第13話 拉致
休みが明けた月曜日。
「あ、あの、建宮君」
教科書やノートをランドセルに詰め込んでいたところで、クラスメイトの女子児童に声をかけられた。既に帰りのホームルームが終えられ、周囲の児童達は帰り支度をしている。冬の空が夕焼け色に染められ、窓側の席に座る真之の顔を淡く照らしていた。
「このプリントを渡してくれ、って先生から頼まれたの。だから、その」
「……分かった」
気まずそうに視線を逸しながら、女子児童がプリントを差し出してきた。それを受け取る真之は気にしていない、という態度を取り繕う。
「じゃ、私はこれで」
「うん。さよなら」
足早に去っていく女子児童に小さく手を振り、ため息を吐く。
転入から一週間が経ったが、真之はクラスに上手く馴染めずにいた。背中の傷痕を見たクラスメイト達が彼とどう接すれば良いのか分からず、腫れ物のように扱ってくる。真之の方から「こんな傷痕は全然平気だ」という明るい姿勢を見せることが活路となるのだろうが、どうしても一歩を踏み出すことができない。そういった臆病さこそが孤立の一番の原因だった。
一緒に帰らないか、と誰にも誘われることなく、教室を出る。
「……あの子って、噂の?」
「……そうそう。すっごい傷があるんだって」
「……誰にやられたんだろうね」
廊下ですれ違う他クラス、他学年の児童達が真之の顔を盗み見しながら、囁き合う。小学生離れした体格で目立ちやすいこともあって、彼の名前は学校中に知れ渡り、すっかり有名人となっていた。
好奇の眼差しを浴びながら、下駄箱で靴を履き替え、昇降口を出る。校門前で児童達の交通安全を指導している一人の教師が、真之の顔を見ると笑顔を一瞬強張らせた。
「んんっ、……車に気をつけて帰りなさい」
「はい、先生さようなら」
ぎこちなく咳払いをする教師に対し、真之は会釈してその場を後にする。
教師陣も、真之の扱い方には困っているようだ。虐待の疑いがある児童との接し方は、一歩間違えれば取り返しがつかない。特に真之の場合、既に児童達の間で噂が持ちきりとなっている。先週、紺が学校に赴いて担任教師や校長と話し合ったが、事態を改善するには時間がかかりそうだという。
――さねゆき、おにーちゃん!
歩きながら耳の奥で反響するのは、先日会った幼女の無邪気さの弾けた声。
(あんな小さな子が頑張っているのに、僕は何をやっているんだろう……)
あまりに自分が情けなくて、真之の表情に暗鬱な陰影が侵食していく。紺は何かのきっかけになってほしいと考え、彼とあの双子を引き合わせたという。結果として生まれたのは、さらなる自己嫌悪でしかない。
学校を離れ、建売の一軒家やマンションが立ち並ぶ地域を重い足取りで進む。と、背負っているランドセルを背後から誰かに叩かれた。
「やっ、真之君じゃない。元気ないわね」
「芹那さん」
傍らを見ると、一足早い春の日差しのような笑みを広げた芹那が立っている。相変わらず陽気な雰囲気に包まれた少女だ。
「芹那、そっちの子ってもしかして……」
「ええ、五年生の建宮真之君。同じマンションに住んでるのよ」
芹那のすぐ後ろにいる女子児童五人は、真之についての噂を知っているようだ。頬を引きつらせながら問いかけてくる彼女達に、芹那はあっけらかんとした口調で答えた。それから、白い歯を見せながら、手を振る。
「じゃ、皆、バイバイ!」
「う、うん、また明日ね」
友人らしき女子児童達と元気に別れ、真之の隣を確保する。そんな彼女の積極性が彼には眩しく見えた。
(芹那さんも最近引っ越してきたばかりなのに、友達がたくさんいるんだ。僕も見習わなきゃ)
憧れを腹の底に押し込み、傍らの少女を見下ろす。
「いいんですか、あの人達と一緒に帰らなくて」
「うん、いつも、ここで別れるのよ」
それは本当のことなのだろうが、一人寂しそうにする真之を気遣っているのは間違いない。
「真之君ってさ、あの建宮さんの子どもなのよね。いいなあ、あんな美人がお母さんなんて。小学生の息子がいるのに、すっごく若いなー」
「いや、その、本当の母親じゃないんです」
「そうなの?」
「先月の巨人騒ぎで、オジさん――家族が死んじゃって。それで、紺さんに引き取ってもらったんです」
垂れた目を憧れで輝かせる芹那に対し、真之は歯切れを悪くしながら事情を説明する。もちろん、紺が妖怪であることは伏せた。
やや特殊な経緯を聞いた芹那は、声のトーンを落とす。
「……ごめんね、無神経なこと言っちゃって」
「いいえ、大丈夫です。紺さんの息子ってことになっていますけど、正直言ってまだ慣れなくて」
真之は微笑もうとしたが、口の端が引きつって失敗した。
それを見た芹那は、桜色の唇に右手の人差し指をつけ、何やら考え込んだ。やがて、自分を納得させるように強く頷き、真之の顔を見上げてくる。
「私もね、あの騒ぎでお母さんが死んじゃったの。今は、親戚の叔父さんと叔母さんの家に住まわせてもらってるのよ」
「……そう、なんですか」
「うん、私達、似た者同士ってこと」
そう言って芹那は、はにかむように笑った。たった一歳年上の少女が見せる光輝の表情に、真之の心臓が早鐘を打つ。
先週知ったクラスメイトの女子児童を含め、あの巨人騒動で家族を亡くした者は大勢いる。何かのボタンの掛け違いが起きていたら、紺は別の子を養子として迎え入れていたかもしれない。自分の今立っている状況が、積み重なった偶然の上に成り立っていることを、真之は自覚した。
そうして雑談を交わしているうちに、二人は自宅マンションの前までたどり着いた。
駐車場を通って建物の階段へ向かおうとしたとき。
すぐ傍に駐車されていた、見慣れない白塗りのワゴン車のドアが、勢い良く開いた。中から現れたのは、三人の大柄な大人達。真之達のもとへ素早く駆け寄り、取り囲む。
大人達は全員、マスクにサングラス、それにニット帽を装備しており、素顔を窺うことができなかった。それでも、体格から男ではないかと推測できる。
「え――」
悲鳴を上げる余裕も与えられず、真之は口を大きな手で押さえられた。暴れて振りほどこうとするが、先に右手の関節を万力のごとく強引に捻じ曲げられる。いくら真之が同世代に比べて体格に恵まれているといっても、所詮は中学生並み。大人の男の力、それも三人がかり相手には到底敵わない。
「真之君っ!」
悲鳴にも似た甲高い声をあげる芹那。男達はマスク越しに舌打ちを鳴らす。彼女の頬を激しく叩き、アスファルトの地面に倒れたところで蹴飛ばした。
「おい、こっちのガキはどうする」
「面倒を増やすだけだ、放っておけ」
真之は、足をバタつかせてもがく。
その抵抗が反感を買い、男の一人の硬拳が少年の鳩尾に激しくめり込んだ。重い鈍痛と共に、焼け付くような胃酸が喉まで上昇してくる。
真之が力なくダウンしたところで、男達は彼の身体を持ち上げてワゴン車へと放り込む。そのまま男達が乗り込んだのを見計らって、エンジンが唸りを上げた。発進した車が乱暴な運転で駐車場を出て行く。
わずか二分に満たない出来事だった。
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