第43話 厄災、復活

 志堂市内のとある住宅地から少し外れた場所に、霊穴の一つがある。

 ここにも、巨大な『楔』が地下深くまで打ち込まれ、それを管理する施設が建設されていた。


「あー、眠いなあ。早く夜勤が終わらねえかなあ」


 施設内の管理棟で、職員の男は大きく欠伸をしながら椅子にもたれかかった。室内に配備されたモニターには、『楔』の状態を計測する八種類のメーターが表示されている。現在はどの数字も標準値内に留まっており、特に異常は見られない。


「おいおい、サボるなよ。もしここに問題が起こったら、大惨事になるかもしれないんだからな」

「ははっ、問題なんて起こるわけないって。毎日、昼間にあれだけ異常がないかチェックしているんだからさ」


 傍らでコーヒーを飲みながら小言を言ってくる同僚に、職員の男は気楽な言葉を返す。

 勿論、男もこの施設の重要さは理解している。霊穴に打ち込まれた『楔』は、市内に張り巡らされた霊脈の気の流れを静穏化させる効果を持つ。もしも、市内数十箇所の霊穴に異変が発生したら、霊脈に封じ込まれた厄災が目覚めてしまうだろう。

 とはいえ、こうして何事も起こらない毎日が続くと、気も緩むというものだ。


「お疲れ様です」


 そこへ、警備服を着た若い男が二人、室内に入ってきた。職員の男は、ヘラヘラと笑いながら声をかける。


「おう、そっちはどうだ?」

「現在のところ、不審人物は見られません」

「そりゃそうだ、これだけ警備に人数を割いてるんだぜ? 世間を賑やかしている例の礼賛神徒も、こんなところまでは侵入できないさ」


 職員の男の平和ボケした態度に、同僚達は苦笑を返すしかない。

 市内の安全の要ということで、施設内の警備はかなり厳重だ。警備システムには最新の設備が使われているし、二四時間体制で三〇人もの警備員が施設内に配置されている。一部の専門家は人件費などを問題視しているが、安全を金で買えるのなら安いものだろう。おかげで、男達も給料で懐が潤っていた。


「ええ、外から侵入者が入る危険は極めて低いでしょう」

「だろ?」


 警備員が自信ありげに言うので、職員の男は安心しきって椅子の背もたれに身体を預ける。警備員は男のすぐ後ろに立ち、薄く微笑んだ。


「ええ、外からはね」


 警備員がそう言うと、職員の男の口を手で塞いだ。何の冗談だ、と男は振り返ろうとする。

 それよりも先に、警備員が彼の喉に隠し持っていたナイフを突き刺した。


「ぉぅ……っ」


 うめき声もろくにあげることが許されず、職員の男は椅子から転げ落ちた。急激に薄れていく彼の視界には、同僚が別の警備員に胸を刺されて倒れる姿が映った。二人分の血溜まりが、冷たい床に広がっていく。


 凶行を終えた警備員達は頷き合い、一人が携帯電話で電話をかける。


「こちら、C班。管理棟を制圧完了」

『こちら、A班。他も片付いたようだ。爆薬もセットした』


 電話の相手は冷静な声音で報告を受けた。


『よし、全員、退避したな? カウントダウンを始める。五、四、三、二、一……ファイアッ』


 次の瞬間、施設が揺れ動くほどの轟音が弾けた。

 警備員は、モニターに映し出された『楔』の映像を見つめる。巨大な杭の形状を持っていた『楔』は、激しい衝撃波と共に濃厚な爆風に覆われていく。『楔』の状態を計測するメーターは、緊急事態を告げるアラーム音を盛大に奏でた。

 警備員――として数か月前から潜り込んでいた礼賛神徒二人は、歓喜の声をあげる。


「よしっ。これで、真の神がお目覚めになられるぞ!」


 やがて、破壊された『楔』の中から、家屋を軽く握りつぶせそうなほどに巨大な手が姿を現す。手は蠢きながら、ゆっくりと『楔』から這い出てきた。モニター越しでも、その色が透けて見える。


 地響きと共に『楔』の周辺の地面が真っ二つに割れ、まるで地獄の蓋が空いたように巨人の腕がさらにもう一本生えてくる。


 一〇年もの間、霊脈に封じ込められていた災厄が今、目覚めようとしていた。


「おおっ、神よ!」


 礼賛神徒が手を合わせて、喜びの祈りを捧げる。

 同時に、透明な巨人の腕はもがき始めた。施設の建物や送電線を、まるで子どもが玩具の家を踏み荒らすように、次々と叩き壊していく。施設内に生存していた人間は、逃げる間もなく潰される。


「か、神よ、何をなさ――」


 さすがに自分達が襲われるとは思っていなかったのか、礼賛神徒は困惑と恐怖の入り混じった声をあげた。


 だが、古来より怨霊とは、全ての人間を分け隔てなく殺戮する存在。

 巨人の腕は、管理棟のある建物をも拳で粉砕した

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