友人
携帯電話の電話帳には家族と会社関係の連絡先しか載っていない。それは交友関係にとてつもない欠陥があるわけでもなく、人間性の欠落によって交友関係を築けなかったわけでもなく、単純に友達と連絡先を交換するという機会がまったくなかった、と吾妻は言い訳をする。真実は悲しいことに友達一人もできずに青春時代を過ごした結果であり、惨状でもある。それはともかく、それは置いといて、悲惨な電話帳の中身はこの際どうでもいい話である。
今この時点で重要なのは、登録されている数少ない人たちの中に、探し求める人物が存在していたということだ。即ち、アーノルドという名の筋肉ムキムキのチワワを知る、重要人物。
「やあ、吾妻、休日に俺を呼び出すなんてよほど寂しかったか」
「馬鹿を言うな、僕はバイキングでも一人で行けるぐらいだぞ?」
目の下に黒子。
「それで、飯でも食いに行くのか?」
髪はぼさぼさ。
「映画とかは勘弁してくれよ? 俺、大画面で見るとすぐ目が乾くんだ」
ドライアイ。
現時点での唯一の友人、
四月に入って少しは暖かくなったが、さすがに夕方になるにつれて肌寒くなってきた。持って来ていた上着を着て、吾妻は門司に二人を紹介した。
「この人が僕の住まうアパートの大家で藤堂さん。そしてこの人が隣の部屋に住んでいる千枚瓦だ」
「ああ、例の大家さんか」
門司が余計なことを言う前に吾妻は門司の腹に正拳を叩き込んだ。しかしながら、口封じをしたところで、隠密行動は藤堂るりには筒抜けだったのだからあまり意味はない。風呂上りのところを連れ出されたせいか、少し不機嫌そうな藤堂るりは髪を指先でくるくると巻きながら吾妻を軽く睨んできた。
「それで、私を連れて来てハズレだなんてことないわよね?」
「あのさぁ……俺は何をされるんだ?」と腹を擦りながら言う門司に、吾妻は千枚瓦が描いたアーノルドの似顔絵を見せた。
「こういうチワワを知っているだろう?」
「チワワ……チワワか?」
思い当たる節があるような、それでいてどこか違うといったふうに門司は唸った。
「うーん……確かに昨日の晩から犬を保護している」
「どんな犬だ?」
「こう、筋肉が」
「間違いない」
「俺、まだ何も言っていないよ?」
確定である。最初に出てきた言葉が筋肉であることと、昨日の晩という時点でそれがアーノルドであると吾妻は確信した。千枚瓦も涙目になって笑顔を見せた。藤堂るりも、そんな千枚瓦を見て安堵しているようだった。
「その犬はこの千枚瓦の犬でね、昨晩、脱走したようなんだ」
「そうなのか? いや、まあ……飼い主に似るとも言うし、お前がそう言うのならそうなのかもな。わかった、今から家に行こう。うちのマンションは動物可だから、それで買い主が見つかるまで俺が預かることにしていたんだ。友人の知人が買い主とは、奇遇だなあ」
「まったくだ」
スピード解決とまではいかなかったものの、無事アーノルドを見つけ出すことに成功したわけで、今夜中に大家の藤堂るりと今後のことを話し合おうと吾妻は次の物件をどうするか思考しながら門司の自宅へ向かっていた。事が解決したことで妙に身体が軽く感じられる。感謝しなければなるまいと、寝ゲロの畦倉には酒瓶の一本でも差し入れて、たまに酒飲みに付き合って愚痴を聞いてやろうと考える。空っぽの財布に多少の金を入れて今日は帰るとするかとコンビニの場所を確認しながら歩く。
「それで、アーノルドはどこにいたんですか?」と千枚瓦。
「近くで車同士の事故があったんで野次馬の中に向かったんだが、その最中にそいつを見つけたんだ。酷く疲れているようだったから水を飲ませたり買ってきたドッグフードをあげたり、通りがかったマンションのオーナーさんと話して、俺が預かって、チラシでも配って買い主を、と思っていたんだ」と門司は煙草を吸いながら言う。
「事故に巻き込まれていなくて良かったです……」
背筋を震わせた千枚瓦に微笑みかける藤堂るりだったが、何一つ言葉をかけることはなく、一人何かを考えている様子だった。ちょっとした違和感ではあったが、この藤堂るりに対して違和感など抱いていても損するだけである。さっさとあのアパートを出て、新たにノーマルライフを送らんと胸を膨らませる吾妻は、ふと見かけた大型トラックを前に少しだけ歩調を緩めた。どこかで見たことのあるトラックで、引っ越し業者のように見えるが業者名は一切印字されていない。
「そういえば、以前見かけたな……」
記憶が蘇り、あのアパートに引っ越してきた初日に見かけたトラックと記憶が重なった。妙な胸騒ぎがするも、それが何を意味するのか、それは吾妻にもわからなかった。とにもかくにも、今はアーノルドと千枚瓦を再会させるこが優先事項である。
マンションのエントランスを抜け、エレベーターに乗り込む。吾妻の住むアパートに比べると何もかもが最新機器ではあるものの、築十八年という門司の住まうマンションには監視カメラは付いているが、オートロック機能はないらしい。それでも防犯的にはアパートの数百倍であることは間違いなく、こんな場所であれば枕も高くして眠れるであろうと――エレベーターで二階に上がり、門司が自分の部屋の鍵穴に鍵を差し込んだ時だった。
「あれ? 開いてる?」と門司が焦ったように言い、その場に緊張が走った。人間の本能だろうか、危険を感じた吾妻は咄嗟に千枚瓦の後ろに隠れた。それは他二人も一緒のようで、巨体の後ろでは吾妻、藤堂るり、門司の三人が押し合っている。
「何故、皆さんは俺の後ろに」
「千枚瓦とアーノルドの再会を邪魔してはならんと思ってだな」と吾妻。それに対して他二人も頷いて結託する。しかし、さすがの千枚瓦も現時点でどういう状況なのかを理解しているようで、ドアノブに伸ばす手はとてもゆっくりであった。
全員が息を呑む中、部屋の中から物音が聞こえ、門司はすかさず震える指先で携帯に110と打ち込み連絡を開始した。例え憎き大家であっても、男として、女性の藤堂るりを守る義務もあろう、と吾妻は藤堂るりに離れているよう指示を出す。状況も状況、彼女は素直に頷いて千枚瓦の背後から階段まで小走り、物陰に隠れた。そして千枚瓦とアイコンタクト、頷き合い、千枚瓦は勢いよく扉を開く。
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