義母の愛情に包まれて
第11話 神の血を引く双子
親戚夫婦の来訪に加え、クラスメイト達とのぎくしゃくした関係。
新生活が始まってまだ日が浅いというのに、真之の精神は痩せ細る一方だった。
迎えた週末の昼前。
「気分転換をしないか」と紺に誘われ、タクシーに乗ること一五分。一社の神社へとたどり着いた。タクシーを出ると、鋭い風が防寒着を切りつけてくる。薄い雲のかかった太陽が、淡い光を地上に運んでいた。
「ここが白麟(はくりん)神社、ですか」
真之は入り口の鳥居を見上げながら、すぐ前を歩く紺の背中を追う。寂れた住宅地の真ん中に存在するこの土地は、鎮守の社と呼ばれる森林に覆われていた。清掃の行き届いた参道を進むと、木造の拝殿がある。地方の神社にしては立派な外観だ。
「うむ。ここは、亡くなった龍神を祀る神社での。あやつの家にも等しい場所じゃ」
スーツの上に毛皮のコートを羽織った紺が、懐かしむようにつり上がった目を細める。
境内では、桃色のジャンパーを着た女児が一人、寒さを吹き飛ばして元気に走り回っていた。地方の神社は、地元の子どもにとって大切な遊び場でもある。賽銭箱の前では、幼児を見守る着物姿の女がいた。
「おお、真之ではないか!」
ラベンダー柄の着物を着た金髪の女は、紺と真之の存在を認識すると、一足早い春のような笑顔を見せて手を振った。格好は違えども、真之の傍らにいる紺と瓜二つの容姿。紺の分身だ。絶世の美女が二人(?)並び立つと、きらびやかな絵になる。
「本体のワシと揃って、遊びに来たのかや?」
「うむ。真之にあの子らと会わせてやりたくなってのう」
そう言って本体の紺が柔らかい視線を向けたのは、無垢な笑顔で駆け回る女児だ。
「おーい、結衣、大和。こちらにおいで」
分身の紺が名前を呼ぶと、女児はすぐにこちらに気づいた。一直線に走り寄ってきて、分身の紺の足に抱きつく。
「コンおねーちゃん、なあに?」
「二人に会ってほしい者がおるんじゃ。ほれ」
女児の視線の高さまでしゃがみ、分身の紺は真之を指差した。絹糸のように艶やかな金の髪が、木枯らしに揺られて波を作る。
(え、二人?)
真之は、分身の紺の発言を一瞬訝しむが、すぐに目の前に意識を集中させた。
正面の女児が円な目を興味津々に輝かせ、真之を見上げてくる。
歳は三つか四つといったところであろうか。あどけない顔立ちは、見る者に将来の美貌を期待させるだけの素養を持っていた。ミルク色の肌に、おかっぱ頭に切りそろえた黒髪。そのこめかみの辺りからは、一対の白い小さな角のようなものが後ろに向かって生えている。
(アクセサリみたいなものかな?)
あまり突っ込んで聞いてはいけない気がして、真之は疑問を口にしない。
女児が畏まって、舌足らずな声で挨拶をする。
「えっと、むなかたゆいです!」
「建宮真之といいます。よろしく」
「たたまや、さなゆき?」
真之が自己紹介を返すと、女児――結衣は彼の名前を噛んだ。どうやら、発音しにくいようだ。真之は無愛想にならないよう気をつけながら、ゆっくりと自分の名前を口にする。
「さ、ね、ゆ、き、です」
「さね、ゆき。さねゆき……さねゆき、おにーちゃん!」
ようやく正確に言えたことで、結衣は喜びを弾けさせる。真之まで思わず庇護欲を駆り立てられるほどの愛くるしさだ。
「このこはね、やまと、ってゆーの。ほら、やまと!」
結衣が自分の背中に向けて話しかけると、小さな生き物が肩から顔を出した。
(蛇? ううん、違う。ヤモリ?)
真之が分類に困るのも致し方ないといえる。大和と呼ばれた不思議な生き物は、ヤモリの幼体のように細長い身体を持っていた。顔もヤモリに似ているが、違いとして頭には結衣と同様に二本の角があり、全身が純白の鱗に覆われている点だ。四本の足で結衣の肩にしがみつく姿には、小動物独特の愛らしさがあった。あえて一番近そうな例えを選ぶなら、東洋の竜といったところか。それも、手のひらサイズで。先日テレビで見た龍神とよく似ている。
大和は、真之の顔を見るとすぐに不安そうに顔を引っ込める。
「あ、やまと。ほら、こんにちはして!」
「キュイ~」
大和は人見知りが激しいのか、結衣の肩に隠れて出てこようとしない。結衣が叱っても、情けない鳴き声を発するだけだ。
その様子を微笑ましそうに眺めていた本体の紺が、話を挟む。
「この子らは、龍神と人間の娘との間に生まれた双子での。そういった神と人の子を、ワシらは『半神』と呼んでおるんじゃ」
「え、双子? ……でも、全然似ていないですよ」
真之は思わず目を点にさせる。そもそも種族が違うだろう、という当然の突っ込みを目で訴えた。
本体の紺は「そう言いたくなるのも分かるが、事実じゃ」と言って頷く。
「基本的に、神は人を愛しておる。じゃが、それは人が動物を愛でるようなものでな。種族が違うゆえに、男女の恋や愛に発展することはほとんどない。時折、例外が生じて深い仲になるケースもあるが……真之よ、人の子がどうやって生まれるか、知っておるかえ?」
「はい。前に通っていた学校で教わりました」
真之は頬を赤らめながら、頷く。それを見た紺は、艶に満ちた紅色の唇の端を緩ませた。
「うむ。人が人の子を妊娠した場合、生まれるまでには一〇ヶ月ほどかかる。それに対し、神と神、あるいは神と人の間に子を妊娠した場合、出産までにかかる月日はわずか一日じゃ。交尾も必要とせん。肉体の交わりではなく、特別な儀式を通して精神の交わりで子を成す。龍神の肉体がいかに大きかろうと関係ない」
本体の紺の説明は、生物の常識から外れたものだった。
「そうして、生まれてきた半神は、両親の身体的特徴を引き継ぐ。大和はこの通りの姿じゃし、結衣にも角があるじゃろ?」
結衣の頭に生えた白い突起物は、アクセサリではなく本物の角だったというわけか、
竜としての見た目を色濃く受け継いだ大和と、人間に近い外見の結衣。見た目にほとんど共通点のない二人が、神の血を半分引いているという。
真之は、信じがたい話をどうにか呑み込んだ。
一ヶ月前までの彼なら、けっして納得しなかっただろう。あの怨霊騒ぎに巻き込まれ、妖怪の紺に拾われたおかげで、現実味のない話でもある程度は受け入れることができるようになった。
結衣の小さな頭を撫でながら、分身の紺が話の補足をする。
「この子らの母親は、この神社を代々守る神主の娘じゃ。今は昼食の準備をしておるゆえ、ワシがこの子らの子守りをしておる、というわけじゃな」
結衣が分身の紺に抱きつき、じゃれついた。その姿を愛でる本体の紺が、声に真剣味を帯びさせる。
「龍神が霊脈に怨霊を封じ込めた、という話を以前したじゃろ? 霊脈の封印は龍神が編み出した術でな。『霊脈の鍵』と呼ばれる霊脈の中心点を、常に監視する必要がある。あやつか、あやつの血を引く者にしか術を扱うことができんが、その龍神はもうこの世におらん。じゃから、今はこの子らが協力して封印の制御をしておる」
スケールの大きな話になり、真之は思わずぎょっとした。
(こんな小さな子達が、重い責任を背負ってるなんて……冗談だと思いたいけど、紺さんの顔は真剣だし)
神によって一〇〇〇年もの間続けられていた封印が、物心つくかどうかの幼い子どもに一任される。何万人もの市民の命を預けるには、あまりに不安が大きすぎる問題だ。想像しただけでも、真之の背筋が凍りつく。
「じゃあ、この子達にもしものことがあったら……」
「封印は数日で解け、怨霊が再び蘇る。しかし、あの子らはまだ幼いゆえ、どうしても封印が不安定になりがちじゃ。ワシもできる限りのフォローをしていくつもりじゃが、封印そのものには残念ながら手を貸せん」
本体の紺が目を閉じると、長いまつ毛が悲しげに揺れる。
紺が分身を派遣しているのは、亡き知人の忘れ形見を護衛するためだったのだ。仮に双子が誘拐された場合、彼女はどんなに手荒な手段を用いてでも奪い返すに違いない。
と――
「う、く」
それまで元気に笑っていた結衣が突然、顔色を激変させた。平たい胸を両手で押さえ、その場にうずくまる。
「はぁ、はぁ……くぅ!」
「ど、どうしたの! どこか痛いの?」
突然の事態を前に、真之は狼狽しながら結衣の顔を覗き込んだ。呼吸が激しく乱れ、苦しげに幼い顔を歪める結衣。その姿は、ヒビの入ったガラス細工を思わせる脆さを秘めていた。
「始まったか。大和よ、頼む」
「キュッ!」
本体の紺が指示をすると、結衣の肩に乗っていた大和がきつく目を閉じる。同時に、淡い光が双子の身体を包み込んだ。闇の中で灯されたロウソクの火のような、儚げにゆらゆらと揺れる輝き。
(この光、この子達の身体から出ている?)
紺が言う封印と、何か関係があるのだろうか。真之の少ない知識では理解が追いつかない。
「けほっ、けほっ!」
結衣が激しく咳き込むと、口からこぼれ出た鮮血が地面の砂利を赤く染めた。分身の紺が着物の胸元からハンカチを取り出し、幼女の口元に差し出す。
「紺さん、救急車を呼んだ方がいいんじゃないですかっ!?」
「大丈夫じゃ、じきに治まる」
真之が慌てて訴えるが、本体の紺は彼の両肩に手を置いて興奮を抑えようとする。
その場にいた者達が見守っているうちに、少しずつ結衣の容態が落ち着いていった。あれだけ激しかった苦痛の波が引いたようだ。分身の紺がぐったりとした幼女を抱え、拝殿の木床の上に寝かせる。
「今のは一日に何度か起こる発作じゃ。まだ封印術の制御に慣れておらんせいで時折、封印が緩みかけてしまう。それがこうして結衣の肉体を蝕んでおる。こればかりは、制御のコツを覚えてもらうしかない。大和は発作を和らげる力を持っておるから、制御の安定していない今はまだ傍を離れることができん」
本体の紺が胸を撫で下ろしながら、真之に説明する。
「他に方法はないんですか」
どうやって封印をしているのか、その具体的な手段が真之には分からない。しかし、こうして結衣の身体的負担を目の当たりにすると、気が気でなくなる。発作のたびに血を吐いているのでは、少しずつ衰弱していくのではないか。
紺は自身の無力さを噛みしめるように、小さくため息を吐いた。
「……少なくとも現時点において、ワシらが思いつく限りの最善の手なんじゃよ。無垢な幼子に責任を押し付けるとは、あまりに情けない話じゃがな」
真之は寒さでかじかんだ手を合わせながら、本体の紺の横顔を真剣な目つきで見上げる。
「今日、僕をここへ連れてきたのは、結衣ちゃん達の大変さを教えるためだったんですね」
「昨晩、成長したお主がこの子らと共に過ごす、という夢を偶然見てな。勿論、ただの夢に過ぎんことは承知しておる。今のお主には、余計なプレッシャーになるかとも懸念した。じゃが、悩めるお主に新しい情報と視点を与えることで、何かのきっかけになるかと思ってのう。それに、この街に住む者として、この子らが背負されている重荷を知っておいてほしかったんじゃよ」
本体の紺がそう言い、結衣のふっくらとした頬を指でなぞる。真之は、疲労に浸かった様子の幼女に心配げな眼差しを送った。
そこで、ゆっくりと目を開けた結衣が、分身の紺と本体の紺の顔を順に見上げる。
「……コンおねーちゃん? あれ、こっちも?」
「今まで気づいておらんかったのか」
分身の紺が少し呆れ気味に苦笑する。怠そうな表情を浮かべていた結衣は、混乱がどんどん激しくなっていき、何度も瞬きをしながら口を金魚のようにパクパクさせた。
「え、え、どっちがホントのコンおねーちゃん?」
「さぁて、どっちじゃろうかのう?」
幼い脳がパンクしそうになる結衣に対し、二人の紺が悪戯っぽく覗き込んで吹き出した。さすがは本体と分身だけあって、意地の悪さも息が合っている。
その微笑ましい光景を眩しく感じながら、真之は先程の紺の言葉を思い出す。
(夢、か)
少なくとも現状の彼では、結衣と大和の力になれない。何しろ、自身の問題すらもろくに解決できていない体たらくなのだ。このまま歳を重ねたところで、大した成長は見込めそうになかった。
そんな心中を読み取ったように、本体の紺が慈愛の微笑みを向けてくる。
「大丈夫。お主は自分が思っているよりも、ずっと良い男じゃよ」
その続きを、分身の紺が引き継ぐ。
「少しずつでよい、自信を積み上げていくことじゃな」
美人二人(それとも、一人というべきだろうか)に勇気づけられ、真之は冷気で凍てた頬を赤らめた。それを見た結衣がよろよろと上半身を起こし、純真な視線を向けてくる。
「おにーちゃん、あかくなってる。ねえ、どーして?」
「こ、これは、その」
慌てふためく真之の両隣を、二人の紺が優しさをにじませた笑顔で囲んだ。
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