再来


 大家宅の裏手、物置小屋の中にあるものは何でも使っていいとのことで、吾妻は眠気が吹き飛んだ代わりに寝不足の気怠さを背負いながら、使えそうなベニヤ板を担いで部屋に戻った。

 畦倉との合意の末、しばらくはその板で塞ぐこととなった。さすがに素六時中穴を通して顔を合わせるのも気まずい。

「こんなものかな?」

 あり合わせの釘を打ち付けて、どうにかこうにか板数枚で穴を塞ぎ終えた吾妻は、ようやく銭湯に行って汗を流した。途中睡魔が訪れて溺死寸前となるも、どうにか帰宅した。帰宅途中で細い路地や壁と壁の間を覗き込み、アーノルドを探して歩いたものの、手がかりなど見つかるはずもなく、コンビニで買ったビールを飲みながら吾妻は捜索手段を考えていた。

「ノーマルライフは、夢のまた夢、なのか」

 せっかく自由を得て普通の人生を歩もうとしていたというのに、束縛され、さらに何故束縛からの解放のために犬探しなどしているのだろうかと情けなさに吾妻はひとり涙した。すると、玄関扉を強く叩く音と共に聞こえてきたのは「吾妻さーん」と、吾妻を呼ぶ千枚瓦の声だった。

「どうした?」

 玄関扉を開いて迎えると、両手いっぱいに酒瓶やおつまみを持った千枚瓦が立っていた。申し訳なさそうに頭を下げて、彼はその巨体から発するにしては物腰柔らかい声で言う。

「アーノルド探しを手伝ってくれて、ありがとうございます。俺のせいで貴重な時間を……」

「ああ、いや……いいんだ。僕にも別の目的ができたわけだから……もしかして今の今まで探しに行っていたのかい?」

「はい」と千枚瓦は肩を落とした。沈痛な面持ちにさすがの吾妻も同情してしまい、立ち話も何だと部屋に上げることにした。

「そういえば千枚瓦は普段何をしているんだ?」

「スポーツインストラクターです」

「じゃあ、あの筋トレマシーンの数々は仕事道具のようなものなのかい?」

「あれは趣味です。これでも、史上最年少で総合格闘技世界チャンピオンに……」

「大家が言っていたのは本当の話だったのか!」

「……練習試合で勝ったんですよ」

「う……む」

 練習試合でもチャンピオンに勝てたというのは自慢してもいい話だ。しかし、遠慮の具合から見て、どうやら相手が勝たせてくれた、というのが事実らしかった。だから彼はそれ以上その話題には触れなかった。その代り、筋トレにはまった経緯を教えてくれた。

「ボディービルダーの映像を見て、憧れたんです。でも、コンテストに出たいとかじゃなくて、自分もムキムキになりたいなと」

「もう充分ムキムキだと思うが……」

「いえ、まだ半分も満足していません。だから毎日が楽しかった。でも……アーノルドがいなくなったせいか、昨日今日で体重がかなり落ちてしまいました」

「……落ちたものは付ければよろしい。今は、アーノルドのことを考えてやる、それが一番だろう」

「そのとおりです。全身の筋肉が落ちようとも、それでもアーノルドを探し、見つけ出します」

「その意気だ。できる限り早急に見つけ出してあげたいと僕も思っている」

 五割は自分のためではあるものの、彼の気持ちがひしひしと伝わってくるせいで同情以上に、吾妻もアーノルドのことが心配になってきていた。どうにか見つけ出し、彼を安心させてやり、そして自分も契約書の改正を狙う。一石二鳥、一挙両得である。

「これはお詫びの品です。よかったら飲んで食べてもらおうかと」

「ならば一緒に飲んで食べようじゃないか。気合を入れるには、まずは胃袋を満足させなければ」

 と言いつつ、実は朝から何も食べていないせいで吾妻は空腹状態だった。ビールで誤魔化すよりも、食べ物のほうがいいに決まっている。冷蔵庫もなく買い置きもない。吾妻は台所に置いていた紙コップを手に取り、千枚瓦を連れて奥へ向かう。

「まあ適当に座ってくれ」

「では遠慮なく――」

 千枚瓦が座った途端、メキメキと、吾妻は不気味な音を耳にした。それは地鳴りのような、どこかで大木が圧し折れるような音。それも広範囲で――聞き覚えがあった。今朝、聞いたような音だった。そして、吾妻は気付く。千枚瓦が座った場所は、ついさっき封をしたばかりの場所だ。

「千枚瓦! そこは駄目――」

 時すでに遅し、千枚瓦の真下に亀裂が入り、さらに駆け寄った吾妻の――穴の空いていない畳まで軋み始めた。そして吾妻の全体重が掛かった瞬間――デジャヴ、床が抜け落ち、今度は千枚瓦をも巻き込み、さらに穴は大きく広がった。踏み抜く瞬間に自分を浮かせることができていたら、もしかしたら最悪な事態を防ぐことができたのかもしれない。しかし、後悔しても遅い。

 半日ぶりに階下に落下した吾妻は酒瓶だけは必至に守っている千枚瓦の安否を確認。さすがは筋肉馬鹿、傷一つない。今度ばかりは受け身を取り損ね、吾妻は肘を擦り剥いた。広範囲に広がった穴を見上げてため息を漏らす。

「大家さんに何を言われることやら……あれ? 畦倉は?」

 部屋の中を見渡しても、玄関先を見ても畦倉の姿はなかった。一応確認のために洗面所やトイレを見に行くが、誰も居ない。外出中か? と吾妻が部屋に戻ると、千枚瓦が転がっている横、ベニヤ板の下からニョキっと飛び出して震えている何かを発見した。

「…………あ」

 それ見間違えるはずもない、人の腕であった。

「あ、畦倉ぁあああ!?」

 喉が引き裂けそうなくらいに絶叫し、すぐさま救出に向かう。ベニヤ板をどけると、そこには虚ろ目の畦倉が横たわっていた。

「畦倉! 大丈夫か!」

「吾妻さん……し、死相が見えます……」

「死にかけているのお前!」

 慌てて髪にかかった砂埃を払う――と、吾妻は硬直した。

「……誰?」

「いやぁあああああああっ!」

 彼女はそう叫んで吾妻の頬を思い切り引っ叩いた。

 ベタな話、前髪を上げた彼女は、とてつもない美少女だったのだ。

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