第04話 病室にて(後編)

「さて、話を戻すとしようかの。先程も言ったように、昨晩の騒ぎは多数の死傷者を出した。ここの病院を含め、市内の病院は緊急搬送された患者でどこもいっぱいとなっておる」


 そう説明され、真之はようやく自分がいる病室について考えた。

 個室入院が多額の金を必要とすることくらい、小学生の彼にも分かる。病室やベッドが足りていないという、先程の看護師の話。そんな状況で個室を占拠して良いものか。入院費を後日請求されても、払う金など持ち合わせていなかった。

 仏頂面のせいで顔には現れていないが、真之の頭の中では「どうしよう、どうしよう」と焦りが駆け回る。傍目には薄い反応に対し、紺が細い人差し指で彼の左頬を軽く突いてきた。


「安心せよ。ここの入院費はワシが払うことになっておる。お主は心配せんでよい」

「そんな、建宮さんにそこまでしてもらうのは」

「どのみち、お主には払えんじゃろう? こういうときは、大人に甘えておくことじゃ」


 赤の他人に多額の金を払ってもらう義理など、あるはずがない。真之は罪悪感に襲われると共に、紺がそれだけの金をポンと出せることに驚きを隠せなかった。


「それとついでに、お主の身体についてじゃが。あのときのお主は、肋骨が七本、両腕両足までバッキバキに粉砕しておったのでな。病院に搬送する前に、ワシがある程度治癒の術を施しておいた。そこから先は自力で治した方が良い。人間、特に子どもが妖力を過剰に受けると、かえって身体に良くないからの」

「治癒、って建宮さんはそんなことまでできるんですか?」

「うむ。大妖怪、じゃからな」


 紺は『大』の部分を強調し、豊かな胸を揺らして見せる。


「あのとき、お主が乗っておった車の同乗者じゃがな? あちらは助けることができなんだ。ワシが来たときには、既に死んでおったからの。おそらく即死だったのは、せめてもの救いじゃろうが」


 そこで真之は、あのとき死んだ親戚夫婦のことを思い出した。

 彼らとは親しかったわけではなく、むしろ疎まれていたことしか記憶にない。彼らの死を悲しむという感情は湧いてこなかった。それでも、目の前で人を無残に殺されたことには変わりない。車ごと圧殺された光景がフラッシュバックし、嘔吐感と混ざり合って真之の胃の奥から逆流してくる。


「はぁっ、うぉぇっ!」

「無理をするでない。ほれ」


 紺に上体をゆっくりと起こされた真之は、彼女からビニール袋を受け取るとすぐさま吐き出した。昨晩は何も食べていなかったため、吐瀉物のほとんどは胃液だ。


「……ありがとう、ございます」


 自分が情けなく感じ、真之は力なく礼を述べる。紺に支えられながら、再びベッドに身を預けた。

 紺は優しく微笑みを返し、乱れた掛け布団をかけ直す。


「怪我人は遠慮せんでよい。吐き気を催すというのも、生きているからこそできることじゃ」


 生きているからこそ。その言葉を、真之は胸の内で転がす。


「僕は、このまま生きていてもいいんでしょうか」

「ふむ?」

「オジさんとオバさんは、親のいない僕を引き取ってくれました。でも、二人はもう死んじゃって。僕は、これからどうすればいいんでしょうか」


 他の親戚は今頃、「親戚夫婦の代わりに、真之が死ねば良かったのに」と言っていることだろう。揉めに揉めて、真之の引取先が決まったばかりだったのだ。それが無駄になった今、親族達は再び彼を押し付け合うことになる。


 紺は長いまつ毛を伏せ、静かな口調で話を紡ぐ。


「坊。お主とその周辺については、ある程度調べさせてもらった。お主が親戚中をたらい回しにされてきたこともな」

「……はい」

「行き場所がないのなら、どうじゃ。ワシのもとに来る気はないかえ?」


 紺はきまり悪そうに右頬を指で掻き、困ったような笑みをこぼした。


「ワシは一人暮らしが長くてな。こう言っては何じゃが、寂しい生活を送っておったんじゃ。もしもお主が一緒に住んでくれるのなら、一緒に家を明るくしていきたいと思う。あ、もちろん、お主を食べるつもりはないから安心せよ」


 最後の一言には笑うべきだったのだろうが、真之はそれに釣られなかった。

 なぜなら、紺の提案は何から何まで『都合が良すぎる』からだ。真之にとっては好条件この上ない話を、信じろと言われて納得するほど、彼は素直ではない。


「入院費のこともそうですけど、僕と建宮さんは昨日会ったばかりです。それなのに」

「それについては心配せんでよい。お主がこの話を断っても、ワシが払う」

「どうして、そこまでしてくれるんですか?」


 真之がそう問うと、紺は一瞬声を詰まらせた。それまでの軽い調子を引っ込めて、真剣な眼差しを向けてくる。


「そうじゃな……ワシにも昔、子がおった。すぐに死んでしまったがのう。それから長い年月を生きている間に、子どもが飢えて死んだり、追い剥ぎに斬り殺されたりする光景を何度となく見てきた。それらに手を差し伸べることは簡単じゃ。しかし、ワシは妖かしじゃからの、あまり人の領域に首を突っ込むのは控えてきた。昨晩もそのつもりだったんじゃが、あの怨霊に殺されそうな坊を見ているうちに、つい手が出てしまってな。それからお主の身辺調査をして、放っておけなくなった。それが答えではダメかのう?」


 それが果たして本音なのか。駆け引きの術を持ち合わせていない真之には、判断のしようがなかった。結局、煙に巻かれたようにも感じられる。


 しかし、真之には選択肢が乏しい。


 このまま、親戚達のもとに戻って、再び疫病神扱いされるのか。

 それとも、正体の怪しい紺と共に、新しい生活を進むのか。

 どちらの方がより良い未来であるのか、真之の心は激しく揺れていた。


(この人も、そのうち僕を捨てるかもしれないよね)


 疑念と共に、彼を忌み嫌う親戚達の顔が脳裏に蘇る。飼い主に飽きられたペットのように置き去りにされるのが怖い。もう二度と「いらないもの」として扱われたくない。


「どうやら、納得とまではいかなくとも、反論はないようじゃの?」


 真之の内心を読み取っているのか、いないのか。紺は胸に手を置いて、大きく息を吐いた。彼女もこの話を切り出すのに勇気を必要としたのだろう、とてもホッとしているように真之の目に映った。


「お主を引き取る際、法の手続きの都合で、お主を養子とする必要がある。つまり、ワシとお主が親子になる、というわけじゃな」

「おや、こ」


 真之は、自分の本当の両親の顔を知らない。彼が生まれてすぐに二人が死んだ後、親戚達が彼らの写真を全て処分してしまったからだ。ゆえに、親との接し方など分からなかった。


「うむっ。今日からワシらは親子じゃ。もちろん、今すぐにワシのことを母と呼ぶのは、難しいじゃろう。その辺りは馴れの問題じゃな」


 紺は、唇の端を悪戯っぽくつり上げると、真之の顔を覗き込んだ。互いの鼻と鼻がくっつきそうになるほどに、距離を近づける。


「そのためにも、まずは敬語を禁止させねばのう。親に遠慮をするものではない」

「え、え?」

「ほれ、五、四、三、二」


 強引に刻まれるカウントダウンに、真之は急かされる。


「分かりました、分かりましたからっ」

「んん? 『分かりました』?」

「わ、分かった!」


 真之が観念して言い直すと、紺は満足げに胸を反らした。


「よし、その調子じゃ。坊――おっと、これではワシもいかんな。真之。それはそうと、お主はいつもそんなにムスッとした表情を浮かべておるのかや?」

「ごめんなさい。笑顔とか、苦手で」

「良い良い。今までずっと、不機嫌ではないかと不安だっただけじゃ。お主の感情のサインなども、これからじっくりと探していくとしよう。覚悟しておくがよい、お主を丸裸にしてやるからの」


 紺は薄く微笑み、真之の頭を優しく撫でる。

 彼にとって初めて知る、柔らかく包み込むような手の感触だった。


 そうして紺に拾われ、真之の人生は大きく変わったのだ。

 まるで、闇に覆われたトンネルの中で手を引かれ、光溢れる出口に誘われたかのように。

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