第14話 紺の怒り
そのころ、紺は自宅のリビングで裁縫をしていた。真之が学校で給食袋が必要だというので、余った布を使って自作しているのだ。
彼女が着ているのは雪のデザインが施された着物で、白磁のような肌によく似合う。
「真之はそろそろ帰ってくるころかのう」
壁に掛けられた時計は、四時を指している。
作業はまだ途中だが、ひとまず夕食の準備に取り掛かろうか。そう思いかけたところで、玄関のチャイムが鳴り響いた。来客は慌てているのか、何度も連続でボタンを押しているようだ。どうやら押し売りではなさそうだ、とリビングを出て玄関へ向かう。
「はい、どなたかや」
玄関の扉を開けると、目の前には一人の少女の姿がある。隣の家に住む芹那だ。
「た、建宮さん!」
「おお、どうしたのかえ。そんなに慌てたりして」
芹那は血相を変え、呼吸が激しく乱れている。よほどの恐ろしいことでもあったのだろうか。
紺は、とりあえず温かいココアでも与えようと考え、自宅の中に招き入れようとする。ところが、少女の甲高く弾けた声が引き止めてきた。
「た、た、大変なんですっ。真之君が、真之君が!」
「……真之に何かあったのかえ」
息子の名前を出され、紺の鋭い双眸に真剣な色が浮かんだ。
芹那は、薄い胸を手で押さえ、弾む呼吸を無理やり落ち着かせようとする。
「さ、さっき、そこの駐車場で、変な男の人達に車で連れて行かれちゃったんです」
「男の人数と車の種類、それとナンバーは分かるかえ」
「えっと、最低でも三人はいました。白いワゴン車で、ナンバーは――」
芹那は聡明な少女だ。短い出来事であっただろうに、必要な情報を確実に記憶していた。情報を得た紺は、少女の細い両肩に手を置き、安心させようと冷静な声色で語りかける。
「よしよし、お主も怖かったじゃろう。警察にはワシが電話をしておく。こちらにも何人か来させるから、その者達に詳しい話をするんじゃ。それまで自宅で待機しておれ。よいな?」
「は、はい」
芹那を隣の家に帰らせた紺は、すぐに自宅を出て玄関のドアに鍵をかける。
その眼はもう、優しく笑ってはいなかった。
襲い掛かってきた敵を迎え撃つ、冷徹な悪鬼そのものだ。
着物の胸元から携帯電話を取り出し、電話帳から知り合いの刑事の番号を指定する。
「もしもし、ワシじゃ。……緊急の用でな。うちの息子が何者かに誘拐されたらしい。その様子を近所の小学生が目撃しておった。白いワゴン車に――」
一通り説明し終えると、電話を切る。
無論、紺はそのまま警察の捜査を待つような気性ではなかった。
マンションの廊下の手すりを飛び越え、宙を飛ぶ。柔らかな肢体に纏う妖力を制御し、重力を無視するかのように空を舞った。
そこへ、野球ボールほどの大きさを持った蒼色の淡い光の球体が、ゆらゆらと近づいてくる。LED電球などの人工的な類とはまた違う、神秘的な輝きを纏う塊だった。紺は知っている。こう見えても元々は、この土地に根ざした神として生まれた存在なのだ。
『紺様、紺様』
「おお、お主は、この町の土地神じゃな」
この地で長き時を生きる紺は、地元の神々とも親交が深い。土地神は光の色を蒼から黄緑へと変えて、恭しく礼を尽くす。
『はい。紺様のご子息についてなのですが』
「何か知っておるのかや」
『私と眷属が、偶然現場を見ておりました。ご子息を拉致して逃走した車については、眷属が追っております』
それを聞いた紺は、「でかしたっ」と光の塊を細い指先で撫でる。土地神はそれを受け入れ、嬉しそうに点滅した。
『さあ、こちらへ』
「うむ、頼むっ」
光に先導され、紺は高層マンションから遠く離れた上空を駆ける。
「犯人の正体と目的は大体予想できる。邪な欲望のために子どもを利用する輩には、身を持って後悔させてやらねばな」
鮮やかな紅色の唇から、鋭利な牙を剥き出しにした。
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