第49話 狂気の信仰

 同時刻。

 繁華街から少し離れた先にある、古びたマンション。

 そのうちの一室に、礼賛神徒の潜伏場所のうちの一つはあった。

「ああ、凄いわ。さすがは破壊の化身。もっと近くで見てみたいっ!」


 ベランダの手すりに身を預けながら、道内芹那は声を躍らせていた。目を爛々と輝かせる彼女の視線の先には、壊滅していく繁華街の光景がある。こうして遠くから見ると、その惨状の全体が把握できた。

 街中から火の手が上がり、建物が崩壊していく。その中心にいるのが、高層ビルをも上回る高さの巨人だった。


「なんて素敵なのかしら。人間の命も、必死に築き上げてきた建物も、全てが潰されていくのはっ。今日まで耐え抜いた甲斐があったわ」


 芹那は、おっとりとした顔の筋肉を恍惚で緩め、頬を紅潮させる。

 このマンションの住人達は、そのほとんどが既に避難していた。おかげで、外部の人間の目を気にすることなく、思う存分この素晴らしい景色を堪能することができる。

 しかし、まだ物足りない。こんな場所からでは、惨めに蹂躙されて死にゆく人間達の姿が見えないのだ。


「おい、道内。そろそろ、ここも警察に突き止められるぞ。俺達も逃げる準備を始めないと」


 そう声をかけてくるのは、彼女の仲間の男だ。ベランダに続くリビングで、そわそわと落ち着かない様子だった。リビングには、他にも一〇人の礼賛神徒がいて、各自が荷物をまとめている。

 芹那はお楽しみを邪魔されて、ムッとしたがすぐに笑みを取り戻す。


「ええ、そうね。ここよりももっと神のお近くに行きたいわ」

「は? 何を馬鹿なことを言っているんだ。神は既に降臨なさった。もう俺達にできることはない。後は安全を確保するために、国外に高飛びを――」

「安全?」


 仲間の言葉に、芹那は思わず眉をひそめた。ベランダを離れ、窓からリビングに入りながら、うっとりとした表情を浮かべる。


「あなたの方こそ、馬鹿なことを言わないで。こんな素晴らしいショーを見逃す理由なんてないわよ」

「神のお姿なら、テレビの生中継でいくらでも見られるだろう。警察に見つかる前に、さっさと逃げるんだ。あれだけ派手にやらかしたせいで、国内にはいられない」

「あらあら、何か勘違いをしているみたいね」


 芹那は茶色がかった髪をかき上げ、男の顎に指をかけた。香水の香りをほんのりと漂わせるその肢体からは、今にも情事を求めそうな牝の色気が醸し出されている。そうして口から囁かれたのは、甘ったるい声。


「私達がこれまで頑張ってきたのは何のため? 愚かな民衆に神のお怒りをその身

で味わわせ、神を畏怖させるためでしょう?」

「そうだ。その計画はほぼ達成できたといってもいい」

「いいえ。まだよ。神の偉業を最後まで見届けることこそが、私達礼賛神徒の務め。あなた、神への信仰心が足りないんじゃないかしら?」


 美しい顔に浮かぶ狂気を隠そうともしない。一切の迷いのない芹那の目に、仲間の男は戦慄を覚えたようだ。頬を引きつらせ、彼女から距離を取る。そこへ、別の仲間が話に割り込んできた。


「おい、道内。どこに行くにしろ、こいつはどうするんだ」


 仲間が指し示したのは、リビングの隅に置かれた大きなケージだ。その中には、蛇のようにとぐろを巻いて、こちらを威嚇する生き物がいた。

先刻、拉致してきた半神の大和である。

芹那が拉致に成功したのは、大和一人。彼の片割れである結衣は、逃走に利用して捨ててきた。あの場で殺害に成功した、と芹那は思っていたのだが。テレビの報道では、まだ生きているらしい。あの忌々しい大妖怪様が治癒に成功したというわけだ。現在は『霊脈の鍵』が内側から緩められるのを、どうにか遅らせているのだろう。


「双子を両方奪ってこられたなら、脅して無理やり『霊脈の鍵』を開けさせていたんだが。こいつだけじゃ何もできねえ。ヒスイともリンクできねえみたいだしな」


 仲間はそう言って、ケージの隣で体育座りをする少女に、視線を向ける。部屋の中だというのに頭に被ったフードを外そうとしないヒスイは、アイスキャンディを黙々と齧っていた。

 ヒスイは、龍神の遺伝子を埋め込まれた実験体だ。彼女なら、結衣と同じように大和と同調し、『霊脈の鍵』に干渉できるかもしれない、という希望があった。しかし、所詮は実験の失敗作に過ぎないというべきか、同調は失敗に終わったのである。


「こいつが俺達の手元にある以上、『霊脈の鍵』はいずれ完全に開く。なら、こいつを生かしておく価値はないだろう」


 仲間のその言葉に、他の仲間達が賛同の声をあげる。

 確かに、結衣が命を拾ったといっても、彼女一人では『霊脈の鍵』を完全に締めることはできない。この双子は、二人で一つ。その片方を芹那達が手中に収めているため、彼女達の崇める神は数日以内に完全な力を取り戻せるのだ。


「どこに逃走するにしても、こいつは邪魔にしかならないぜ。今のうちに殺しておいた方がいい」


 仲間の一人が低い声で言うと、ケージの中で大和が悲鳴にも似た短い鳴き声を漏らした。それを聞いた仲間達の一部が、馬鹿にした笑みを浮かべる。

 不穏な空気が漂い始めたところで、芹那が待ったをかけた。


「いいえ。今はこの子を殺すべきではないわ。私達のとっての切り札になるもの」

「切り札?」

「ええ。状況によっては交渉の材料にもできるし、逃げるときの囮にもできるわよ」


 芹那は自信たっぷりに言い、ケージに近寄った。

 国や警察からすれば、大和は最優先で取り戻したい存在である。芹那達がどんなに無茶な取引を持ちかけても、絶対にノーとは言ってこないだろう。


(まったく、揃いも揃って木偶の坊ばかりね)


 芹那は蠱惑的な笑みを浮かべたまま、内心では冷ややかに毒づいた。

 彼女が礼賛神徒に入信したのは、五年前。そのころは、まだ冷静に物事の全体を見渡せる人材が、組織に何人も存在していた。ところが、この五年間で組織は穏健派と強硬派で対立を深め、今年になって関係が修復不可能なレベルにまで達した。芹那は神の復活を推し進める強硬派についたが、優秀な人材はほとんどが穏健派に流れている。結果として、芹那がリーダー格に祭り上げられたのだ。


 強硬派の中には、一〇年前の霊災の原因を作った者達もいた。『楔』ではなく封石が各地点の霊穴を制御していた当時、徒党を組んで封石を破壊したのだ。霊災が表沙汰になるよりも以前から、怨霊と呼ばれる神を信じていた連中。結果的に彼らは、神の存在を立証したことになる。


 強硬派にいる人間は脳筋というべきか、とにかく武力で無理やり押し通すことしか能がない連中ばかりだ。昨日も、芹那が許可していないのにも関わらず、勝手に徒党を組んで宗像神社に攻め入った。結果は惨敗に終わり、逮捕者が出る始末。組織内の情報も警察側に漏れてしまった。おかげで、芹那が結衣と大和の護衛任務に回されたのは幸運だったが。仕方なく、芹那は今回の計画を早めることを決断した。彼女が神柱護衛官の機密情報を入手し、他のメンバーも警察組織内に潜り込んでいたおかげで、どうにか計画が形になったのである。とはいえ、随分と杜撰な代物になったものだ。


(それもこれも、あの親子のせいね)


 建宮紺と、建宮真之。

 前者については、以前からずっと警戒していた。何しろ、一〇年前の霊災で神の復活を妨げた妖怪だ。結衣や大和と仲が良く、一緒にいることも多い。あの妖怪を最重要の障害だと芹那は認識していた。

 後者については、小学生時代から芹那とは仲が良かった。神柱護衛官になったという話を本人から聞いたときには、特に障害とはならないだろう、と判断していたのだ。だが、二度の襲撃をあの男は防いだ。腕っ節が立つことは知っているつもりだったが、まさかヒスイの襲撃までも退けるとは、芹那も予想していなかった。前倒しになった計画において、少しでも邪魔になりそうな者は潰しておくに限る。そう考えた彼女は、油断を誘って建宮真之を殺害した。

 できることならば、建宮紺の絶望する顔をじっくりと見たかったものだが。さすがに贅沢な望みだと思い、泣く泣く諦めた。


「ン。ソレ違ウ。芹那、優シイ。芹那、助ケテクレタ」


 芹那が思考の世界に浸っていると、ヒスイが誰かに話しかけているのが聞こえてきた。

 珍しいこともあるものだ、ヒスイは芹那以外の人間とは基本的に言葉を交わさない。国立研究所から逃亡し、行くあてもなく彷徨っていたヒスイを、芹那は偶然発見して拾った。それ以来、ヒスイは芹那のことを親のように信頼して懐いてくるが、彼女以外の人間に対しては敵意を見せている。研究所でよほど人間達にひどい目に合わされたのだろう。

 誰と話しているのか、と芹那が興味半分で視線を向ける。どうやら、ケージに入った大和と言葉を交わしていたようだ。アイスキャンディを齧りながら、片言で会話を成立させている。


「ヒスイ。その子の言葉が分かるの?」

「ン。ナントナク分カル」


 芹那の問いかけに、ヒスイが素直に頷く。それを聞いた仲間達が顔を見合わせ、首を捻った。

 大和の鳴き声を理解できる者は、双子の姉である結衣しかいない。芹那達はずっとそう考えていた。だが、龍神の遺伝子をその身に宿すヒスイならば、可能であるようだ。それに加えて、元々人間よりも獣に近い思考回路を持っているのが、上手く作用したのかもしれない。出会い方が異なれば、良き友人になっていたのだろうか。

 そのとき、玄関の扉が勢い良く開け放たれる音が聞こえてきた。


「お、おいっ、警察だ、警察が来たぞ!」


 一人がそう叫び、仲間達は少混乱状態に陥る。スモークグレネードでも投げ込まれたのか、廊下の方から濃い煙が一気に広がってきた。少し遅れて聞こえてくるのは、発砲音と壁にぶつかる衝撃音。

 仲間の一人が、責任を押し付けるように芹那の顔を睨みつけ、叫ぶ。


「だから、言わんこっちゃないっ。早く逃げるべきだったんだ」

「ええ、それは私の判断ミスだったわね。でも、心配しないで。ヒスイ」


 芹那が名を呼ぶと、ケージと向き合っていたヒスイが素早く立ち上がる。異形の大きな右眼は、芹那への信頼に満ちあふれていた。


「お客様よ。全員、殺ってしまいなさい」

「分カッタ」


 芹那が命令すると、ヒスイは短く返事をする。食べかけのアイスキャンディを床に投げ捨て、長く伸びた爪を構えた。小学生ほどの小さな身体だというのに、獲物を見つけた狼のごとき殺気を漲らせている。

 敵は狩りに来たつもりのようだが、狩られるのはどちらの方か。それを分からせてやろう。

 これから行われる惨劇を想像し、芹那は蕩けそうな笑みを広げた。


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