訂正


 繁華街から外れたビル群の中、その中でも異様な空気を放っているビルを見上げて、吾妻は深呼吸を繰り返す。そして中へと踏み込んだ。

「どうせそういう運命であるというのなら、いいだろう。藁船であろうと泥船であろうと、荒波に身を任せて無理矢理大海原を越えて見せる」

 階段を上がり、二階の扉をノックする。無言で開かれた扉、開けた人物の顔には大きな傷、首筋には刺青が見える。おっかない顔をしているが、吾妻の心はまるでぶれない。

大仰おおのきという男に会いに来た」

 そう言うと、吾妻は奥の部屋へと案内された。青龍刀や日本刀が飾られている部屋を抜け、大きな扉で塞がれている奥の部屋を男がノックし、中からどすの利いた男の声が返ってきた。

「入れ」

 言われて刺青の男が吾妻の身体検査をした後、扉を開く。部屋に入ると扉が大きな音を立てて閉められ、薄暗い中、部屋の中央に置かれた巨大な木製のテーブルの奥、大きな椅子にふんぞり返った丸刈りの男と吾妻は対面した。

「あなたが大仰か」

「そうだが、あんたは?」

「知っているだろう」

「ああ、まあな。壊滅状態になった珍品団の突当つきあたりがお前のことで腹を立てていた」

「突当?」

「自分を『我』と呼ぶ男だ」

「ああ、牢の前で会ったような気がするが、あいつがボスだったのか」

「何も知らずにここへ?」

「知らずともいいことを知っていたところで、ここに来た理由とまったく関係ないのだから、あの男が何という名前であろうと僕には関係ない。座ってもいいか?」

「ああ、その辺に座れ」

 大仰は重い腰を上げるかのようにゆっくりと立ち上がり、吾妻が座った黒革のソファーの真向かいに座った。妙に背が小さく、威厳は顔からしか放たれていない。それでも彼は――大仰は、闇金業界の中でもやり手の男であるという噂だ。

 そう、ここは闇金業者の、腹の中である。

「オークション会場が滅茶苦茶になったのは偽善的秘密結社の仕業だそうだな。おかげで壊滅状態、復活の見込みもなく突当は渡米してあっちで別の商売を始めるそうだ。それで? ……お前もその一件に一枚噛んだ構成員の一人か?」

「まさか。僕は自己中心的な人間だぞ」

「まあいいさ……珍品団とは昔からつるんでいてね、オークションにも一枚噛んでいた。しかし失敗し、かなりの損失を受けたよ。まさかとは思うが、奴らに言われて詫びでも入れに来たのか?」

「馬鹿を言うな。犯罪者に頭を下げるような頭は持っていない」

 と、藤堂家に不法侵入をした吾妻が言っても仕方ない。

 吾妻は訂正する。

「馬鹿を言うな。悪党に頭を下げるような頭は持っていない」

「何故言い直した」

「気にするな」

 大仰は葉巻を吸い始め、煙が天井付近に溜まっていく。煙たさに目がかゆくなり、手で眼前を掃いながら話を進める。

「オークションの一件とはまったく関係のない話だが、偽善的秘密結社に関係することで話をしにきた。藤堂藤一郎殿は知っているであろう?」

「ああ」

「では、現トップである藤堂るりも当然知っているな?」

「ああ――ああ、お前がここに来た理由が何となくわかったぞ」

 言って、大仰は灰皿に葉巻を置くと脚を組んでから天井を見上げた。口元は下品な笑みを浮かべている。

「藤一郎が立てこもり事件で俺たちに作った借金について、だろう? それともう一つだ。むしろ、そっちがメインだろう?」

「…………」

 契約書を盗み出そうとしたあの晩、帰りに見た書類に吾妻は愕然としていた。その書類の内容は、アパートの立ち退きについてのものだった。

「数年前から話はしていたんだ。立ち退いてくれたら利子率を下げたり、借金の一部をチャラにしてやったりしてもいいと。しかしまあ、あのじじいと同じだ。あの女も断固として立ち退かねえ。こっちは返済期限も延ばしてやっているっていうのに。あれだけいい立地条件なのにあんなボロアパートなんて、勿体ないと思わねえか? お前だってそこの住人なんだろう? ……そうだ、お前にいい話をやるよ」

 彼の言葉を耳に入れつつ、吾妻はやりきれない思いを固く拳を握ることで抑え込んでいた。

「どうだ? あの女を説得して立ち退きまで行き着いたあかつきには、あそこに建てる予定の高層マンション、そこの最上階を格安で売ってやるよ。どうだ? ん?」

 ヤニだらけの歯をむき出しにして気持ちの悪い笑みを浮かべるこの男の顔を睨むように見て、吾妻は彼との会話で、嫌な予感がしてならなかった。

「ひとつ、聞かせてくれるか」

「何だ? 金額か?」

 吾妻は前のめりになって、訊ねる。

「藤堂藤一郎殿が借金を作るきっかけとなったあの人質をとった立てこもり事件……お前らは、あの事件とは無関係なのか?」

 吾妻の質問に対して、大仰は鼻で笑って立ち上がった。窓際へ向かった彼は背を向けたまま吾妻に答えた。

「あの事件そのものを俺たちが起こした、とでも思ったか? それこそ馬鹿を言うな、だ。俺たちがそんなことをしても何の得にもならん。金になるから商売だ。偽善的秘密結社のように無益でどうこうするような馬鹿じゃねえ。だからその質問にはこう答えよう。無関係だ。そいつが事件を引き起こすようにと指示を出したこともない。ただ、な」

 振り返り、逆光で大仰の顔が暗く見え、しかし口元が笑っていることだけはすぐにわかった。笑顔で彼は言う。平然と、事実をありのままに言う。それは、吾妻の中に強力な炎を灯した。

「……ただ、、ということを、俺たちは知っているぐらいだ」

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