第37話 吐露された本音(前編)

 社会科見学を終えて、放課後。

 真之達護衛官と結衣は、宗像家へと車で戻った。


「……ただいま」


 そう言って玄関の中へと入る結衣は、表情が優れない。彼女のすぐ後ろに控える真之達も、帰りの車内で何度か声をかけたのだが、「大丈夫」と小さく返されただけに終わった。

 リビングのドアが開けられ、その隙間から大和が出て来る。その胴には、人形のハヅキが騎乗していた。


「キュイ~」

「おかえり。どうだったよ」


 玄関前で大和がハヅキを下ろす。彼らは、静かに靴を脱ぐ結衣の顔を心配そうに窺った。

 結衣は大和の頭を撫でると、大和が彼女の頬を舌で舐める。彼なりに、悲しげな姉を気遣っているようだ。


「……着替えてくるね」

「キュイ……」


 重い足取りで階段を上がっていく結衣の後ろを、大和が追う。


 真之は、何か声をかけてあげるべきではないか、と焦燥感に駆られた。しかし、いらぬお節介なのではないか、かえって傷つけるだけではないのか、という思考とぶつかり合う。結局、彼が何も言えぬまま、二階の部屋のドアが閉まる音が、一階の玄関にまで聞こえてきた。


「おい、なんで後を追っかけねえんだよ!」


 玄関に残されたハヅキが、真之を見上げて怒鳴りつけてきた。真之は「う」と声を詰まらせ、後ろにいる先輩護衛官と芹那に話を振る。


「自分よりも先輩方の方が適役では――」

「あー、すまんが、俺パス。課長からメールがきた。すぐに電話で報告しろってさ」

「残念だけど、私もパスね。この家に待機していた護衛官の人達と、情報交換しなきゃいけないから」


 同僚二人は、助け舟を出すどころか丸投げし、そそくさと外へと出ていく。残された孤立無援の真之は、頭を抱えたくなったが、どうにか自制する。


 とりあえず、靴を丁寧に脱いで玄関を上がる真之に対し、玄関前の廊下で仁王立ちするハヅキが命令する。


「一番下っ端のてめえだけが暇なんだよ。さっさと行ってこい」

「ですが、いかがすればよろしいのでしょうか」

「ですがもクソもねえ。このヘタレっ。辛そうにしてる女を見たら、ガバッと抱きしめてやるのが男の甲斐性ってもんだろうが」


 小さな人形のハヅキに足首を蹴られ、真之は脳内で必死にプランを練る。だが、コミュ障の青年の脳では、上手いアイディアが浮かんでこない。それでも、ハヅキに急かされる形で、ゆっくりと階段を上がった。


 二階にたどり着くと、左右に一つずつ部屋の入口があった。左手側は襖で仕切られた和室で、右手側の部屋は開き戸のドアで遮られている。後者が結衣の部屋であるようだ。


 真之は数回深呼吸をし、平静さを取り繕う。意を決し、控えめにドアをノックした。


「……誰?」

「建宮です。入ってもよろしいでしょうか」

「え、真之さん? ……ちょっと待ってて」


 ドアの向こう側からは、結衣の沈んだ声が返ってくる。

それから一分ほど真之が待っていると、ドアがそっと開いた。その隙間から、疲れきった表情を浮かべた結衣が顔を出す。


「どうしたの。何か用?」

「え、いや、その」

「私なら大丈夫だから、少し放っておい――」

「いえ、大丈夫には見えません」


 話を打ち切ろうとする結衣に対し、真之は普段よりも語気を少し強くした。驚いた結衣が肩を一瞬震わせ、彼の顔を見上げてくる。


 それから少し間を置いて、結衣はドアを大きく開けた。先程まで着ていた学校の制服から、竜のイラストが描かれたトレーナーへと着替え終えている。「どうぞ」と小さな声で言って、真之を部屋の中へと通した。

 結衣が几帳面なのだろう、部屋は掃除が隅々まで行き届いている。ベッドのシーツも綺麗に整えられており、勉強机の上には余計なものが置かれていない。後は、机の隣に設置された本棚や、洋服タンスがあるくらいか。年頃の女子の部屋、にしては些か殺風景にさえ感じられる。


「もしかして、ハヅキに言われたの?」

「それもありますが。結衣さんを心配して伺ったのは、自分の判断です」

「そっか」


 二人が部屋の中央で立ったまま、向かい合う。湿っぽい空気が部屋を包み込んでいた。大和は気を使ったのだろう、結衣の傍を離れ、ベッドの上で丸くなった。

 やがて、結衣は瞳に憂いの色を乗せながら、頭を下げた。


「ごめんなさい……私達のせいで、護衛官の人達が殺されちゃった。皆、いい人ばかりだったのに」


 真之を指導してくれた神柱護衛官達は、結衣にとっても頼れる大人達であったのだろう。

 礼賛神徒達への強い憤りを飲み込み、真之は慎重に言葉を選ぶ。


「いえ、今朝の事件について、結衣さんと大和さんに責任はありません」

「でも」

「自分達の仕事は、お二人を護衛することです。お二人は、街の人々のために、毎日苦しい思いをしながら頑張って下さっています。自分達には、お二人を危険からお守りすることしかできません。それが、自分達にできる、せめてもの恩返しなのです。自分は訓練中、教官や亡くなった先輩方からそのように教育を受けました」


 真之がそう言うと、顔を伏せた状態の結衣は「恩返し……」と呟いた。


「もし、お二人が死を悲しんで下さるのでしたら、亡くなった彼らの魂も少しは報われるのではないか、と自分は思います」

「ん……うん」


 真之の静かな言葉に、結衣は二度頷いた。その薄い胸の前で、小さな拳を握りしめる。

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