第53話 あの子のもとへ
「……ぐ、ふっ」
紺――の本体は、壊れ果てたアスファルトの地面に膝をついた。口から赤黒い血を吐き出し、豊かな胸を手で押さえる。
純白のワンピースは引き裂かれ、身体を隠す役目を果たしていない。ボロ雑巾のようになった肉体は、骨がいくつも砕け、肉がところどころ抉れている。かといって、肉体の再生に割く余力もない。満身創痍とはこのことか、と紺は自嘲した。
尻から生えた自慢の尾は、一本が完全に消失し、残る一本は子犬の尾のように小さくなっていた。彼女の妖力が底を尽きそうになっているのは明らかだ。
「これは……そろそろ、本格的にまずいのう」
彼女の眼前には、巨大な怨霊の足が見えた。荒い息を吐きながら、震える足に活を入れてどうにか立ち上がる。
「一〇〇〇年前に死に別れたはずの元夫に、暴力を振るわれる。まったく、これが世間で言うところのDVとやらかえ? いや、暴力はお互い様か」
折れそうになる心を支えるため、血反吐を吐き捨てながら軽口を叩く。
「のう、お主。人間のことがまだ憎いのかえ? 憎み続けても、疲れるだけじゃぞ」
紺の周辺一帯は、すっかり焦土と化していた。ビル群や飲食店は根こそぎ潰され、見る影もない有様である。暴走する怨霊をここから出さないよう、動きを制限させた結果だ。その甲斐あって、生き残った人間は全員ここから避難している。逃げ遅れた屍の焦げた臭いが、あちらこちらから立ち上っていた。
紺がろくに反撃できないのを見て、怨霊の足がゆっくりと持ち上げられる。そうして、紺の真上から勢い良く振り下ろされた。
「が……っ」
どうにか残りの妖力で生成した防壁によって、伸し掛かってくる圧倒的な質量をギリギリで防ぐ。だが、限界はすぐに訪れて、壁があえなく粉砕された。そのまま紺の全身が蹂躙されていく。
これが、死か。
この状況でそんなことを考える、自分の奇妙な冷静さがおかしかった。
(死ぬ前に、もう一度真之の顔が見たかった)
彼は、上手く大和を救出できたのか。無事に生きているのか。
ああ、声が聞きたい。頭を撫でてやりたい。力いっぱい抱きしめてやりたい。
「さねゆ、き……」
そのとき、怨霊が突如動きを止めた。
呻くような声をあげたかと思うと、足先が光の粒子へと姿を変える。街を覆い隠すほどの巨大な身体が、少しずつ光に呑まれて消えていく。怨霊は焦ったのか、雄叫びを上げて悶え苦しむが、光から逃れることができない。
一体、何が起こっているのか。紺はすぐに察する。
「……そう、か」
勝利を確信して、思わずほっと笑みが溢れる。
怨霊から発せられる眩い輝きが、星の見えない夜の空を彩った。
やがて、怨霊の全てが幻だったかのように、跡形もなく消滅する。『鍵』と『楔』が正常を取り戻し、封印が再び施されたのだ。
残されたのは、崩壊した街。ようやく復興したと思われた矢先に、瓦礫の山へと逆戻りしてしまった。壊滅的なダメージが、生き残った住民の心を覆っていることだろう。
どこからか、ドローンがいくつも近づいてくる。おそらく、マスコミが街の惨状を撮影するために遠隔操作しているものであろう。
うるさいな、そんな相手に構っている暇などない。
紺は、アスファルトの破片が散らばった地面を、ゆっくりと這いつくばった。震える手を伸ばそうとする。
そうだ、早くあの子のもとに行かなければ……。
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