第28話 付喪神と大人げない紺

 白鱗神社の宗像家に戻り、車を車庫に駐車させた。

 真之達は今朝のような襲撃を警戒しながら、玄関の扉を開ける。すると、小さな竜が嬉しそうに結衣の胸元に飛び込んできた。


「キュイ~!」

「ふふ、ただいま、大和。いい子にしてた?」


 結衣のすぐ背後に真之と芹那が控えているが、大和は二人に挨拶をするどころではないらしい。何やら、興奮した様子で鳴く。


「キュキュキュイ、キュ!」

「え、『テレビのリモコンを油で揚げると、美味しいらしいから、一度食べてみたい』? そんなわけないでしょ。もー、また嘘を吹き込まれたんだね。犯人はわかりきってるし」


 新発見を母親に教える幼児のような大和に対し、結衣は困った笑みを浮かべながら間違いを訂正した。


「ハヅキーっ、いるんでしょ。出ておいで!」


 結衣が家の隅まで聞こえるよう大声で呼ぶ。廊下の奥にあるリビングのドアが既に開きかかっており、隙間から小さな日本人形がゆっくりと出てきた。

 その日本人形は、長い黒髪と赤い着物が特徴で、全長は大体手のひらサイズといったところだろう。無表情のまま、小さな足でよちよち歩きをして玄関まで近づいてくる。ゼンマイ仕掛けの玩具か、と真之は一瞬思いかけたが、すぐにその予想を打ち消した。


「へへっ、バレたか」


 日本人形の動かない口から、悪ガキじみた幼女の声が発せられたからだ。


「大和に変な嘘を教えちゃダメだって、何度も言ってるでしょ」

「いやー、大和がころっと信じちまうからさ。つい、からかいたくなるんだよな」


 結衣から大して怖くない声音で叱られても、日本人形は粗雑な口調で楽しそうに笑う。


「大和は純真で人の話を信じやすいんんだから、そういう嘘は禁止って何度も言ったよね?」


 結衣は、頭痛をこらえるように額を片手で押さえた。それから背後を振り向き、真之と芹那に話を向ける。


「真之さんと道内さんにも紹介するね。この子はハヅキっていって、見ての通り人形の付喪神だよ。よく遊びに来てくれるの」

「へえ、付喪神の本物を見るのは初めてね」


 結衣の説明に、芹那が関心を寄せて何度か頷く。


 付喪神とは、一〇〇年を超えた道具や人形に、魂が宿った妖怪のことだ。神という名がつけられているが、精霊といった方が近い。昔の人間は、一〇〇年経つ前に煤払いと称して道具を捨てたり、近くの寺に供養をお願いしたりしていたという。

仕事の関係上、付喪神についての知識を持っている真之と芹那は、特に驚くことはない。


 ハヅキと名を紹介された日本人形は、疑わしげに結衣を手招きする。日本人形としての可動域の問題なのか、その動きはどこかぎこちない。


「ん? おい、結衣。今、真之って呼ばなかったか?」

「うん。こっちの大きい男の人で、名前は建宮真之さん。紺さんの息子さんだよ」


 結衣が真之を手で指し示すと、ハヅキは器用にふんぞり返って彼を見上げる。表情の変わらない人形ではあるが、態度のでかさから真之よりもよっぽど感情が表に出ていた。


「紺様が昔拾ったっていう、例のガキか。今日から護衛官に加わったって、さっき大和から話は聞いたけどよ、こんな馬鹿でかい男とはな。へっ、図体だけで何の役にも立たないんじゃねえの?」

「そんなことないよ。真之さんには、今朝も助けてもらったもん」

「どうだか」


 結衣が説明しても、ハヅキは簡単に納得しない。


「おい、デカブツ! 紺様のお気に入りだからって、調子に乗んじゃねえぞ。オレは、人間をすぐに信用しねえ。特にてめえのような、紺様の威を借りるやつはな!」


 啖呵を切るハヅキに、真之はどう言葉を返せばいいのか分からない。丁寧に頭を下げ、平謝りをする。


「調子に乗るつもりはありません。ですが、ご気分を害されたのであれば、謝罪致します」


 おそらく、真之がキレると予想していたのだろう。ハヅキは拍子抜けしたのか、一瞬言葉を詰まらせた。が、すぐに見下した態度で鼻(はないが)を鳴らす。


「へっ、大の男が簡単に頭を下げるとはな! とんだチキン野郎だぜ。紺様もこんなやつのどこを気に入ったのか――」


 そこへ、濡れるように妖艶な女の声がそっと割り込んできた。


「ほう、誰がチキンじゃと?」


 真之が気づいたときには、既に彼の傍らに紺が立っていた。まさに、神出鬼没だ。

 おかげで、玄関がますます窮屈になり、真之はスペースを確保するために玄関の壁に身を寄せる。紺の肢体から香る甘い匂いが玄関内を包み込み、真之の背筋を痺れさせた。


 紺は、胸元の大きく開いた黒のワンピースを着ていた。こんな派手で露出度の高い服を着て、自宅からここまで来たのか、と真之は息子として呆れてしまう。清楚という概念とは無縁の母親である。

 小さな両耳には、今朝と同様のイヤリングがつけられていた。


 紺の静かな迫力に、ハヅキが大きく仰け反る。


「こ、こここ、紺様!」

「言うてみよ、ハヅキ。誰がチキンなのじゃ? すまんが、上手く聞き取れなくてのう。まさか、ワシの大事な息子のことではあるまいな?」

「そそそそ、それは……」


 余裕たっぷりの微笑みに嗜虐の色を少し織り交ぜ、紺はハヅキの小さな身体をつまみ上げた。ハヅキに逃げ場所はなく、声を引きつらせるしかできない。もしも彼女(?)が人間だったなら、大量の冷や汗をかいていることだろう。


 二人の関係性について把握できていない真之と芹那に、結衣が小声で事情を教えてくる。


「……ハヅキはね。昔、古くなったから、って人間に捨てられた人形だったの。ゴミ捨て場で付喪神になって、行き場をなくしたところで、紺さんに拾われたんだって」

「なるほど。頭の上がらない恩人ってわけね」


 芹那が、玄関の入り口の前に下がってスペースを空けながら、苦笑を漏らす。


 ハヅキが紺のことを様付けするのは、恩義があるからなのだろう。

 とはいえ、このまま放っておくわけにもいかない。真之は狐の威を借りる息子になるつもりはなかったし、何よりもハヅキの意見について特に怒りを抱かなかったからだ。というよりも、ハヅキに言われてみて、いつでも調子に乗りそうな環境に自分がいるのだ、と戒めた。小さな人形をイジメる、という実に大人げない母親の肩を叩く。


「その辺にしておけ、紺」


 その声に振り向いた紺は、ハヅキを右手でつまんだまま、真之の胸に抱きついてくる。


「おぉ、真之。元気にしておったか」

「最後に別れてから、一〇時間ほどしか経っていないぞ。いいから、離れろ。こっちは仕事中だ」


 結衣達に対しては丁寧な敬語だが、母親の紺に対してだけは、わざとキツい口調になる。呆れながら引き剥がそうとする真之の話など、どこまで聞いているのか。紺は興奮のあまり頭に狐の耳まで生やし、彼の胸板に頬ずりした。そこで、ふと何かに気づいた様子で鼻をひくつかせる。


「む? 血の匂いがするのう。どこか怪我をしたのかや?」

「う」


 紺の鋭い指摘に、真之は思わず視線を逸らした。さすがは狐の妖怪、鼻が利く。肩の傷は医者によって医療処置をされているし、血のついたYシャツやスーツは着替え済みだ。それでも、肌に染み付いた匂いが残っているのだろう。


 どう言い繕うか真之が頭を働かせていると、傍らの結衣から助け舟が出た。


「紺さん、こんにちはっ」

「うむ、結衣と大和も元気そうで何よりじゃ。真之は二人の役に立てておるか?」

「うんっ。……でも、今朝、変な人達に襲われて、真之さんが肩に怪我しちゃったんだよ」


 まずい、と思った真之が割って入るよりも早く、結衣が説明してしまう。


 それに食いついた紺が笑顔から一転して、流麗な両眼をかっと見開いた。細い身体を小刻みに震えさせながら、真之を何度も揺さぶる。その美貌は、まるで交通事故に我が子が襲われた母親のようだ。


「なぬ、それは真かっ。どこじゃ、どこを怪我したんじゃ真之、病院には行ったのかやっ。ほれ、傷口を見せよ、治癒術をかけてやるからの!」


 一斉にまくし立てる紺の慌てように、結衣と大和、それにハズキ達は圧倒されたのか、何も言えずにいる。義母が右肩に触れようとしてくるので、真之はどうにか押しとどめようとした。


「大げさだし、病院にも――つっ!」

「ほれ。ちょっと触っただけで、その顔じゃ。少しじっとしておれ」


 玄関が大人数のせいで狭く、真之は逃げることもままならない。紺に手をかざされると、温い湯に浸かったような感覚に包まれる。そのまましばらくすると、右肩から痛みが引いていった。試しに左手で軽く叩いてみたが、違和感もない。どうやら、傷口が完全に塞がれたようだ。


 おかげで、心配の熱は引いていったのか、紺は豊かな胸を撫で下ろす。それからほとんど間を置かず、今度は瑞々しい唇に牙を立てて血を滲ませた。


「ぐぬぬ、それにしても許せん連中じゃっ。今すぐに報いを受けさせねばなるまいて!」


 こういう反応をされるから、紺に説明するのが面倒だったのだ。義母は、すぐにでも玄関を飛び出して行きそうな勢いである。


 真之は、母親の頭から生えた狐耳を軽く引っ張る。


「やめろ。神柱護衛官になった以上、多少の怪我は覚悟している。これくらいの傷でいちいち怒っていたら、この仕事は務まらん」

「しかしじゃな……」

「過保護になるのは分からんでもないが、少しは息子を信用しろ」


 息子に説教をされ、紺はしょんぼりした様子で項垂れた。


「……すげー。こんな紺様を見るの、初めてだぜ」


 紺に身体をつままれた状態のハヅキが、感心したようにため息を吐いた。一方の真之からすれば、この一〇年間で何百回と見た絵である。


 微妙な空気となった場を切り替えようというつもりか、芹那がわざとらしいまでに明るい声で手を叩く。


「あの、建宮さん」

「おお、お主は道内の嬢ではないか。久しいの」


 芹那が一人暮らしを始めて数年が経過しているが、時折親戚の家に帰省している。その際、隣家に暮らす紺にも顔を見せにきているのだ。


「ええ、建宮さんはお変わりなさそうで。今日は何の御用でいらしたんですか?」

「うむ。そうじゃ。今日は料理を教えに来たんじゃった」


 知り合いに気を使わせたとすぐに察した紺は、元の余裕を取り繕った。


「具材は買ってきてあるからの。結衣は、早く着替えてくることじゃ」

「はーいっ!」


 紺の指示に従い、結衣は丁寧に靴を脱いで玄関を上がる。そのすぐ右手にある階段を軽快にのぼっていった。大和も姉の背中を追って、宙を泳ぐようにして飛んでいく。


 紺はハヅキを廊下の上に下ろし、自身も靴を脱いで玄関を上がった。その余裕たっぷりの美女の顔からは、つい先程までの取り乱しぶりが完全に消え失せている。残された真之のすぐ後ろから、助け舟を出した張本人の芹那が、垂れ目を細めて悪戯っぽく笑いかけてきた。


「ぷぷ、仲の良い親子の姿、ご馳走様」


 また、酒の席でのからかいネタを提供してしまったな、と真之は頭痛の種を増やした。


「でもね、真之君」


 すると、今度は芹那が少し真剣味を帯びた表情を向けてくる。


「さっきの建宮さんの心配した顔を見たでしょう? あなた、普段からまともに感謝の言葉を言えていないんじゃないかしら? 親子といっても他人なんだから、自分の気持ちをちゃんと言葉にしないと相手に伝わらないわよ」

「……肝に銘じます」


 芹那の言葉は、胸に刺さる忠告だった。

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