酒乱


 畦倉はまったくの無傷、負傷したのは吾妻ただ一人であった。自分で消毒をしてから絆創膏を貼り、畦倉の部屋を本日二度目の掃除を終えたのち、三人で千枚瓦が持ってきた酒とおつまみを囲って飲み食いし始めた。

「最低です、最悪です。吾妻さんに超絶的セクハラを受けました……もうお嫁に行けません」

「いや、前髪を上げてしまっただけでセクハラ言うな。嫁に行けないのはこういう部屋に引きこもっているからだろうが。それにしても、どうして前髪を下しているんだ? 上げていたほうが可愛らしいというのに」

「恥ずかしいんです!」

「わからん」

 ビールを飲みながら吾妻は不機嫌そうに言った。自己主張の強い姉ばかりを見てきたせいだろう、彼女のような自己主張の弱いタイプは、どうも扱い方が吾妻には理解できなかった。

「拝観料として一万を請求します」

「ものの数秒でぼろ儲け!?」

「吾妻さん、セクハラ裁判は敗訴確実ですよ」と千枚瓦に蔑むような目で言われ、吾妻は泣く泣く彼女になけなしの金を握らせた。酒の入った千枚瓦は泣き上戸となり、畦倉は絡み酒、吾妻はどちらかというと畦倉と同じ絡み酒である。故に意気投合し、肩を組みながら千枚瓦のアーノルドを失った悲しみを聞きながら酒をあおり続けた。

「それでぇ、俺はあの瞳がすごく大好きでしてねえ……思い出すだけで癒される……アーノルドぉおお……」

「泣くなぁ、漢ならどどんと構えてぇ、帰ってくるのを待つものよ、ねえ吾妻さぁん?」

「そのとおり! 泣いて戻ってくるのならなあ! 皆ぁ、泣いて待っているわけよ?」

 と吾妻は千枚瓦の空になった紙コップにビールを注ぐ。

「私なんかぁ、待つ相手もいないんだからぁ……アハハ……ちくしょう!」

「そりゃあ引きこもっているからだろうが!」

「たまに外に出るもん!」

「出るもん! じゃねえよ! 歳いくつだ!」

「二十七ですぅ」

「まさかの年上かよ!」

 軽く喧嘩腰になり、意気投合はあえなく崩壊、睨み合いながら酒をあおる。その間も千枚瓦は二人が睨み合う中、話を聞いてもらっていようがいまいがお構いなしに話し続ける。

「あいつは、一人で寂しそうに泣いていたんだよぉ……だからさあ、可哀想で可哀想で、拾ってやろうって、思ったわけよ……」

「じゃあ吾妻さんはぁ、彼女とかできたことあるんですくわぁ?」

「僕の青春に、不必要だと判断したまでだ、悪いかぁ?」

「言い訳ですね! ぷぷぷ! 今日から童貞さんって呼びます」

「じゃあお前はなあ、あれだ」

「セクハラですね」

「真顔で言うな! ってか、それ反則だろ!」

「筋トレしていたらぁ、あいつも一緒に鍛え始めて……もう嬉しくて嬉しくて」

 ひっくひっくと泣きじゃくりながら千枚瓦がビールを一気飲み、合わせて吾妻も畦倉もコップを空に。そして三人がそれぞれ酒瓶を持ってそれぞれのコップに注ぎ合う。

「きっと、お腹を空かせて……泣いているんだろうなぁと思うと、胸が苦しくて苦しくて」

「そんなに大事なのかぁ!」と吾妻が叫ぶ。

「大事です!」と千枚瓦が叫び立ち上がる。

「なら任せなさい!」と畦倉が叫び、水晶玉を取り出し、床に滑り落とす。

 畦倉の発言に目を覚ました吾妻は、転がる水晶玉を這いつくばりながら追いかける畦倉の足を引っ掴んだ。

「今、何て言った?」

「足フェチですかぁ?」

「違う! 今、任せなさいって言ったよな?」

「言いましたよぉー……っと」

 畦倉は手を伸ばして水晶を掴み、頭をふらつかせながら胡坐を掻いた。

「長い時間聞かされましたけど、私には千枚瓦さんみたいにアーノルドのような存在はいませんけれど、まああれです、大切なんだなあっていう気持ちがガンガン伝わってきました。ですので、今日は特別出血大サービスとして、占ってあげましょーう。ただしぃ、酔っぱらっているのでぇ、あまり細かいところまでは占えませーん」

 酒の力とはこのことか。完全に酔っぱらってはいるが、どうやら占ってくれるというのは本当のことのようだった。

「一回二十万じゃなかったのか?」

「だからぁ、特別失血……じゃなかった、特別出血大サービスですから、お二人の有り金全部で勘弁してあげますよー」

 言われてすぐに動いたのは千枚瓦だった。藁にもすがる思い、例えそれが胡散臭い酔っ払いの占い師であっても例外ではなかった。

「悪いが酒とおつまみ代で……三千円しかないです」

「いいよぉ」と上機嫌に畦倉は三千円を受け取る。

 背に腹は代えられないと吾妻も財布を取り出して有り金すべてを畦倉の足下にぶちまけた。

「八千五百二十四円だ!」

「……まあいいでしょう」と明らかに千枚瓦より多いというのに、彼女は舌打ちをして懐にしまった。どうやら前髪を上げたことで畦倉との間には溝ができてしまっていたようだった。それでも、彼女は金を受け取ると、今朝見せた占い師としての振る舞いで、床に置いた水晶玉を覆うように手の平を広げた。

「……男が一人、金持ちではない、マンション……目の下に黒子、髪はぼさぼさ……ドライアイ」

「……それが重要人物ですか?」と千枚瓦。

「……うっぷ、間違いないです。でも、これが限界です……」と畦倉は横に倒れて寝ゲロした。畦倉を部屋の端へ転がし、寝ゲロを片付ける千枚瓦は「覚えがないですね」と真剣な面持ちで考えているようだった。吾妻は自分の紙コップを空にして、おつまみを適当に引っ掴み、口に放り込んだ。がりがりと塩気の強い味が口の中に広がり、瓶に少し残っていたビールをラッパ飲みして流し込む。そして携帯を取り出し、千枚瓦に声をかけた。

「千枚瓦、大家さんを呼んでこい。行くぞ」

「? どこに行くんですか?」

 吾妻は胸を張ってしゃっくりをした。

「我らが兄弟、アーノルドの下へさ」


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