第47話 暴虐の怨霊(前編)
看護師の目を盗んで病棟を出た真之は、エレベータで一階へと降り立った。
病院内は霊災の被災者で溢れており、皆が怪我の治療を求めて順番待ちをしているようだ。ここは、怨霊が暴れている場所からかなり遠くにある地区だが、まともに機能している病院がそれだけ少ないのだろう。群衆の中に紛れて病院を脱出し、裏手の駐車場に向かった。
「よし、これだな」
ヘルメットを被ってから課長の愛車に跨り、キーを差し込む。バイクのエンジンが唸り声をあげ、アクセルを回すと共に走り出した。夜の駐車場を抜け、街に入っていく。
「ぐっ!」
「お、おい、大丈夫かよ?」
痛みに歯を食いしばる真之を見かねて、彼のスーツの内に潜り込んだハヅキが心配そうに声をかけた。激しい空気抵抗が身体にぶつかってくる。開いた傷口から血が滲み出すが、全て無視だ。苦しみ悶えるのは、無事に病院へ戻ってからの贅沢に取っておくと決めた。
最初に向かった敵アジト候補は、住宅街にある一棟のアパートだ。病院からそう遠くない場所にあるのだが、すぐにはたどり着けない。逃げ惑う市民が車道を横切ったり、自動車が暴走して電柱に衝突していたり、と大混乱を見せていた。一〇年前の霊災がまだ記憶に新しいせいで、市全体が大規模な恐慌状態を引き起こしているようだ。
「助けてぇっ!」
「どけ、どけっ! 俺が先に行くんだよ!」
真之はそれらの叫びの間を慎重な運転ですり抜け、目的地に向かう――が。
「ちっ、ここは外れだ!」
ハヅキが忌々しげに舌打ちする。どうやら、ここにはヒスイがいないようだ。真之は即座に見切りをつけ、次の候補地を目指す。
次の候補地は市内の地区をいくつも超え、広い繁華街を抜けた先にある。
市内で一番栄えていたその区域は、この霊災の爆心地だった。
「痛え、痛えよぉっ!」
「どこに行ったの、マー君! お願い、誰かウチの子を知りませんか!」
「知るか、それよりあんたも逃げるんだよ!」
夜、最も賑やかになるはずの地域は、阿鼻叫喚の嵐となっていた。立派に立ち並んでいたビル群は無残に破壊され、街のシンボルだったアーケードは潰されている。飲食店や居酒屋などからは火の手が上がり、客達の逃げ道を塞いだ。
それらを傲然と見下ろす巨大な影が一つ。
「ヤバい、あれはとにかくヤバいっ!」
ハヅキが小さな体を小刻みに震わせる。爆発的な霊気の奔流に圧し潰されしまいそうなのだろう。針金の通った細い両腕を折り曲げ、胸を抱くことで、懸命に恐怖を押し殺しているようだった。
怨霊の全長は、五〇メートルを軽く超えているだろうか。繁華街において中心地から遠く離れた端にいる真之達からでも、はっきりと視認できるほどの大きさだ。闇夜を覆わんとする巨人が、ビルをいとも容易く踏み潰していく。
現代の世に蘇った厄災は、荒れ狂う破壊の権化となっていた。
(くっ、一刻も早く大和さんを救わなければ!)
真之は逸る心をどうにか押さえつけた。
怨霊の上空では、三機の戦闘機が旋回している。おそらく、スクランブル発進した自衛隊であろう。シャープなボディの戦闘機から放たれた機銃やミサイルは、ほぼ全弾が命中したが、怨霊がダメージを受けたようには見えない。
いつだったか、紺から聞いたことがある。霊気の塊である怨霊に対しては、通常の化学兵器の類では通用しないのだ――と。妖気や霊気を用いた攻撃でなければ、効果がない。だからこそ、神造りの研究者達は、人工の半神を対怨霊用の兵器としても運用できないか、と研究しているのだ。そのために紺の身体を解剖して、データを取りたいと狙っている。
と、怨霊が帯電にも似たオーラを纏い始めた。人間である真之にも目視できるほどの、濃密な霊気だ。街中の空気が震える次の瞬間、激しい咆哮を放つ。
その衝撃波にも似たショックで、真之はバイクのハンドル操作を誤りそうになる。
怨霊の全身から霊気が強大な雷となって迸り、周辺一帯へと撒き散らされた。攻撃していた戦闘機のうち二機が撃墜され、街へと墜落していく。
さらに、街中に襲いかかる激しい霊気。そこへ突如、怨霊と同じくらいの高さの分厚い壁が出現し、怨霊を囲んだ。一見、レンガのようにも見える壁だが、その硬さは比較にならないらしい。おかげで、霊気の奔流は怨霊を中心とした半径数一〇メートルの内側に跳ね返され、街への被害が最小限に食い止められる。
「おい、見ろっ、紺様だ!」
ハヅキが歓声をあげ、真之も視線を向ける。
のっぺら坊の怨霊の眼前で、一人の女らしき人影が宙を浮かんでいた。女の尻からは大きな木の葉の形をした二本の尾が伸びている。
間違いない、あれは紺だ。
彼女が生み出した壁により、怨霊は閉じ込められた。
それを不快に感じたのか、怨霊が強靭な拳で何度も続けて殴り、鋼鉄よりも頑丈そうな壁を壊しにかかる。分厚いガラスにハンマーを打ち付けるかのような騒然たる音が、火の海と化した繁華街に鳴り響いた。
やがて、壁の一部が破れ、怨霊が再び足をゆっくりと踏み出す。
さらに、もう一度吠えると、膨大な霊気の電撃がレーザーとなって街を薙ぎ払う。アスファルトの地面を焦がし、一瞬にして消し炭に変えていく。
ちょうどその直線上を走る真之は、嫌な予感を覚え、咆哮のタイミングで既にハンドルを右に切っていた。
「いぃっ、嘘だろっ!?」
ハヅキの泣きそうな悲鳴をよそに、真之の乗るバイクは崩壊したビル群の隙間を通り抜ける。ズタボロの身体を屈め、アクセル全開。無理やり突っ切った直後に、濃縮された霊気の雷が背後を左から右へと流れていく。
間一髪で窮地を脱した真之に、懐に潜むハヅキが引きつった声で褒める。
「な、ナイスなドライビングテクニックだな――って、おい、大丈夫か!?」
真之はバイクを止め、血の滲む腹を押さえる。顔は死人のように土気色となり、激しい呼吸を繰り返した。
このままバイクから落ちて、倒れてしまいたい欲求に誘われる。そうすれば、どんなに楽になれるだろうか。
(ど阿呆っ、自分で行くと決めたんだろうが!)
「……だい、じょうぶです、行けます」
視界が霞みそうになるが、闘魂注入して再びバイクのアクセルを回す。
一方の怨霊は、なおも暴れ続けていた。
目の前を飛ぶ紺が、両手の人差し指で十字を作りながら、何やら呪文を唱える。
黒く巨大な錐状を形作った妖気が、破壊されたアスファルトの地面から一瞬にして生えた。巨人の足元から串刺しにしていく凶器。片足の自由を奪われた巨人が、歩みを止める。
彼女の攻撃はそれだけでは終わらない。
今度は黒い刀の形へと変化した妖気が、怨霊の周りを囲うようにして、数十本もズラリと出現する。それら一本一本が、電波塔並みの長さだ。紺が怨霊に向けて手を伸ばすと、その号令に従い、刀の軍勢が一斉に怨霊の身体を貫いていく。
さすがに怨霊も苦痛を感じたのか、けたたましい鳴き声を発した。
さらに紺が指を鳴らすと、怨霊の身体に突き刺さった刀達が青白い炎へと姿を変えた。
狐火と呼ばれる妖気の火炎は濃厚な渦となり、怨霊の全身を覆い焦がす。
その場から逃れようとする怨霊。だが、紺は再び壁を作って動きを塞いだ。蒸し焼きとなった怨霊が沈黙する。
「すごい……」
真之は、紺の力の凄まじさに圧倒されそうになった。
義母が強大な妖怪であることは知っていたし、一〇年前の霊災でもほんの少しだけ力を見た。それでも、やはり間近で見ると呆気に取られてしまう。あれで、尾が二本という不完全な状態なのだ。
(いや、違う)
のぼせ上がりそうになった感情を、すぐに冷却する。
逆に考えれば、「あそこまでの猛攻をしかけても、怨霊を倒すことはできない」のだ。『霊脈の鍵』が閉じられている現在、怨霊は本気を出せない。それでも、二本しか尾のない紺では倒すことができない相手である。それは、一〇年前の霊災が証明していた。
そして、その予想は現実となる。
怨霊が一声吠えると、自身を覆っていた鬼火も壁も、全てを両腕で引きちぎって振り払った。妖気の刀で穴が空けられたはずの身体は、完全に塞がれている。肉体を持たず、霊気の塊である怨霊にとっては、傷を塞ぐことなど容易いようだ。
厳しい現実だが、これでも不完全な復活なのである。
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