創設した偽善的秘密結社は構成員に統一性がない。
国会議員に公務員、パチンコ屋の店員や八百屋の店主、普通のサラリーマンや主婦や学生、浪人生からニートと、幅というよりも職種も年齢も性別も関係なく構成員に組まれている。
彼ら彼女らの行動に恩は不要、すべては偽善という一つの目的のようなものを掲げて動いている。
彼ら彼女らは自らの意思で行動し、組織のトップにすべて制限されていない。むしろ一つの問題に対して無益であろうが何だろうか身を粉にして動き、骨が折れようと血が噴き出そうと、心が圧し折れそうな精神的苦痛に見舞われようとも、後悔という概念は彼ら彼女らの心に生まれないというのだ。
恐ろしい域に達していると言える。そんな彼ら彼女らの間にも唯一の制約がある。制約というよりも暗黙のルールというやつである。それは互いに素性を詮索しない、明かさないことである。
組織のトップは構成員の把握のために情報を握ってはいるものの、構成員それぞれが互いの素性を詮索もしなし明かすこともない。その理由は単純明快、偽善的活動において、まったくの不必要であるからだ。
偽善という一つの共通意識を持っているだけで充分であるからである。
殺人事件に立てこもり事件、いじめ問題に恫喝・窃盗事件、買春問題に誘拐事件、万引きにストーカー問題から家庭内問題。幅広いというよりも彼ら彼女らが「助けたい」「力になりたい」と、そう思った瞬間に彼ら彼女らは偽善的秘密結社の一員として、無益上等で立ち向かうのだ。
とはいえ、要するに彼らがどう思うかである。
これは助ける必要はない、これは守る必要もない、これは解説する必要はない、これは力になりたくない。少しでもそう思うようであれば、その構成員は助けもしないし守りもしない。つまり人それぞれということだ。一人でも助けたい・守りたいとある人が思えば、その人は助けてくれるし、守ってもくれる。だが、必ずしも、偽善という名の救いの手を伸ばしてくれるかというと、それは違うのである。
それが偽善的秘密結社だ。
偽善とはそういうものだ。
しかし、それを非難する者がいるとしればお門違いである。偽善で気まぐれではあるが人助けのために行動する者と、行動せずに蚊帳の外から文句を言う輩。言わずもがなである。
そんな秘密結社を現在束ねているのは創設者である藤堂藤一郎の孫娘、藤堂るりだ。
構成員の数はすでに万の数を越えており、しかし、彼女は構成員それぞれのデータをすでに頭に叩き込んでいるというのだから驚きである。頭脳明晰、ずぼらな格好でありながら祖父から引き継いだ組織は、彼が脳梗塞で倒れて亡くなったあとも、正常に機能していた。むしろ彼女のほうが構成員を動かすカリスマ性は高いようだった。
つまり、彼女は組織の機動力であり戦力でもある構成員から、絶対的な信頼を持たれていたということである。そんな信頼など嘘であると吾妻は思っていた。何せアパートの契約書は改ざんされて騙され、五十年間もおんぼろアパートの殺風景な部屋に住まなければならなくなり、酷い扱いを受けつつこれからも望んだノーマルライフを涙しながら踏みつけ、毎日を無意味に過ごすことになる――そう吾妻は思っていたからだ。
思っていただけで、それが現実になるとは限らないということもわかっていた。
無意味に過ごしてきた日常で、吾妻は藤堂るりの評価が少しずつ変わっていくことに自身が追い付けていないことを悩んでいた。
彼女は酷い女である。それは間違いない。しかし、彼女のことを知れば知るほど、どうしてそういう一面を持ってしまったのか、その断片が見え隠れし始めたのである。
彼女は吾妻と同級生である。若くしてアパート経営を引き継ぎ、さらに裏では秘密結社を受け継いでいた。アパート住人との仲はとてもよく、正面から意見をきちんと言い、言うべきことは言う性格も、さばさばしているおかげで受け入れられている。
おそらく彼女自身が人間関係を築くのが上手いのであろうと最初は吾妻も思っていた。しかし実際はそうではかったのだ。
藤堂るりの両親は幼少期に交通事故で亡くなっていた。それからは祖父である藤堂藤一郎の下で暮らしていたという。彼女と藤一郎はとても仲が良く、理想の祖父と孫の関係であったらしい。それは二人が一緒に写っていた写真からもわかることで、深い愛情を注がれて彼女は藤一郎に育てられてきたのだ。しかし、彼女は最後の家族を失った。藤一郎という大切な家族を失い、一人になった。それが、今の彼女を作り上げたのだ。
彼女は人一倍、寂しがり屋なのだ。そして、それ故にアパート住人を家族のように思っている。吾妻も、その中の一人であり、五十年などとふざけた契約を結ばせたのも――失いたくないという恐怖心に彼女は囚われているせいなのだ。
その恐怖心が重くのしかかっている彼女には、もう一つの問題が突如舞い込んできた。借金である。それも高額で、額は不明ではあるが、ポンと出せるような額ではないことを吾妻は知っていた。数年前に起きた立てこもり事件のために偽善的秘密結社が集めた身代金、そのツケが今、彼女に襲い掛かっていた。
偽善的活動につきものであるマイナス要素、それが借金という形となって、後継者である彼女は解決しなければならないものとなっていた。吾妻の歓迎会での電話は、借金返済に関する電話だったのだ。
アパート入居時に吾妻が彼女の弱みを握るべく追跡等を試みて失敗に終わったのは、時間があれば昼夜問わず働きに出て借金に充てる金を稼いでいたことを誰にも知られないようにと、仲間に吾妻を撒けるように工作させていたからである。これは彼女の家に忍び込んだ際に見つけた、写真や借用書とはまた別にあった指示書の原本と書類から知ったことである。
指示書から彼女が毎日働き詰めであったことを知り、彼女が寝込んでいたのはこの疲労からなるものだ。それでも、彼女はアパート住人との飲み会をやめることはなかった。察するに、家族を失った心を温めてほしかったからであろうと吾妻は感じ、飲み会での彼女の笑顔が、とても幸せそうだったことを思い出した。
そして同時に、手作りカレーを一緒に食べて、縁側で酒を飲み交わしたあのときも――おそらく彼女は。
「…………」
そう考えると自分の人生はとても恵まれていたと吾妻は反省に反省を重ねて、しかめっ面になっていた。天変地異を引き起こせるほどの力を持つ龍神なる神、その父と酒乱の母、災害レベルの能力を有した兄姉、家族が巻き起こす騒がしい毎日。対して家族を失い、祖父とたった二人で静かに、そして幸せに毎日を生きてきた藤堂るり。
家族のせいで荒波もうねらない、穏やかで平凡な日常を求めた吾妻だが、どうやら自分はどこへ行ってもそういう世界に身を置く運命にあるのかもしれないと、そう感じ始めていた。ならば、ならばと吾妻は立ち止まった。
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