第38話 吐露された本音(後編)

「この街には怨霊のせいで家族や家を失った人が、たくさんいる。その人達が焼け野原になった街を復興させよう、って頑張ってて。私と大和は、その人達の大切な未来を預けてもらってるんだ、っていつも言い聞かせてきたの」


 項垂れた結衣の表情が、真之からは見えない。彼女の肩が小刻みに震えているのが、今の感情を語っていた。


「……でもね、ときどき思うんだ。怨霊さえいなかったら、お父さんも死なずに済んだし、私と大和も皆からひどいこと言われずに生活できたかもしれないのに――って。皆と同じように外で遊べて、『鍵』の管理なんて苦しいこともしなくていい。そんな生活に憧れて、でもただの夢なんだって虚しくなるの」


 結衣にとって、この一〇年間は牢獄の中で暮らすような人生だっただろう。ただひたすら、自宅と学校を行き来するだけで、遊び盛りの貴重な時間を奪われる。何の罪もないのに、半神として生まれたがゆえに、『鍵』の制御という苦痛を強いられているのだ。


「私はただ、大和と一緒に静かに暮らしていたいだけなのに。皆、それが自分勝手なワガママだって言うんだよ。今日行った『神造り』の工場みたいに、死ぬまで神様を産ませられて、死んだらお葬式もしてもらえずに、『楔』の一部にされる……それが私達姉弟の義務なの? 毎日、『鍵』の管理をしているだけじゃダメなの? 私達が死んでも、誰も悲しんでくれないよ、きっと」


 この小さな少女は、いつごろから本音を内に溜め込んでいたのだろうか。

 結衣が嗚咽を漏らしたのを見て、真之は反射的に引き締まった腕で彼女を抱きしめた。彼の分厚い胸に顔を埋めた結衣は、幼児のように泣きわめく。


「霊脈のことなんて、もう知らないっ。怨霊なんて知らないっ! 皆のことなんて知らないっ!……う、うぅ」


 結衣が流した大粒の涙が、真之のスーツを濡らす。自分から女性を抱きしめるのは生まれて初めてだった真之は、不器用なりに腕の力加減を調節した。

 この娘をここまで追い込んだのは、自分達人間だ。

激しい罪悪感に身を締め付けられる。

『霊脈の鍵』の制御を、この双子に与えられた当然の義務だ、と人間は押し付けてきた。二人の努力に感謝もせず、さらなる苦痛をも与えようとしている。奴隷の奉仕に報いようとしない貴族と同じ構図だ。


 しばらくの間、結衣の感情の奔流を受け止める。

 そうして少し落ち着いたところで、真之は彼にしては穏やかな低い声を心掛け、


「つまらない話ではありますが、よろしいでしょうか」


と少女に語りかける。


「自分は、幼い頃から多くの家をたらい回しにされていました。お前はいらない子なのだと大人達に言われ続け、『自分はこの世に必要のない人間なのだ』と思い込む毎日でした。そんなとき、あの霊災が起き、紺と出会ったのです。彼女に拾われなければ間違いなく、生きることを諦めたまま死んでいたでしょう。彼女のおかげで、自分は世界が大きく広がった気がしました」


 自分の殻に閉じこもっていた幼いころの彼の心を、紺は時にじっくりと、時に力づくで解きほぐしたのだ。


「彼女、神と一緒に毎日を送っていくうちに、自分は将来の夢を抱くようになりました。神々がこの地を守って下さるのであれば、自分は神々と人々を守る人間になりたい――と。何よりも、一日でも早く大人になって、彼女を支えることができるようになりたかったのです。そう考えるきっかけを作って下さったのが、結衣さんと大和さんでした。初めてお会いした日に見せて下さった無垢な笑顔に背中を押していただいたこと、今でも深く感謝しています」


 真之は、教会で懺悔するように本音をさらけ出した。口下手な彼にしては、自身でも驚くほどに饒舌だ。勢いに任せ、話を続ける。結衣は何も言わず、彼の話に耳を傾けているようだった。


「お恥ずかしい話なのですが、こうして警察官となり神柱護衛官となっても、自分が一人前になれたとは到底思えません。未だに彼女から子ども扱いされることに不満がありますが、裏を返せばそれだけ自分が未熟だという意味でしょう。なにせ、彼女の心に踏み込むのを恐れ、口を開けば小言ばかりが出て、ろくに愛情を表現できませんから。今朝も、そのことで口論になったばかりでした。自分も神を愛しているのだと言う、ただそれだけで簡単なはずなのに、です。この歳になって、照れ臭いといいましょうか。我ながら情けない話ですね。ですが、そうした悩みも、お二人の毎日のご尽力があってこそのものです」


 そう言い終えると真之は、結衣の瑞々しい艶の黒髪を遠慮がちに撫でた。嫌がる素振りを見せず、彼の硬い胸板に顔を埋めている。


「結衣さん、大和さん。人間は、お二人に辛いお役目を押し付けています。それを当然のことと考える者も大勢います。しかし、クラスメイトの中には、仲の良い方もいらっしゃるでしょう? この家に帰れば、ハヅキさんもいらっしゃいますし、紺もいます。その方々との絆を大事になさって下さい。死んでも誰も悲しまない、などとおっしゃらないで下さい」


 かつて、生きることに絶望していた彼に、義母がかけてくれた言葉を思い出す。


 ――お主は今ここにおる。ワシがお主を必要としておる。生きていてほしいと願っておる。それではダメかや。

 

 それは、乾ききった喉を清流の水で潤すように、彼の心に染み渡っていた。

 ならば今度は自分が、苦しむ少女を支える番だ。


「……うん」


 結衣は小さく頷き、真之から顔を離した。真っ赤に泣き腫らした目を、指でこする。


「ごめんね。泣いたら、ちょっとだけ気持ちが楽になったよ。ありがとう」

「いえ、自分にはこれくらいしかできませんから」


 真之が無表情でそう返すと、結衣はふんわりと笑みをこぼした。


「やっぱり、真之さんって変わってるね」

「そう、でしょうか」

「うん、変わってる。紺さんがあんなにベタ甘になる気持ちが、ちょっとだけ分かった気がするよ」


 自分ではよく分からない真之は、曖昧に頷くしかない。それを見た結衣が、ベッドで丸まっていた大和を抱き上げる。


「それと、真之さん。一ついい?」

「はい、何でしょうか」

「紺さんはね。真之さんのことを、本当に嬉しそうに、楽しそうに話してくれるんだ。だから、真之さんも自信をもって、紺さんに大好きだって言えばいいと思うよ。真之さん流に言うなら、『恩返し』ってやつ」


 結衣は自信ありげに頷くと、「さ、ハヅキも待っているだろうし、早く行こ」と言った。

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