第30話 神造りの現実(後編)

「貴方を母体とした神や半神を作り出すことができれば、『霊脈の楔』の材料として、霊脈の安定に大いに役立つことでしょう。たとえ霊災が再発生しても、大量の貴方の子らが怨霊の動きを封じることができます。対怨霊用兵器の量産ですよ。そこにいる人間よりも、よっぽど国の役に立つ子どもがね」


 須藤は見下すように嘲笑いながら、台所で控えている真之を指差した。彼が紺の義理の息子であり、神柱護衛官としてここに派遣されたことは、最初から知られていたらしい。


 真之を引き合いに出され、それまで冷静だった紺のエメラルド色の瞳に怒りの火が灯る。


「それが、国のために身を挺して働く男に対する言葉かえ?」

「神柱護衛官ごときと、怨霊に対する有力な兵器。どちらの方がこの国の役に立つか、考えるまでもないでしょう?」


 艶やかな唇から鋭い牙を見せる紺に対し、須藤は全く動じる気配を見せない。おそらく、紺がどんなに怒ったところで、国から派遣された自分には危害を加えない、ということを理解しているからであろう。


 国から見た自分の価値について、真之はかなり低く見ている。神柱護衛官には替わりがいくらでもいるからだ。それよりも、擦り切れるまで紺を道具として扱うつもりでいる国には、憤りを覚えずにはいられない。ただの護衛官に過ぎない彼には、この場に割って入る権限はなく、ふつふつと燃えたぎる感情に蓋をするしかなかった。


「対怨霊用兵器も必要不可欠ですが、何よりも重要なのは『霊脈の鍵』を制御する力です。宗像結衣さんと大和さんご姉弟だけにお任せするのは、私どもとしてはとても不安なのですよ。もっと効率よく、安全面に優れた道があります。お二人を使った『神造り』がね。霊脈の封印を編み出した龍神の血を引くお二人ならば、さぞや良い母体や種馬となることでしょう。そうして生まれてきた神ならば、『霊脈の鍵』を制御する大量の駒として使うことができるはずです。それが成功すれば、もしも他の地域で別の怨霊や妖怪が現れたとしても、龍神の編み出した封印術を流用して、霊脈に閉じ込めることができるのですよ」


 罪悪感とは無縁そうな須藤は、辛そうに黙って話を聞く結衣と大和を順に見やる。実験動物を相手にするかのような、見下した目。口調こそ丁寧だが、男が双子をどう見ているのか、分かりやすい態度だ。


「国としても、これまでお二人を守るために、神柱護衛官を付きっきりで派遣してきました」

「それを理由に、ワシをこの家から遠ざけようとしておるがな」


 一〇年前、紺は分身を派遣して双子を護衛していた。しかし、神柱護衛官の設立に伴い、国によって禁じられるようになったのだ。いわく、「今後は人間が丁重にお守りするので、妖怪の手を煩わせる必要はない」と。要は双子を管理下に置くために、後見人の紺が邪魔だったのである。そんな人間達の勝手な都合への牽制を込め、紺はちょくちょく宗像家に顔を出しているようだ。彼女からすれば、欲望に眼をギラつかせた人間に双子を任せるのは、あまりに頼りなく、そして危険だった。


 須藤は、詐欺師を思わせる、ふてぶてしい笑みを顔に形作る。


「それ以外にも、数々の優遇処置をしてきたのですよ。ならば、お二人にその代償を支払っていただく義務があるのではありませんか?」

「この二人は、『霊脈の鍵』を制御するため、これまでも幼い身体を酷使してきたんじゃ。それ以上を二人に求めるのは、人間の身勝手な欲望じゃろう」

「身勝手? 身勝手と申されましたか。我々は一億人の命を預かっているのです。国民の命を守るために最善の手を打つことの、何がおかしいのでしょうか」


 結衣と大和のどちらかが死ねば、霊脈の鍵は緩み続けて怨霊が復活する。龍神と比べ、二人の寿命がどの程度持つのか未知数であり、身体は圧倒的に脆弱だ。大勢の市民の命を預けるにはあまりに不安定なのも事実だった。国が神造りの研究を進めているのは、当然の政策だろう。


 それでも。


「……そのために、これからも神に犠牲を強いるのですか」


 真之は、気づいたときには疑念を声にしていた。悔しそうに唇を噛み締めて項垂れていた結衣が、意外そうに顔を上げる。


「ふん、君は自分の職分を超えて、発言していることに気づいているのかね? 神柱護衛官ごときが」


 須藤は一瞬苛ついたように眉間にシワを寄せたが、すぐに馬鹿にしきった冷笑を浮かべた。上下関係としては真之の方が圧倒的に下なので、須藤が敬語を使うことはない。


 確かに、これ以上の反抗的な姿勢は、真之の立場を危うくする。須藤が警察庁に一言添えるだけで、せっかく着任したばかりの神柱護衛官をやめさせられるどころか、警察官としての職も失いかねない。


 自己の保身を意識の外に追いやって、真之は自分の率直な意見を述べる。相変わらずの阿修羅のような恐ろしい顔つきだが、真っ直ぐな意志の熱を重い声に乗せた。


「失礼ですが。あなたのおっしゃる『一億人の命』とは、あくまでも人間に限り。神の命と権利は含まれていないように、自分には聞こえました」

「当然だろう? 我々は、人類の平穏と繁栄のために動いているのだからね」

「そのためならば、神を家畜としても良いと?」


 真之の「家畜」というキツい言い回しの問いに対し、須藤は「言い方は人それぞれあるだろうが、まあ概ねその通りだ」と嘲笑する。


 神にも人権と同じ権利も認め、そのための法整備をしていくべきだ、という意見は国会でも大きく取り上げられている。その一方で現実として、『神造り』と『霊脈の楔』のおかげで、志堂市をはじめとした国内の霊脈は安定していた。その平穏を国民は享受しているのだ。それなのに、「神の命を大事にしろ」と言うのは二枚舌の偽善でしかない――それが『神造り』推進派の主張だった。


 ならば、結衣と大和――そして紺を犠牲とすることに、目を瞑るべきなのか? 

 断じて否。真之は厳しい眼差しを須藤にぶつける。


「あなた方に国民を守る責務があるとおっしゃるなら、自分達神柱護衛官には神々をお守りする責務があります。神々をあらゆる危険からお守りすることが、自分達に与えられた権限であり、職務です。お二人の身柄をあなた方に引き渡すことなど拒否するほかありません。また、紺の家族としての立場からも到底受け入れることなどできません」

「真之さん……」 


 権力に挑むような真之の断固とした姿勢。結衣が悲しみを湛えた表情に、ほんの少しだけ救いの光を滲ませた。


「君のそのプロ意識は認めるがね。そのせいで市民を死なせてしまう恐れもあるのだよ。狭い視野で物事を語るのはよしたまえ」


 国民第一主義を掲げる須藤に対して水を指すように、紺は凍てついた声を向ける。


「龍神が死ぬ直前、お主らがあやつの身体から鱗を一枚くすねたこと。ワシが、知らんと思ったのかえ?」


 そこで初めて、須藤の余裕にわずかな揺らぎが生じた。


「その遺伝子を人間や低級の神に移植して、実験動物を製造しておることも。その悍ましい研究を身勝手な欲望と呼ばずして、何と言う?」

「……いやはや、ご存知とは。長き時を生きる妖怪の情報網を、甘くみておりましたよ」


 しらを切ることも、言い訳することも無駄と考えたのか、須藤は事実であると認めた。


 低級の神の場合、死ぬとその肉体は動物同様に現世に残される。その死骸を加工して『霊脈の楔』は製造されていた。だが、あくまでもそれは、低級の神の話である。龍神の場合、高位の神であったからなのか、それとも彼だけに当てはまる話なのか。命を落とすと同時に、肉体は光の雫となって消滅したといわれている。神社の敷地内に存在する彼の墓には、何も埋められていない。龍神が死ぬ寸前、政府の関係者が彼から遺伝子を採取していたというが、おそらく本人から許可を得てはいないだろう。その後の研究にも進んで協力していないと思われる。


「そんな、お父さんは皆のためにずっと頑張ってたのに、ひどい裏切りだよ……」


 結衣は大きな目に涙を潤ませ、嗚咽を漏らした。大和も、彼女の左肩に乗りながら、「キュイ……」と悲痛なうめき声をあげる。

 彼女達からすれば、父の魂を汚し、踏みにじられたような思いだろう。


「勿論、龍神の遺伝子を使った研究も進めております。ですが、さすがは高位の神というべきでしょうか、低級の神や人間の肉体にはなかなか適合しないのですよ。おかげで、ほとんど上手くいっていないのが現状ですね。やはり、龍神と自然交配して生まれた半神である、お二人のお力が必要なのです」


 須藤はどこまでも悪びれない。


 さすがに、真之もそろそろ忍耐の限界を迎えそうだった。この家から実力行使でつまみ出すべきだろうか。いや、国からすれば、この話し合いはまだ穏便な手なのだ。それを暴力で潰してしまえば、向こうに堂々と国家権力を行使する口実を与えてしまう。国側はいつでも、強制的に双子を『神造り』に利用する力を持っており、話し合いは双子に歩み寄っている形だった。


 そんな息子の迷いを読んだわけではないだろうが、紺がソファから立ち上がり、冷然とした眼光と共に告げる。


「話はこれまでじゃ。今日のところは帰るがよい」

「お待ち下さい。こちらの話はまだ終わって」


 自らの優位を確信した笑みで話を続けようとする須藤に対し、


「――帰れ」


 紺は殺気をリビング全体に張り巡らせ、一蹴した。隣の台所にいた真之が、心臓を握りつぶされるかのような恐怖感を覚えたほどに、圧倒的な重圧。紺の全身から、はっきりと目視できるほどに禍々しい妖気のオーラが立ち上っている。悠久の時を生きる大妖怪の力の一端を、この場にいる全員が垣間見た。


「……くっ、こんなことで黙るとは思わないでいただきたい」


 一瞬にして笑顔が土気色に変わった須藤は、そそくさと逃げるようにして家を出ていく。それを確認した紺は、ようやく殺気を解いた。


「真之よ、塩じゃ。塩を玄関口に撒いておけっ」

「分かった、分かった。結衣さん、塩はどこにありますか」


 怒りの収まらない様子の紺を宥めながら、真之はリビングのドアの前にいる結衣に問いかけた。

 その彼女は、綺麗に掃除されたフローリングを見つめ、ポツリと呟きを漏らす。


「……私達が研究に協力すれば、皆が安心して暮らせるのかな」


 今にも泣き出しそうな結衣を、紺は豊かな胸へと優しく抱き寄せる。


「お主らは人間の道具ではない。人間のために働くばかりで、その生命を使い捨てる必要などありはせん」

「紺さん……」

「あの男の話を聞いたじゃろう? 人間は自分達のためなら、平気で神を利用し、殺す。勿論、中にはそうではない者もおるがの」


 紺がチラリと真之を見やると、双子もその言葉の意味に気づいたようで、同時に頷いた。


「お主ら姉弟の身の保証については、父親と約束したんじゃ。絶対に人間の好きにはさせん」


 紺はそう言って、結衣の黒絹の長髪を撫でる。


 その母性に満ちた姿を見つめながら、真之はふと思った。


 かつて、生前の怨霊と近しい関係だったという紺。その彼女自身も昔は神だった。人間に裏切られ、殺害された怨霊は、今も憎悪に取り憑かれている。

 紺は怨霊と同じように人間を恨んではいないのか。

 もしも、恨んでいたならば、なぜ真之を拾ったのだろうか。

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