第03話 病室にて(前編)
次に真之が目覚めたとき、まず視界に映ったのは見知らぬ白い天井だった。
「ここ、は?」
ぼやけていた意識が少しずつはっきりしていく。
自分が清潔なベッドに寝かされていることに気づき、慌てて身を起こそうとする。それを阻止せんとばかりに、全身に鋭い電撃が走ったかのような感覚に襲われた。真之はベッドの中で苦痛に悶え、のたうち回ることさえできない。
しばらくして痛みが落ち着いた後。真之は、現状を把握しようと頭を起こす。身体には入院着を着させられており、両腕にはギブスがはめられていた。手足を動かそうとすると、痛覚が警告を発してくる。おそらく、足にも同様にギブスの処置が施されているのだろう。
次に真之は周囲を見渡す。ここはどこかの病室だろうか。壁や床の色調は清潔な白で統一され、部屋の隅々まで清掃が行き届いているようだ。部屋は個室となっており、ベッドの傍らにはテレビや冷蔵庫が配備されている。窓からは穏やかな陽光が差し込んできて、冬の朝を告げていた。
「どこの病棟も、もう病室が満室よ。それなのに、緊急の患者さんを乗せた救急車が次から次へとやってきて困るわね」
「他の病院も同じみたい。だからといって、受け入れ拒否するわけにもいかないし」
病室の扉の向こうでは、若い女二人の忙しなさそうな会話が漏れ聞こえてくる。話の内容から察するに、どうやら看護師のようだ。病室のベッドが足りなくなるほどの患者が、病院に運ばれてきているらしい。近くで大きな災害でも起きたのだろうか。
災害? そこで、真之の脳が記憶の引き出しを開けた。
謎の巨人に握り潰されそうになり。着物姿の謎の女がやってきて。
「あれは、夢……?」
「夢ではないぞい」
そこへ、病室の扉がゆっくりと開き、若い女の声が真之の呟きを訂正した。入ってきたのは、黒を基調としたビジネススーツを着た女だ。真之は「どなたですか」と言いかけ、「あ!」と声をあげた。その反応が面白かったのか、女は鈴の音のような笑い声を転がした。
「くく、良い反応じゃ。からかいたくなるのう」
名も知らない女は、あのときと違って着物姿ではなかった。香水とはまた違う、甘い匂いが真之のもとまで漂ってくる。つり上がった両眼の奥で、エメラルド色の瞳が妖しく光っていた。小さな花唇は鮮やかな紅色に彩られ、穏やかな微笑みを形作る。小学生の真之が思わずゾクゾクするほどに妖艶だ。
これまでの彼の人生において、これほどまでに美しい女性と出会ったことはなかった。
「お姉さんが、僕を助けてくれたんですか」
「うむ。そう畏まらずとも良い」
女は、病室の壁に立てかけられていたパイプ椅子を組み立て、真之の寝るベッドの傍らに設置した。
「その、僕は、清水真之といいます」
真之は恐る恐る自己紹介をする。
「おお、そういえば、まだ名乗ってもおらんかったのう。ワシは紺。建宮紺(たてみやこん)じゃ」
「建宮、さん。ありがとうございます、病院に運んでくれて」
あのとき見た奇妙な光景が脳裏をよぎるが、真之はすぐに打ち消す。
紺と名乗った女は、パイプ椅子に腰掛けて足を組んだ。スーツのスカートから、柔らかそうな太ももが見え隠れする。真之は頬を赤らめ、すぐに視線を紺の顔の位置に戻した。
「坊もあのとき何が起こったか、知りたいじゃろう?」
「……はい」
真之はベッドに寝たまま、どうにか頷いた。
紺が、ブランド物らしき手提げ鞄から新聞を取り出し、記事の一面を開いて見せてくる。そこに書かれた見出しには、『謎の怪物、繁華街を壊滅させる』とあった。その隣には、真之も目撃したあの謎の巨人が街を破壊する姿が、写真として掲載されている。
「まさか、あの巨人が本物だったなんて……」
「ああ、本物じゃとも。ちなみに、この新聞は今朝の朝刊でな。テレビをつけると、どこの局も昨晩出現したこの巨人のことばかり報道しておるよ。国中が大混乱じゃ。中には大掛かりな怪獣映画の宣伝と言う者もおる。じゃが、昨晩の騒ぎにおける死傷者が一〇〇〇人を超えたとなれば、ただのパフォーマンスとして片付けることはできんじゃろう」
「じゃ、じゃあ、あのときの出来事は全部、本当だったんですか?」
「疑り深いのは無理もないのう。なにせ人間からすれば、非現実的な事件だったのじゃからな」
紺は、朝刊を二つ折りに畳んで、テレビの傍らに置いた。それから、茶目っ気たっぷりに片目を閉じ、ウインクを真之に投げかけてくる。大人の女の色気に免疫のない真之は、思わず唾を呑み込んだ。一見、不機嫌そうなしかめっ面だが、耳たぶは熟れた林檎のように真っ赤だ。
「坊よ。お主は、この地に存在する怨霊伝説を知っておるかや?」
「怨霊、ですか? いいえ、そういうのには疎くて」
「そうかそうか。ならば、軽く説明しておこうかのう」
戸惑う真之に対し、紺は軽く咳払いをした。
「この街、志堂(しどう)市にはその昔、一柱の神が住んでおった。神は人々を見守りながら、穏やかに暮らしておったんじゃ。そうして約一〇〇〇年前、人間が平安と称する時代。人々の間で一つの噂が流れた。『神の肝を食べると、不老長寿の力を得る』、とな。都に住む貴族が、何千もの武士を派兵し、神の肝を狙った。神も応戦したが、さすがに多勢に無勢での。神は人間を憎みながら死んでいった」
「その神が怨霊になった、ってことですか」
「うむ。神は死してなお、人間への憎悪を失うことはなかった。復讐を果たすため、霊魂としてこの地で蘇ったのじゃ。怨霊と化した神は、この地に住む人間を殺して回ってな。さすがにこのままではまずい、と他の神々がようやく立ち上がり、怨霊をこの地に封印した」
それが、この志堂市に伝わる怨霊伝説。真之は、このタイミングで紺がこの話をした意図が分からなかった。
「でも、それはあくまでも言い伝え、ですよね。どういう関係があるんですか?」
「意外とせっかちじゃのう。話は最後まで聞くがよい。封じられた怨霊は、約五〇〇年前に一度復活をしておる。人間が封印を破ったせいでの。怨霊は暴れまわり、慌てた神々が再び封印を施した。そして昨日、二度目の復活をし、それがあの巨人の正体じゃ」
あの巨人が、怨霊。壮大な祟りが起こったというのか。真之は、紺の神秘的な瞳を見つめたが、彼女が冗談を言っているようには見えなかった。
「信じられんか? じゃが、お主はその身体で知ったじゃろう。あの凄まじい力をな」
「建宮さんは、どうして巨人が怨霊だって分かるんですか?」
「ふふ、そうじゃな。一〇〇〇年前と五〇〇年前、その両方でワシが怨霊を封じるのに加担した、と言えば信じるかえ?」
真之は思わず「え?」と呆気にとられ、それを見た紺がケタケタと笑った。
「昨晩もワシの本当の姿を見たじゃろう? もう一度見せれば、納得するかの」
紺がそう言うと、彼女の頭から突然、獣の耳が二つ生えてきた。さらに、大きな金色の尻尾が一本、背中越しに顔を出す。
尻尾は嬉しそうに激しく動き、真之の顔の上に伸びてくる。
「ふふ、自慢の尻尾じゃ。お主の折れた手では触ることができんじゃろうから、代わりにお主の顔をほれ、拭いてやろう」
「わぶっ!?」
尾の毛先を顔に押し付けられ、真之はくすぐったさと息苦しさに撫で回される。ギブスのはめられた腕では、押しのけることができない。しばらくして解放されると、尾が名残惜しそうに紺の後ろに戻っていくのが見えた。
「それ、建宮さんから生えている尻尾なんですか?」
「うむ。言っておくが、コスプレの類ではないぞ? 正真正銘、ワシの尻から生えた尻尾じゃ」
「でも、あのときは、四本ありましたよね」
真之が遠慮がちに指摘すると、紺は「よく見ておったな」と満足そうに頷いた。
「ワシはこう見えても、二〇〇〇年以上の時を生きる狐の妖怪でな。この尾はワシが持つ妖力の塊なんじゃ」
「狐の妖怪?」
「お、信じておらぬな? 少しばかりお主の肉を齧ってみせれば、信じてくれるかのう? 子どもの柔らかい肉は美味そうじゃ」
紺は、流し目と共に物騒なことを言ってみせる。真之は、慌てて首を何度も横に振った。
「し、信じます!」
「そうじゃそうじゃ、子どもは素直でないといかん」
紺はケタケタと笑いながら頷き、尾の先にある優美な白い毛を軽く撫でた。
「昨晩、あの怨霊の動きを止めるために、妖力の大半を使ってしまっての。おかげで、一本しか残っておらん。年月を費やせば妖力が回復して、尾もまた生えてくるんじゃが」
そう言って紺は、獣の耳と大きな尻尾を再び隠した。本人は狐の妖怪と自称していることから、变化の術を使えるのかもしれない、と真之は予想した。
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