第48話 暴虐の怨霊(後編)
『紺様、私達もお手伝いさせていただきます!』
『紺様!』
『紺様、どうかご指示を!』
淡い光を放つ霊気が大小の塊となって、紺の周囲に次々と集まっていく。おそらく、この地域で暮らす神々であろう。彼らもこの緊急事態に対し、立ち上がってくれたのか。
「お主らは、逃げ遅れた人間達の救助を頼む」
『承知致しました!』
紺の指示を受けた霊気の塊達は、四方に散開していった。地上で瓦礫に閉じ込められたり、怪我で満足に歩けなくなったりした人間達を見つけ、それぞれの介抱を行う。
その間に紺は再び妖気の壁を張って、怨霊の動きを止めにかかる。
そこで、何かに気づいた様子で振り返った。その視線の先にあるのは、真之の運転するバイクだ。
「真之っ!?」
ヘルメットを被っているのに、紺はドライバーの正体を見抜いたようだった。長き時を生きる大妖怪なので、特定の人物の気配を察知する力を持っているのかもしれない。神速で宙を飛翔し、あっという間に真之の隣に追いつく。息子から見ても華やかな義母の顔は、普段は陶器のように白い頬を上気させていた。
真之は急ブレーキをし、バイクを停止させた。彼の隣に降り立った紺は、雷のように激しい怒鳴り声を落とす。
「お主、こんなところで何をしておるんじゃ! ハヅキがついておりながらっ」
「ひいっ、ごめんなさい、紺様」
紺に厳しい視線を向けられ、怯えたハヅキが真之のスーツの中に顔を隠した。真之は彼女を庇うようにして、簡潔に自分達の目的を告げる。
「紺。俺達は、これから大和さんの救出に向かう」
「お主は、絶対安静の身体じゃろうっ。行ったところで、何ができるというんじゃ!」
紺は、これまでに真之が見たことがないほどの剣幕を浮かべた。義母の本気の怒りに直面し、彼の肌の毛が逆立つ。
「血塗れのお主を見たとき、母がっ、母がどれだけ心配したと思うておるんじゃ。もう目を覚まさぬのではないかと、不安だったのじゃぞ」
「それについては済まないと思っている。ぐっ……だが、今は一刻を争う事態だ。俺は神柱護衛官としての務めを果たす」
額に滲む脂汗を指で拭いながら、真之は紺の顔を直視する。
……すぐに彼は、胸中で自分の言葉を否定した。
神柱護衛官として、というのは自分の行動を正当化するための方便にすぎない。本当は、紺の助けになりたかったから。紺が一人で戦っているのに、息子である彼が何もできないのが嫌だったからだ。
「いいや、分かっておらんっ! 子どものワガママが通じる状況ではないのじゃぞ!?」
紺は、真之に激しい声を叩きつけた。
そのせいで集中力が乱れたのか、彼女の妖力で動きを鈍らせていた怨霊が、街中を震撼させるほどの咆哮をあげる。
「大体、アテもなく街を回ったところで、意味はないっ」
「いや、礼賛神徒のアジトの場所については、いくつか情報を得た。あんたも交戦したという半神の少女。彼女の気配をハヅキさんに探知してもらいながら、いくつかの潜伏場所の候補を回っている。彼女がいる場所に、おそらく大和さんも捕まっているだろう」
「それなら、ワシが行く。潜伏場所の住所を教えよ」
「あんただって分かっているはずだ。自分がここから離れるわけにはいかないことを」
真之の冷静な指摘に、紺が苛立たしげに歯噛みする。
現在、怨霊は紺のおかげで力をいくらか抑えられている。彼女がこの場を離れれば、街の被害は飛躍的に増大してしまうだろう。
それでも、紺は母として、息子の先走りを認めるわけにはいかないようだった。
「っっっの、駄々っ子が!」
真之の横っ面に見えない衝撃が激しくぶつかり、首が捻れる。義母の妖気で叩かれたのだ、とすぐに分かった。
紺は、つり上がった両眼から大粒の涙をこぼす。
「そんなボロボロの身体で死地に行くのを、ワシが認めると思うておるのか! 敵の本拠地なんぞに行ったら、ほぼ間違いなく命を落とすのじゃぞっ。一人前とは、そのような無謀に走ることではない!」
「いや、死ぬわけにはいかん。大和さんを病院に連れて行かなければいけないからな」
「他の者に任せて、大人しく寝ておれ!」
「いくらあんたの頼みや命令であっても、断る」
紺の心配は痛いほど理解できるが、これ以上口論していても埒が明かない。
そう判断した真之は、バイクのハンドルのアクセルを回す。紺に背を向ける形でバイクが加速し、その場を猛スピードで離れていく。
その場に取り残された紺が、アスファルトの地面に地団駄を踏んだ。
「ああ、もうっ。我が息子ながら、なんという強情さじゃ! くっ、致し方ない。かくなる上は……」
そんな嘆きがうっすらと聞こえてくる。
あっという間に紺の姿が見えなくなり、真之はほっと一息を吐く。
「……ふう。後で土下座をしても、紺は許してくれなさそうだな」
そう独り言を漏らすと、スーツの内に隠れていたハヅキが顔を出す。彼女を結果的に巻き込んでしまったことに、真之は今更ながら罪悪感を覚えた。
ところが。
「当然じゃ。一晩中、説教をしても飽き足りぬ」
人形の身体から聞こえてきたのは、紺の不機嫌そうな艶声だった。驚いた真之は、思わずハンドルのブレーキを回しそうになる。
「紺っ!?」
「うむ、母じゃ。妖力の一部を注ぎ込んで、ハヅキの身体を一時的に借りた。妖怪同士だからこそできる芸当じゃな。できれば、いつぞやに見せたような、きちんとした分身を作りたかったが、あれはちと時間がかかる。ゆえに、こうするしかなかった。ハヅキの意識と今のワシは同居しておるが、主導権はワシにあるんじゃ」
「あんたの本体はどうなっているんだ?」
「今も怨霊とやり合ぅておる。通常の分身同様、こちらとあちらのワシらは、それぞれ自立しておるよ。意識がリンクしておらんから、互いがどうなっているのかは分からぬがな。こちらのワシに与えられた妖力はわずかなものじゃが、それでもあの半神の実験体には遅れを取らぬ。とはいえ、あまり長くは持たぬのがこの術の欠点でな。よく持って、二〇分から三〇分といったところかの」
真之の問いに対し、紺は大したこともなさげに自分の力を説明した。一見、ただの日本人形の身体だが、とんでもない戦力であるようだ。
「それまでに、大和を救い出さねばならん。敵のアジトの候補はいくつあるのじゃ?」
「市内にあるのは三ヶ所だ。既に一つ行ったが、外れだった。次に行く場所までは、全力で飛ばして四、五分といったところか」
「確率は二分の一。いや、既に市外に逃げられている可能性もあるのう」
そうでもない、と真之は返した。
礼賛神徒は、怨霊を崇拝している。彼らが待ち望んでいた神とやらが、ああして派手に復活したのだ。その姿を、できるだけ近くで拝んでいたいだろうから、市外に逃げるのを遅らせている可能性もけっして低くない。アジトの場所を教わる際、課長にそう言われた。
真之がそう説明すると、紺は「そういうものかのう」と理解し難そうに首を捻る。それから、不機嫌そうな声と共に、無表情な人形の眼で睨み上げてきた(ように真之には感じられた)。
「お主は先程無理やり話を打ち切って、有耶無耶にしたつもりじゃろうが。母はけっして納得したわけではないからな。母が傍におるからには、無茶な行動は許さん」
「ああ、分かっている」
「いいや、分かっておらんっ。絶対に無茶はするなよ。母との約束じゃ」
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