第02話 出会い(後編)
「そうはさせんっ」
艶気を含んだ鋭い女の声が、間に割って入ってきた。
同時に、真之を握る巨人の手が、見えない力のような何かによってこじ開けられる。真之の身体は化物から解き放たれ、そのまま無情に墜落。が、パラシュートでも背中につけられたかのように、落下速度が急激に弱まる。手足の骨が折れた状態では自分の力で着地できず、背中からアスファルトの地面に倒れた。
一体、何に助けられたのか。
真之はボロボロになりながらも、どうにか上半身を捻り、辺りを見渡そうとする。
そうして、すぐ目の前に一人の女が立っていることに気づいた。
「坊、大丈夫かえ?」
艶やかな着物姿の女は、この荒れた状況で余裕たっぷりの声を真之に投げかけてきた。
歳は二〇代前半といったところであろうか。美しい顔立ちの女だ。身を切るほどの冷たい風が、金色の絹のように滑らかな髪を優雅に舞わせる。アイシャドウに彩られた鋭いつり目は、不敵に化物を見上げていた。真冬だというのに、胸元ははだけて豊かな二つの果実が顔を出している。この状況にとって場違い極まりない濃厚な色香が、真之の小鼻をくすぐった。
「早く、逃げて……」
「うむ。お主は早く逃げよ。といっても、その有様では無理かのう」
そう言って女は、真之の砕けた両足に視線を注いだ。
そんなやり取りが気に入らなかったのだろうか。女のすぐ奥にいる巨漢の化物が、極大の右足を上げたかと思うと、勢い良く女の真上に振り下ろしてきた。
「あぶな……っ」
真之は、ボロボロの右手を着物姿の女に向かって伸ばそうとする。それも虚しく、女が肉塊と化すのをただ眺めている――はずだった。
「まったく、相変わらず無粋なやつよな。女の話に口を挟む男は嫌われる、と昔何度も言うたはずじゃが」
女が呆れた調子で巨人を見上げ、ため息を漏らす。
巨人の右足は女のすぐ頭上で止まった。いや、正確には「踏みつけようとしているのに、何かに遮られて足が下へと行けない」というべきか。まるで、見えない頑丈な天井が女の頭上に張り巡らされているかのようだ。
真之が驚いたのはそれだけではなかった。
ボリュームのある尻尾が四本、女の尻から突如生えたのだ。優美な毛並みの獣の尾が、大きな木の葉のように広がる。尾の毛は女の髪と同じく金色に輝き、いずれも尾の先が白く彩られていた。
さらに女の頭には、いつの間にか獣の耳が乗せられている。そういった類のカチューシャがあることは真之も知っていたが、耳は小さな羽根のように何度か動いた。ただのアクセサリとは思えないほどの生々しい耳だ。
まるで、美しい毛並みを持った狐が、絶世の美女に化けた姿――そんな幻想を秘めていた。
「ま、そうも言うておれんか。昔馴染みとしてこれ以上、お主の罪を増やすのを見過ごすわけにはいかん」
女の声には、しっとりとした甘さに包まれながらも強い芯が通っていた。その唇からは、鋭い牙が見え隠れする。
「っと、このままここでやり合うのはまずいか」
そう言うと、女は宙を浮かぶ。それに釣られる形で、真之の身体もタンポポの綿毛のように軽く舞い上がり、二人そろって大きく後ろへと後退した。
「え……えっ?」
混乱する真之をよそに、女は空中に停止し、巨人と睨み合う。
対する巨人は、アスファルトの地面を踏み荒らしながら、ゆっくりと二人の方へ歩いてきた。一歩ごとに地響きが街中の地層を震わせる。
女が静かに、右手を巨人の方にかざす。
すると突如、巨人の体躯に見合うほどの大きな漆黒の鎖が、地中から出現した。四本の鎖は蛇が獲物を締め上げるかのごとく、巨人の四肢を一瞬で縛りあげていく。
女は、さらに左手を掲げた。
その動きに呼応したと言わんばかりに、巨人の周囲にどこからともなく、青白い炎が巻き起こった。燃え盛る膨大な狐火は渦を巻いて巨人を飲み込み、唸りを上げる。
そのまま全身を焼き尽くしていくかと思われた矢先。
夜空の分厚い雲をかき消すほどの咆哮と共に、巨人が鎖を無理やり引き千切った。自由になった両腕で、自身に纏わりつく炎をかき消す。
それを見た女は、特に動じる様子を見せない。
「ならば、これはどうじゃ?」
女の声に呼応し、散らされた炎が再び一つとなる。その濃密さは、先程の比ではない。ビルほどの大きさを持つ炎の矢を形作った。
炎の塊が再び巨人に襲いかかる。それを払い落とそうとする巨人。
巨人の手に触れた瞬間、莫大なエネルギーが一気に弾けた。矢というよりも、ミサイルのような業火の一撃。大気を揺るがす重音が轟き、地面に散らばっていたビルの瓦礫が宙を飛ぶ。
その凄まじい衝撃と無数の破片は、まるで見えない壁にでも遮られたかのように、巨人の周囲一〇数メートル圏内に閉じ込められる。そこから外れた位置にある建物や、真之達にも影響がなかった。どういう原理なのか彼には分からないが、これも女のやったことなのだろうか。
混ざり合う爆風と黒煙の奥から、巨人の躯がぬっと姿を現す。動きは依然として鈍重で、損傷は軽微といったところか。
女は金絹の前髪をかき上げながら、呆れた調子でため息を吐く。
「さすがにそう簡単にはいかんか。根比べといこうかの」
もう、何が何だか分からない。
真之は、次から次へと巻き起こる異常の連続に、幼い脳が追いついていかなかった。
次第に肉体が限界の悲鳴を上げ。
全身を駆け巡る激痛で息も絶え絶えになりながら、意識が少しずつ遠のいていった――
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