第29話 神造りの現実(前編)
その後、真之は一階にあるトイレを借りる。その間に芹那は一足早く、家の外を見回りに行った。紺とハヅキは、リビングで双子が下りてくるのを待っているようだ。真之としては、紺教師による料理教室を邪魔するつもりはないし、自分の仕事をサボるわけにもいかない。
真之が用を足してトイレから出るのと、結衣と大和が二階の自室から下りてくるのは、ほぼ同じタイミングだった。
そこへ、ちょうど見計らったかのように、玄関のチャイムが鳴り響いた。
「はーい、今行きます。……誰だろ?」
階段から廊下に出た結衣は、小首を傾げながら玄関の扉を開けに行く。
門番を務める他の護衛官が中に通したのだから、怪しい人間ではないだろう。真之は来客を邪魔して玄関から外へ行くわけにもいかず、どうしたものかとリビングにとりあえず引っ込もうとした。それよりも一歩早く玄関の扉が開けられ、底意地の悪そうな男の声が聞こえてくる。
「お久しぶりですね、宗像結衣さん。大和さんも」
「あなたは」
結衣がすぐさま身構え、傍らを飛ぶ大和が警戒心を剥き出しにして尻尾を逆立てる。それを見た真之にも、どうやら男が双子にとって好ましい人間ではないようだ、ということだけは分かった。かといって、他の護衛官が通した人間を、彼が実力行使で排除するわけにもいかない。
中年の男は、ここが研究施設でもないのに、スーツの上に白衣を羽織っていた。細いフレームの眼鏡をかけ、その奥には神経質そうな細い目が覗く。ひょろりとした体格の持ち主で、やや猫背だ。結衣を見下ろすその顔には微笑みが貼られているが、獲物を飲み込もうとする蛇の顔に似ていた。
「お邪魔してもよろしいですかな?」
「はい、どうぞ……」
結衣は強張った表情を浮かべ、男を廊下の奥のリビングへと案内しようとする。このままでは鉢合わせすると戸惑う真之だが、既にリビングへ足を踏み入れているため、もう後には引けない。
「紺、俺達はお邪魔になりそうだ。隣の台所に行こう」
既にリビングのソファに腰掛けていた紺に、真之は声をかける。
だが、紺は先程までのダダ甘な表情を消し去り、鋭い双眸を警戒心たっぷりに光らせた。静かな怒りの気配が、ワンピースからむき出しになった肌を包む。
紺の傍らに座らされたハヅキが、掴みかからんとばかりの口調で真之の方を向く。人形ゆえに表情は変わらないが、彼女が睨んでいるようにも真之は感じられた。
「おい、なんであんなヤツを家に上げたんだっ。あいつは――」
ハヅキの抗議に覆いかぶさる形で、真之が閉めたばかりのリビングのドアが再び開けられる。結衣と大和に続いて、白衣の男が中に入ってきた。
「失礼。おや、これはこれは。紺殿ではありませんか」
白衣の男は、一瞬忌々しげに唇の端を歪めたが、すぐに慇懃無礼に一礼した。
紺が刃の切っ先にも似た視線と共に、低い声を男に向ける。
「お主の名は須藤といったか。何をしに来たんじゃ?」
「今更ですね。『神造り』の協力をお願いしに来たのですよ」
神造り。
その単語を聞いて、真之は室内を覆う凍てついた空気の意味を察した。足音を立てないよう気をつけながら、リビングから仕切りなく繋がる台所へと移動する。本当は家の外に出るべきなのだろうが、台所とリビングから出るには、どうしてもリビングのドアを通る必要がある。そのドアの前を須藤と呼ばれた男が遮っており、この場では下手に退いてもらえる雰囲気でもなかった。
おそらく、彼は『神造り』を推進する政府直属の研究者か、その特使だろう。
紺は、眉一つ動かさずに言う。
「その件については、何度も断ったはずじゃが?」
「いくら貴方が宗像さんご姉弟の後見人とはいえ、指図される筋合いはありませんよ。これは、この地域に住む人々の命がかかったプロジェクトなのですからね」
須藤は、駄々っ子を相手にする母親のような口調で言い聞かせる。
「貴方が『神造り』に反対なさっているのは分かりますがね。現実として、『楔』を打ち込むことで、志堂市内の霊穴を安定させることができたのです。ですが、肝心の『霊脈の鍵』は、龍神が生きていたころに比べ、安定性が著しく欠けています。その原因は当然ながら、宗像結衣さんと大和さんの力不足でしかありません。ご本人を前にしてこういう言い方をするのは、大変心苦しいのですが、所詮は半神なのです」
強大な力を持った龍神だからこそ、一〇〇〇年もの間、封印を続けることができた。それでも、五〇〇年前に一度、封印は解けてしまったのだ。龍神よりも力の劣る結衣と大和では、いつ『霊脈の鍵』の制御に失敗するか分からない。
「一〇年前の霊災において、各地の霊穴を安定させるための封石は、何者かによって破壊されました。それに対して龍神は『霊脈の鍵』を制御しながら、各地の霊穴の乱れを押さえ込んでいましたが。そんな非効率的なことをしているから、龍神は死んだのですよ」
人々の平穏のために尽力した龍神に対し、スプーン一杯分の感謝すら感じさせない言い方だ。
「じゃから、人間は『楔』を開発した。多くの神々を犠牲にして、の」
「犠牲? まるで被害者のような口ぶりですね。元々、あの怨霊は神だったそうではありませんか。それも、貴方ととても近しい関係だった、と」
それは真之も初耳だった。リビングのソファに座る紺の表情を台所から窺うが、彼女は全く動揺した素振りを見せない。
須藤は、芝居がかった口調と共に両手を広げる。
「我々人類は一〇〇〇年間も、神のせいで怯えながら生きてきたのです。事態を解決するために、神に協力をしていただくのは、当然でしょう?」
「あやつが命を落とし怨霊となったのは、人間に裏切られて殺されたせいじゃ。無論、その後、人間を襲ったことは、あやつの罪じゃがの」
「それこそ詭弁でしょう。大昔の人間がしでかした罪を、現代人が背負わねばならない理由にはなりませんよ。我々には、住民の平穏を守る使命があります。神々には義務がね」
一〇〇〇年前を体験した紺の言葉を、須藤はあっさりと受け流す。
自分達人間は使命だが、神々は義務。自分達の繁栄のために、神に犠牲になれという。
その身勝手な論理に対して、真之は嫌悪感で顔をしかめそうになるのを自制した。
「正直に申し上げますと、貴方がそれほどまでに『神造り』を毛嫌いする理由が、我々には理解しかねますね。『神造り』は、神と神を交配させ、新たな神を作り出す新世代の研究です。しかし、現時点の技術では、神と人をかけ合わせた半神しか作り出すことができません。それも、そこにいる付喪神のような低級の神を使った、ね」
須藤は侮蔑に満ちた目を、ソファに乗せられたハヅキを向けた。自分に話を振られ、ハヅキは「何だとぉ!」と食いかかろうとするが、それを紺が片手で押さえつける。
「そうして出来上がった大量の養殖の半神を、潰して加工し、一本の巨大な杭を作り上げる。それが、『霊脈の楔』です。低級の力しか持たない半神であっても、ああして大量に集めれば、役に立つというわけですね。そうした神の力を凝縮した楔を霊穴に打ち込むおかげで、そこから吹き出す瘴気を押さえ込むことができるのです。この成果は、貴方もお認めになるでしょう?」
酷薄な笑みを浮かべ、須藤は平然と言う。
『神造り』のために捕獲された神々は、その力が尽きるまで半神を産む道具となる。工場の製造過程の一つとして組み込まれ、役に立たなくなったら楔の一部として加工されてしまう。
神の家畜化と道具化。それが、『神造り』の現実だった。
「といっても、現時点で製造された半神や神は、力が著しく劣化した出来損ないに過ぎません。もっと高位の神をもとに、大きな力を持った人工の半神を作り出すことができれば、霊穴の制御も容易になります。そうなれば、封印はより強固なものとなり、住民が平穏に暮らすことができます。霊災が原因でこの志堂市から去って行った人々も、安心して戻ってくることでしょう。さらに、この国全体の霊脈を管理下に置くことができれば、今後どのような悪霊や妖怪が現れようとも恐れることはありません。そこで、このプロジェクトに、貴方にもご協力していただきたいのですよ、紺殿。かつて神であったという、あなたの力がね」
須藤は大仰に両手を広げ、熱弁を振るう。
それを聞いた真之は、またも初めて聞く情報に内心で驚きに揺れた。
紺が相当の大妖怪であったことは、彼女本人に教えてもらっていた。だが、神の座にいた経験があることまでは知らなかったのだ。
「五〇〇年前の霊災を記録した書物を読んだのですがね。そのときの貴方は、妖力の源たる尾を五本持つ大妖怪だったという記述がありました。ですが、一〇年前の霊災では、四本しか確認できませんでした。怨霊に対抗するために妖力を失い、五〇〇年かかっても四本までしか再生できなかったようですね。今はどうです? たった一〇年では、ほとんど回復できていないでしょう。そんな有様では、仮に次の霊災が発生したとき、あの強大な怨霊を止めることができるのですか?」
勝ち誇る須藤に対し、紺は無言を返答とした。それが肯定を表していることは明らかだ。
真之の記憶において、一〇年前に病院で紺が見せてくれた尾は、一本しかなかった。最近、自宅でくつろいでいた紺を見たとき、小さな尾が一本増えていたのを覚えている。たった一〇年では、妖力がほとんど回復できていないという証拠だ。
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