落下
捜索活動は一旦打ち切りとなった。というよりも、無理をして夜通し走り回ったことで、元から少ない体力をほとんど使い切ってしまったのだ。
千枚瓦は余裕の表情ではあったが、朝陽が登り始めた頃には欠伸を漏らす回数も増えていた。
吾妻に至っては足元が覚束ないほど疲れ切っていた。何にしても、効率よくしなければ何事も解決には至らないというもの。万全を期するために、と吾妻は千枚瓦を説得し、完全に朝陽が登った頃に帰宅した。引っ越してきてから一週間以上が経過したというのに、部屋の中は殺風景、冷蔵庫もテレビもない。あるのはスーツと布団と枕と私服、そのぐらいだ。そろそろいい加減、冷蔵庫が欲しいと吾妻は畳に寝転んだ。しかし寝苦しい。ふと、自分が汗だくになっていることに吾妻は気付いた。四月とはいえ全力疾走を夜通し続けていれば汗もかくというもの。
「銭湯に行くか」
とりあえずリフレッシュして、それから少し仮眠をとったのち、アーノルドの捜索を再開しようと身体を起き上がらせた。トートバッグにタオルと着替えをねじ込む。ポケットに財布を入れようとしてうっかり落としてしまう。レシートやポイントカードがぎっちり詰まった財布は鞠のようにポンポンと跳ねて部屋の片隅へと転がって行き、やつれた顔を引っ提げて拾いに行こうとした吾妻は――突如襲った浮遊感にうっかり自分の能力を使ってしまったのかと思った。しかし、それは自分の能力による浮遊感などではなかった。よく見れば足元には大きな穴が空いていて、吾妻の身体は宙にあった。
そして、絶賛落下中であった。
「おおう!?」
突然の出来事に驚き、慌てふためき、しかし抵抗虚しく、吾妻は穴の奥へと吸い込まれるように落ちて行った。一瞬の出来事ではあったが、吾妻の脳には無意識の内に、吾妻が財布を拾いにいった先の畳を踏んだ瞬間、ぶにっ、と弛み、踏み抜くようにして畳が崩れて折れ、そのまま落とし穴の如くぽっかりと空いた穴に落下する映像がしっかりと焼き付けられていた。
落下し、砂埃に顔をしかめつつ、自分の安否を確認する。怪我はしていない。財布は、足元に転がっている。足元には財布と一緒に崩れた畳や天井の材木などが散らばっていた。
「つまりここは……一階の部屋か」
頭に乗ったごみを払いながら立ち上がる。周囲を見渡して、その異様な光景に吾妻は頭痛がした。
「黒魔術か何かか?」
あの千枚瓦のトレーニング部屋を軽く凌駕した部屋。髑髏や不気味な人形があちらこちらに飾られ、窓は黒い布で覆われて自然光は皆無、唯一の光源は部屋の真ん中に鎮座するテーブルの上にある、これまたアンティークかつ気色の悪い装飾が施されたランプ。さらにランプの色は何故か紫色で、部屋全体に禍々しい雰囲気を生み出していた。造りは同じであるはずが、どこか広く感じる。天井の高さもそうだが、部屋全体が広く感じるのだ。
吾妻は思い出していた。引っ越し当日、夜通し行われたあの歓迎会という名の飲み会で、一人、この部屋の主ではないかと思われる人物と出会っていたような気がしてならなかったのだ。
記憶を一つ一つ整理していき、点と点が結ばれたかのような爽快感と共に記憶が蘇る。そして、ほぼ同時、玄関先に人の気配を感じ取った吾妻は――玄関扉に縋り付くようなポージングであんぐり口を開いて呆然としている女性を見つけた。吾妻よりも貧弱そうな身体、目元を前髪で覆って全身を真っ黒の衣装で纏い、見るからに怪しげで、見るからに不健康そうで、短い廊下に備え付けられているキッチンには、不気味な煙を立ち上らせる鍋が一つ。
変人、もとい見るからにオカルト系――自己紹介をされたような記憶はあるが、当時酔っていて記憶の欠片も残ってはいなかった。それでも一度見れば忘れようもない怪しさだけは、根を生やしたように頭の中に残っていた。
天上を見上げ、それからもう一度彼女を見た。どうやら吾妻が落ちてきたことに驚いて、怪しげな調理を放り出して玄関まで逃げたのだろう。
「悪い、床が抜けてしまったようだ。怪我はないかい?」
紳士ぶってみるも、しかし彼女の警戒心は拭えないようで、怯えた子犬のように震えながら吾妻を見ていた。少し考えて、吾妻は咳払いをしてから続けた。
「それにしても、まるで別世界に飛び込んだかのような部屋だね。実に興味深い品が並んでいる。あの髑髏はまるで本物のようだ。人形もまるで生きているように生気を帯びた作りだ。よほど腕のいい職人が作ったのだろう。壁の絵画は自分で描いたものなのかな? そうでなくとも絵心のある素敵な絵だ。僕の持てるだけの技術を集束させてみても表現しきれない繊細かつ大胆な絵だ。ああ、それはそうと、僕は先日引っ越してきたばかりの吾妻だが、すまないが、あの飲み会の席ではかなり酔っていたようで名前を覚えきられていないんだ。できれば、名前を教えてもらってもよろしいかな?」
親近感をわかせるために興味の欠片もないオカルトグッズを眺めながら、吾妻はようやく姿勢を正して向かい合ってくれた彼女にできる限りの微笑みを送った。
「
思いのほか、可愛らしい声だった。
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