エピローグ

最終話 当たり前の日常

「天ぷらは、揚げている衣の色を見極めるのが肝心じゃ」

「うんっ!」


 宗像家の台所で紺と結衣が二人並び、楽しそうに料理をしている。その様子を、真之は隣のリビングから黙って見守っていた。

そこへ、大和が彼の広い肩に乗ってじゃれついてくる。


「キュイッ!」


 真之が鱗を優しく撫でてやると、大和がくすぐったそうにしながら受け入れた。

 

 三ヶ月後。無事に退院した真之は、鈍った身体を訓練で鍛え直した後、現場に復帰した。先日起こった一連の事件で多数の神柱護衛官を失い、県内では人手が足りなくなっている。警察組織内では優秀な人材を募集しているが、なかなか上手くいっていないらしい。


「あ、紺さん。衣がきつね色になってきたよ」


 結衣が箸を片手に、声を躍らせた。

 結衣も退院し、既に学校に復帰している。命をかけて霊災の被害を最小限に食い止めた功績が、マスコミの取材によって拡散されていた。そのおかげもあり、学校の級友達の多くからは感謝と共に迎えられたようだ。一方で、怨霊の危険性を再認識した者達は、一刻も早く双子を神造りの研究に利用すべし、と叫んでいる。それらの連中が強引な行動に出ないように、後見人の紺が眼を光らせていた。


「うむ。今が取り出すチャンスじゃ。油が飛ばないよう、気をつけるのじゃぞ」


 料理の先生である紺は、豊かな胸を張ってレクチャーする。

 紺はどうにか人の姿に戻ることができた。真之にだけ見せてくれたが、尻尾はまだ子犬ほどの大きさのものしか生えていない。妖力が以前と同等まで回復するには、長い年月が必要となりそうだった。


「ジャジャーンッ。出来たよぉ!」


 大きな皿を両手に一枚ずつ持って、結衣がリビングへとやってくる。皿には、揚げたての天ぷらが並んでいた。さつま芋、ソーセージ、ナス、大葉、ちくわ……どれも香ばしい匂いを漂わせ、見る者の食欲をそそる。

 結衣は皿をテーブルの上に並べていく。大和が今にも食べたそうにウズウズしているので、彼女が手で制する。


「へえ、結衣が作ったにしては、けっこう美味そうじゃん」


 窓ガラスの前で夕陽を眺めていたハヅキが、悪戯めいた声と共に皿を覗く。


「む。『しては』は余計」

「だって、こないだ一人で作ったハンバーグなんて、メチャクチャ不味そうな見た目だっただしー」

「あ、あれは、ちょっと形が崩れちゃっただけだもん。味は良かったよね、大和」

「キュイ!」


 ハヅキがからかってくるので、結衣は慌てた様子で弟に助けを求めた。紺も遅れて会話に加わり、片目を瞑って微笑む。


「じゃが、料理とは目でも楽しむものじゃ。形も良くなるよう、練習を積むことじゃな」

「うんっ」


 褒めて伸ばす方針の紺は、慈愛に満ちた微笑みを教え子に向けた。

 そうした光景が、真之には眩しい宝物のように感じられた。








 その日の仕事を終えた真之は、木枯らしの吹く夜道を歩く。

 傍らには、白いコートを着た紺の姿がある。肌の露出が最低限だというのに、牡の本能を強く刺激するフェロモンを纏っていた。白い吐息を吐きながら、身を震わせる。


「うぅ、寒いのう。早く春にならんものか」

「狐だったら冬眠をしている時期だからな」

「うむ、家に帰ったら、酒と飯で身体を癒やしたいものじゃ。昼間、白菜を安く買えたことじゃし、今日の夕飯は鍋にするかの」


 そう言って、紺がおもむろに手袋をハメた右手を差し出してきた。


「ほれ、真之。手を繋げば、少しは暖かくなるぞ」

「どうしてそうなる」

「ん~? 照れるでない、照れるでない。親子なら、これくらい普通じゃよ」


 そう言って紺は、強引に真之の左手を握る。真之は抗議しようとして、やめた。下手に拒否しても無駄である。それに、嬉しそうに頬を緩ませる義母の横顔が、とても美しく思えたのだ。


 と、紺が急に上目遣いをしながら、声のトーンを落とす。


「真之よ。お主は今、幸せかえ?」

「何を突然」

「ワシは、お主に親らしいことをしてやれた自信がない。街中ですれ違う親子連れの笑顔が、眩しくてのう」


 少し不安そうに揺れる瞳を、真之は真っ直ぐに見つめ返した。「馬鹿なことを」と一笑して。


「俺は、あんたにたくさんのものをもらった。今が楽しいのは、あんたのおかげだ」

「……そうか」


 紺もくすぐったそうに笑みをこぼし、互いに手を強く握りあった。


 この『当たり前の日常』がいつまでも続いてほしい。そう願いながら。

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その日、僕は妖狐に拾われた 白河悠馬 @sirakawayuma

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